今日書くことは、いわば僕の「ネアンデルタール宣言」です。
だから、ちょっと長くなります。
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人間は、そうかんたんに大人にならない。
大人たちは、えらそうに正義づらして「自立せよ」とか「大人になれ」などと言うが、子供とはそのようにして大人たちから子供であることを否定されさげすまれねばならない存在なのか。
大人がくだらないというのではない。大人だっていろいろだ。そういうことではなく、人間にとって少年少女の時代がいかに危うく貴重であるかということを大人たちが何もわかっていないことが問題なのだ。
子供が「大人になりたくない」というとき、「大人になる前に死んでしまいたい」という思いがある。彼らには何か、死と背中合わせで生きているような思いがある。それは、神のような存在として生きている、ということではないのか。
日本列島でも昔から、子供は神の国の住人だという言い伝えがあった。だから、生まれてすぐの赤ん坊を間引きすることは神の国に帰してやることだと考えた。
それは自分たちの罪をごまかすためのいいわけだとか、そういうことではない。それ以前に人間は、「子供の死」をいかに受け入れるかという長い長い歴史を歩んできたのだ。大昔の原始時代は、子供なんか簡単に死んでしまう存在だったのである。そういう歴史の無意識の上に、子供は神の国の住人である、という言い伝えが生まれてきたのであり、子供は子供で「大人になる前に死んでしまいたい」とも思う。われわれは、そういう歴史的な無意識を背負っている。
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氷河期の北ヨーロッパを生きたネアンデルタールの子供にとって大人になるまで生き残るのは、その寒さゆえにとても困難なことだった。
ネアンデルタールの遺跡から発掘される骨の半分は子供のものであるのだとか。しかも、生まれたばかりの乳児の骨はもちろん、子供の骨は溶けてしまいやすいから、大人の骨よりも後世まで残る確率が低い。それを考えれば、大人になるまで生き延びることのできる子供は、われわれが想像する以上に少なかったのかもしれない。どう多く見積もっても、三人に一人くらいだったはずだ。もっと少なかったかもしれない。
一人の女が生涯に7人から10人の子を産んで、大人になることができるのは、その中の3人前後という割合で人口が維持されていたのだろうか。
人間の子供が未熟児で生まれてくるということは、それだけ乳幼児の死亡率が高いということを意味する。医療が発達した現代ならともかく、原始時代のしかも氷河期の極寒の地なら、子供が育つということはもう奇跡に近いことだったにちがいない。
彼らにとって子供とは、途中で死んでしまう存在だった。
人間にとって、子供時代は貴重だ。
大人になる前に死んでゆくのなら、子供時代で人生が完結しなければならない。
現代社会の子供や若者の中には、大人になりたくない、と思っているものがたくさんいるし、誰だって一度くらいはそう思う。
それは、人間の歴史的な無意識として、人間社会に、子供時代で人生を完結させようとする衝動が潜んでいるからだろう。
人間の子供は、未熟児で生まれてきて、しかもそのあとじつにゆくり成長してゆく。人間の子供以上に死と背中合わせで育っていかねばならない他の動物の子供なんかいない。人間の子供は、成体(生殖能力を持った大人)になるまで10年以上かかる。これは、ちょっと異常だ。鯨や象だって、人間に比べればあっという間に大人になってしまう。
生き物としての人間の子供は、不自然なほどとても危うい存在なのだ。
成体になるまで10年以上かかる人間の子供は、その長く危うい期間を生きながら、子供時代だけで人生を完結してしまおうとする無意識の衝動を抱いてゆく。
現在の思春期の若者がリストカットなどの自傷行為を繰り返したり、自殺してしまったりすることが少なくないのも、人生を子供時代で完結させようとする衝動だといえなくもない。
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人類は、脳を発達させることによって、未熟児のまま子供を産まなければならなくなった。大きくなりすぎた頭部は、産道を通過できなくなってしまう。
しかも人間の子供は、生まれたあとも猿よりもずっとゆっくり成長してゆく。これは変だ。未熟児で生まれてくるなら急いでその遅れた分を取り戻さなければ生き残れないはずなのに、それでもまだゆっくりと成長してゆく。なんだか生きていたくないかのように。死んでもかまわないと言わんばかりに。
まあそれでも人間の子供がゆっくり成長してゆくということは、それでも生き残れるだけの子育ての文化を持っているからであり、それは、「死んでしまっても仕方がない」という文化をその歴史のはじめに紡いでいったからだ。
