2012-01-01から1年間の記事一覧

美意識の伝統・「漂泊論B」63

1 一年の終わりはありがたい。 人間は、「これで終わり」というしるしを持たないと生きられない。 生きるとは、「これで終わり」というしるしをつけてゆくことかもしれない。 生きていればいろいろわずらわしいこともあるし、元旦といっても一日が変わるだ…

旅をする猿だった・「漂泊論B」62

1 人間は、直立二足歩行をはじめたときからすでに旅をする猿だった。 目的地があったのではない。 人間が二本の足で立っていることはひとつの「けがれ」であり、身体の居心地の悪さをすごく意識してしまう。しかしそこから歩いてゆけば、その「居心地の悪さ…

きゃりーぱみゅぱみゅ・「漂泊論B」61

1 「きゃりーぱみゅぱみゅ」に代表される最近の「かわいい」系ファッションは、色の使い方がとても鮮やかである。ほとんど常識破りのような色の組み合わせで、それでもかわいい。なぜかとてもかわいい。 そしてそれが西洋でも受けているのは、たぶん西洋人…

神と奈良盆地と大和朝廷・「漂泊論B」60

1 いまどきの歴史家は、「大和朝廷」ではなく「大和王朝」という人が多いのだとか。 王朝、すなわち彼らは「政治」の問題としてその起源を語ろうとしている。大和王朝以前は、三輪王朝とか葛城王朝とか難波王朝とか飛鳥王朝とか、彼らは政治集団としての「…

神なんか知らない・「漂泊論B」59

1 前回、天皇制の起源を「舞の家」というテーマで書きました。 こんなことを書いても「トンデモ説」として多くの人に一蹴されることはわかっていたのだけれど、どうしても書きたくなってしまいました。 誰かひとりでも関心を持ってくれればいいや、という気…

俗世間の発生と舞の家・「漂泊論B」58

1 日本的な舞の起源は、この世界の孤立した存在として山の自然に溶けて消えてゆく作法にあった。 そういう「孤立性」を共有しながら原初の集団が成り立っていた。 原始神道の巫女に処女の娘が選ばれたということは、そういう身体の「孤立性」が問題にされた…

歌と舞の祝祭性・「漂泊論B」57

1 こんな寒い夜中にふらふら道を歩いていると、この地球上に人間という生き物が生きているということじたい奇跡的なことだなあ、と思えてくる。 僕などはもう老人の部類だからそう楽々と生きていられる体ではないが、もっと体が弱っている病気の人や障害者…

都市集落の起源・「漂泊論B」56

1 縄文社会にはついに大きな集落は存在しなかった。 いったん大きくなりかけた三内丸山遺跡も、けっきょくは途中で解体遺棄されてしまった。 歴史的には、三内丸山遺跡の集落が存在したということよりも、それが解体遺棄されたということの方が重要なのだ。…

都市集落の発生・「漂泊論B」55

1 都市とは、人が集まってくる場所のことである。 弥生時代は、大きな集団で暮らしたことのない人々が大きな集団で暮らすようになっていった時代であるが、それは一か所に人が集まってくるということが起きたからであって、もともとあった集落が人口爆発と…

日本的な文化風土の基礎・「漂泊論B」54

1 日本的な心の動きの基礎は、縄文人の、山という自然に対する親密さにある。 縄文時代を、われわれの国民性とか文化風土とは無縁の時代としてやり過ごして考えるわけにはいかない。やり過ごすには、1万年は長すぎる。弥生時代以降の2000(あるいは2…

山を下りる「漂泊論B」53

1 弥生時代になって、日本列島の人口が爆発的に増えた。しかしそれは、農業をして食料を確保できるようになったからではない。人口が増えたから、農業をするようになっていったのだ。 人々の意識が変わったから農業をするようになっていったのではないし、…

日照りの夏はオロオロ歩き・「漂泊論B」52

1 古代の日本列島には「霊」に相当する言葉がなかった。だからわれわれは、その輸入漢語を日本語(やまとことば)に置き替えることがついにできなかった。 「魂(こん)」は、「たましい」ともよむ。しかしそれは、平安時代ころに生まれてきた言葉らしい。 …

踊りの起源・「漂泊論B」51

1 人類の歌や踊りはいつからはじまったのか。 歌と踊りとどちらが先かといえば、これは難しいところだ。 まあ、踊りとは音楽に合わせて体を動かすことで、音楽がなければ踊り続けることはできないし、踊りが進化することもない。 ネアンデルタール人はすで…

処女の恥じらい?・「漂泊論B」50

1 旅をする縄文の男たちの集団が女子供ばかりの集落に訪ねてくれば、まず、歌垣という祭りがはじまる。まあ、いまでいう「合コン」のようなものである。たがいに即興の歌を交わし合いながら、パートナーが決まってゆく。 いきなりやってきてすぐに親しくな…

予期せぬ出来事・「漂泊論B」49

1 縄文時代の山の暮らしは決して楽なものではなく、自分を捨てて山の自然に溶けてゆくということをしなければ成り立たなかった。 そういう山の自然とのせっぱつまったのっぴきならない関係があった。 そこから縄文の祭りが生まれてきた。 霊力とか超能力な…

