2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧

ネアンデルタールや縄文人に「大人」などいなかった。原始人の社会はみんなそうだった。 人間性の基礎というか人間の自然において、「大人」という人種など存在しない。 平均寿命が30数年というネアンデルタールの社会は、20代の若者が中心になって運営…

ネアンデルタールとは、20万年前くらいから3万年前くらいまでのヨーロッパに生息していた人類集団のこと。 ろくな文明を持たない原始人が、どうして氷河期の北ヨーロッパという過酷な環境で暮らし生き残ってゆくことができたのか、このことを考えたくて今…

今日書くことは、いわば僕の「ネアンデルタール宣言」です。 だから、ちょっと長くなります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 人間は、そうかんたんに大人にならない。 大人たちは、えらそうに正義づらして「自立せよ」とか「大人になれ」などと言うが、…

僕は科学者ではないし、ヨーロッパ人の祖先はネアンデルタールだと当たり前のように思っているから、今さらのように遺伝子のことを話題にするのはおっくうだ。 しかし、「ネアンデルタールは滅びた」と考えている人たちの主張の根拠は、「現代人にネアンデル…

「遊び」とは、運命を受け入れる行為である。 だから、勝ち負けを決める性格になってゆく。 勝ち負けを決めなくても、「運命を受け入れる」という要素がなければ「遊び」にならない。 原始人が両手に持った石と石をぶつけ合って遊んでいた。これが、石器が生…

衣装の起源は、「おしゃれ」をすることにあった。 人間は、そういう「遊び」をする生き物である。「遊び」が、原初の人類の歴史をつくってきた。 二本の足で立ち上がったのも、言葉を話すようになったのも、石器を生み出したのも、衣装を着るようになったの…

直立二足歩行の起源を問うことは、人間の根源的な習性とは何かと問うことでもある。しかし、それを問えば社会に役立つとか、そんなことは僕の知ったことではない。僕は、それが知りたいだけだ。 われわれはきっと誰もがその根源的な習性を抱えて生きているが…

直立二足歩行と衣装の起源についてはもう、30年前くらいから考えているのだが、基本的には今もそのときと変わってはいない。 衣装は、二本の足で立っていることの居心地の悪さをなだめる機能として発生してきた……これが30年前の最初に考えたことでした。…

津波に流されて死んでいった人の命と、避難して生き残った人の命とどちらが重いかといえば、生き残った者たちに多くのかなしみをもたらしたという意味で、死んでいった人たちの命の方が重いというほかない。あえてどちらかというなら、そうとしかいえない。 …

もう内田樹先生のことなんか気にしないで原初の人類の歴史のことだけを考えていこうと思い立ってこの新しいテーマを書き始めたのだけれど、ちょっと今、足踏みしてしまっている。 「生き延びる」などという言葉を正義づらして振り回されると、ほんとにむかつ…

そうだよなあ、生きてあることに価値なんかない。 津波に流されていった人たちのことを思えば、そんな厚かましいことはいえない。 そして、生きてあることに価値がないからといって、自分で死ぬということも、なんだかみすぼらしい行為のように思えてくる。 …

原初の人類の歴史を粛々と書いてゆくつもりだったのだけれど、大震災以後、このところちょっと変則的な書きざまになってしまっている。 僕がもし、内田樹先生のような人気作家であったなら、きっと毎日被災地の人々に発信し続けるだろうと思う。内田先生が発…