人類は、子供が死んでしまっても仕方がないという断念の上に、子育ての文化を育ててきた。未熟児を育てるのだもの、まずその断念の上からしか出発できないはずだ。ましてや原始時代なら。
そして20万年前のネアンデルタールは、すでに現代人と同じ脳容量を持っていたのであり、それは、われわれと同じレベルの知能や心の動きを持っていたということだ。しかしそれでも原始人である彼らは、子供が簡単に死んでゆく状況を生きねばならなかった。子供が死んでしまっても仕方がない、という断念を生きねばならなかった。
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人類の歴史において、ときどき遺伝子の突然変異で、ゆっくり成長するような個体が生まれてくる。いや、どんな動物においても、そうした突然変異は起きていることだろう。しかしそのような個体は、生殖能力を持つ前に必ず死んでしまう。
人間のように未熟児で産まなければならなくなった種においては、なおさらそうした突然変異は起きやすいだろう。体内で大きくなりすぎたら産道を通過できなくて、けっきょく母子ともに死んでしまう。帝王切開という処理のなかった昔は、そういう事故はいくらでもあった。
小さく生んで大きく育てる、などという。人間の生命現象は、「ゆっくり成長する」というかたちになりやすい。
そしてはじめは、そういう個体は必ず子供のうちに死んでしまっていた。しかしそうやって無数に子育てに失敗しているうちに、ときどき生殖能力を持つまで育てることができるようになってきた。
そしてそういう個体は、じつは長生きする。
早く成長すれば、早く老化する。
ゆっくり成長すれば、ゆっくり老化する。だから、長生きする。
人間がそういうゆっくり成長する子供を育てる能力を持てば、どうなるか。そういう個体は長生きできるのだから、長い時間のあいだには、そういう個体ばかりになってしまう。
これが、現在の地球上の人類はすべて「ホモ・サピエンス」だといわれるゆえんである。
しかし人類の歴史がここまで来るには、無数のゆっくり成長する形質をもった子供が死んでいった。
人類は、「子供の死」を眺めながら脳を発達させる歴史を歩んできた、ともいえる。
人間の歴史は、猿よりもずっとたくさんの「子供の死」を体験してきた。その記憶が歴史の無意識としてわれわれの中に蓄積されていて、大人は少年少女の時代を切なく追憶するし、少年少女は今ここで人生を完結させてしまおうともする。
人間社会は、人生を子供時代に完結させる、という文化を持っている。そこから「青春」という言葉が生まれてきた。
「青春」という言葉の向こうには、人間の歴史における無数の「子供の死」が横たわっている。
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人類の生息域が氷河期の北ヨーロッパまで拡散していったのが50万年前で、拡散していったグループは、アフリカに残っていち早く進化していったグループに比べるとまだ体も小さく、その体は体毛に覆われていた。そうして、猿のように比較的早く成長した。
彼らは、人類でもっとも進化の遅れたグループだった。
しかしだからこそ、その地で生き残ってゆくことができた。その過酷な環境は、体毛があって早く成長する形質を持っていなければ、生き残れない。
彼らは、この形質を持続しながら、火や石器を使用するとか、限度を超えて密集した群れをいとなんでゆくことができるという人間ならではの文化を磨きながら生き延びていった。
一方、環境に恵まれた南のアフリカでは、しだいに、ゆっくり成長して長生きする体質に変わっていった。そうして15万年前には、さらにそれが特化した「ホモ・サピエンス」の遺伝子があらわれた。
ここにおいて、北と南では、大きく形質がわかれた。
より早く成長して早く老化する北の遺伝子。
ゆっくり成長してゆっくり老化してゆく南の遺伝子。この遺伝子は、人間が長生きするためには絶対有利だ。しかし、この遺伝子のキャリアの子供が氷河期の北ヨーロッパで生まれたら、大人になる前に確実に死んでしまう。
分子生物学のデータによれば、北の遺伝子と南の遺伝子は50万年前に分化し、3,4万年前ころに北の遺伝子(ネアンデルタール)は南の遺伝子(ホモ・サピエンス)にとって代わられて消滅した、ということになっていた。
ところが最近のより精密なゲノム(遺伝子総合情報)分析の結果、どうやら北の遺伝子と南の遺伝子がそこで再び合流したということらしい、という推測になってきている。
それはそうだろう、原始時代の文明のまま南の遺伝子だけの人間がいきなり氷河期の極寒の地に行って生き残るということなどあり得ないのだ。
ただネアンデルタールが南の遺伝子のキャリアになってしまっただけなのだ。南の遺伝子は長生きできる形質を持っているから、それで生き残ることができるなら全員がそのキャリアになってしまう、ということだ。