死んでゆくときは・「漂泊論B」48

1 漂泊とは、「混沌=なりゆき」に身をまかせること。それが、縄文人の心の動きであり、原始神道の基本的なコンセプトだった。 すべての森羅万象は、何ものの作為もはたらいておらず、ただ「なる」だけである。縄文人は、その「なる」ことに驚きときめいて…

「身がわり」の文化・「漂泊論B」47

1 死を怖れない生き方、というと何か勇猛果敢という感じがするが、そういうことではなく、縄文人は、ごく素直にわれを忘れて自然の中に飛び込んでいった。 それは、信念でも信仰でもなく、ひとつの「祝祭」だった。 彼らにとって自然=山は、けっして恵み豊…

縄文人と山という自然・「漂泊論B」46

1 つらい人生を生きている人に対して、あれこれ生き方や生活を組み替えるアドバイスはあるのかもしれない。そして呪術師あるいは超能力者とやらがその力を相談者という迷える子羊に授けてやる、というパターンも、いまだにいくらでもある。 しかし縄文人は…

縄文の官能・「漂泊論B」45

1 縄文人は、山の中に集落をつくっていたし、男たちは、山の中を歩き回って旅をしていた。 日本列島は、氷河期が明けて海面が上昇したことによって平原のほとんどは水没し、さらには川が氾濫しやすくなって、残った平原も湿地帯になってしまった。 そのため…

平和を生きる作法・「漂泊論B」44

1 太平洋戦争が終わってすでに65年が経った。 明治以来、日本が戦争をしていない時代がこんなにも長く続いたことはなかった。 世界的にも、第3次世界大戦はきっとやってくるとずっといわれてきた。 人々はこの長く続く平和に戸惑い、世界中でさまざまな…

縄文人は派手好きだった・「漂泊論B」43

1 神社のことを「宮(みや)」ともいう。やまとことばであるこちらの方がほんらいの呼称にちがいない。 みや=見屋、すなわち「かみ」を拝む建物。いやこれはただのこじつけだが、とにかくそこに「かみ」がいたのではないし、古代以前の日本列島における「…

神社の起源・「漂泊論B」42

1 死後の世界のことを見てきたように得々と語られると、多くの人が「へえ、そうなのか」と説得されてしまう。 誰もが、そんな世界があるのだろう、となんとなく思っている。 誰もが、自分がいま生きてあることをとてもリアルに感じているから、それが消えて…

縄文人の嘆きと葬送儀礼・「漂泊論B」41

1 当世流行のスピリチュアルとは、スピリチュアリティ、「霊魂」というような意味だろうか。あるいは霊性。どちらでもいいわ。 くだらないなあ、と思う。 そんな思考は、人間の自然にもこの国の伝統の上にも成り立っていない。ただの観念的表層的なお戯れ。…

旅の神・「漂泊論B」40

1 原始神道のことを縄文神道ともいうこともあるから、縄文時代が日本的な心性の源流になっているという意識は、多くの歴史家の中にあるのだろう。 道の辻(交差点)によく置かれてある石を「道祖神」などといって祀っている庶民信仰も原始神道のひとつであ…

祝福の作法・「漂泊論B」39

1 縄文人は、集落ごと引っ越すということをわりと平気でしていた。個人の家も、建て替えるときは必ず元の場所から少しずらして建てた。 それは、土の「けがれ」を意識していたからだ。 彼らにとって、世界が「安定と秩序」を持ってくることは、ひとつの「け…

骨の人格と死後の世界・「漂泊論B」38

1 原始人に「あの世=死後の世界」という意識などなかった。 この国の古代において、死んだら何もない「黄泉の国」に行く、という神道の死生観があった。しかしそれが生まれてきたのは、縄文時代の1万年を死後の世界などイメージしない歴史を歩んでしまっ…

祖霊信仰とまれびと信仰・「漂泊論B」37

1 一般的には、原始神道といえば先祖の霊を祀る「祖霊信仰」のようなことがいわれている。これは、柳田国男がしつこくそう繰り返していたことの影響だろうか。 「死後の世界」というイメージがないのなら、「先祖の霊を祀る」ということもない。 縄文人は、…

原始人の自然観・「漂泊論B」36

1 現代では、科学者ですら、自然の森羅万象には神の作為がはたらいている、と言い出す人がいる。その「作為」を信じる観念性のことを「迷信」という。 原始人は、そんなものは信じていなかった。すべては何ものの作為もはたらいていない「なりゆき」の現象…

原始神道・「漂泊論B」35

1 原始神道とは日本列島土着の信仰のことであり、それはもう縄文時代からはじまっている。 弥生人は大陸からやってきた人々であるというのは嘘で、縄文人が弥生人になっただけである。基本的には、日本列島の住民が狩猟採集の生活から農耕生活に変わってい…

世界の秩序と混沌・「漂泊論B」34

1 僕は、神や霊魂を信じていないのではない。 たぶん、心のどこかで信じている。 しかしそれは、そういうことを信じさせられてしまうような社会の制度性の中で生きているからであって、自分が信じているからそれが存在することの証拠だとは思わない。 僕は…