そのころネアンデルタールは、南の遺伝子のキャリアになっても温暖期の冬なら難なく過ごせるだけの文化と文明を発達させていた。しかし2万5千年前から1万年3千年前まで最終氷河期は、さすがにかつてないほどの危機に陥ったのだが、それを人間的な文化文明でなんとかしのぎきり、現代のヨーロッパ人にその遺伝子を残した。
ともあれ、50万年前に北の遺伝子と南の遺伝子が完全に分化してしまったのは、地球気候が数万年ごとに温暖期と寒冷期(氷河期)を繰り返していることに揺さぶられた結果だと言える。
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15万年前は、寒冷期(氷河期)だった。
この時期に、もっともゆっくり成長して長生きできるホモ・サピエンスの遺伝子が登場してきたということは、アフリカの中央部ではそれくらいの方がかえって酷暑がなくて生きやすかった、ということかもしれない。
赤道直下のアフリカ中央部では、温暖期の方がかえって生きにくくなる。現在のアフリカのように。
しかしその遺伝子は、理想的な条件のもとで初めて生き残ることができるのだから、限定された狭い地域にしか広がらなかった。べつにそのとき生まれた「ホモ・サピエンス」の遺伝子がオールマイティだったのではない。世の人類学者や分子生物学者はみなそんなことを言っているが。
だから、その最初の「ホモ・サピエンス」遺伝子のキャリアである一人の女性が集団を組織してアフリカを出てゆき現在の人類の祖先になり、もともといた人類はすべて滅びた、というようなじつに荒唐無稽な説(ミトコンドリア・イヴ説)が語られるようになったのだが、中学生の昼休みの与太話じゃあるまいし、こんなことを本気で信じている研究者が世界中にたくさんいる。
最初のホモ・サピエンスミトコンドリア遺伝子は、冬のない狭い地域でしか機能できなかったのである。つまり、もっとも生命力の弱いぎりぎりの遺伝子だったのだ。だから、ゆっくり成長して長生きした。
早く成長するネアンデルタールの遺伝子の方がずっと生命力が強かった。強かったから、早く成長したのだ。
15万年前の氷河期のそのころ、ネアンデルタールの遺伝子はアフリカの北部まで伝播していた。そのころ人類はもう、ネアンデルタールの遺伝子を持っていなければ冬を越すことができなかった。ホモ・サピエンスの遺伝子のキャリアは、どんどん子供のうちに死んでいった。
この現象を人類学者は、北ヨーロッパネアンデルタールがアフリカ北部まで下りてきたと言っているのだが、そんなことではない。北の遺伝子が群れから群れへと伝播して下りてきただけである。
数万年単位の時代でそのときどきに多少は骨格や体質は変わろうとも、いつの時代にも北アフリカには北アフリカの住人がいて、西アジアには西アジアの住人がいて、ヨーロッパにはヨーロッパの住人がいただけだ。
そりゃあ、温暖期と氷河期では、人々の骨格や体質も変わるだろう。
それを、ネアンデルタールがヨーロッパから下りてきて北アフリカの住人を追い出しただなんて、ああ、ほんとにくだらない。
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次の温暖期は、13万年前ころにやってきた。
この時期になると北アフリカ西アジアも冬がなくなり、長生きできるホモ・サピエンスの遺伝子がふえてゆくことになる。
この地域の人々は、時代によってたとえどちらかのミトコンドリア遺伝子のキャリアになっても、基本的には両方の混血種(ハイ・ブリッド)である。
ネアンデルタールの血も混じっているから、多少の冬なら越すことができた。
そのようにしてホモ・サピエンスミトコンドリア遺伝子が世界中に伝播していった。
つまり、最初の純粋ホモ・サピエンスの子孫は冬を越すことができないのだから、世界中に旅をして子孫を増やしてゆくということなどできない。それぞれの地域の住人がその遺伝子を受け取っていっただけなのだ。
たしかにホモ・サピエンスの遺伝子は最初の一個体からはじまっているのだろうが、世界中のすべての人間がその一個体(イヴ)の子孫だとはいえない。
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その次の氷河期は、7万8千年前だといわれている。
するとまた、西アジアから北アフリカの地域の住民は、そろってネアンデルタールの遺伝子のキャリアになって骨格や体質を変化させていった。
しかしいったんホモ・サピエンスの遺伝子の洗礼を受けてしまった人類はもう、昔ほど素早く成長することはなく、氷河期になれば昔以上に「子供の死」を多く体験しなければならなくなっていった。
ホモ・サピエンスの遺伝子は、もっとも乳幼児の死亡率の高い遺伝子なのである。子育ての高度な文化文明を持たなければ生き残ることはできない。猿の子は、そう簡単には死なない。人間の乳幼児がそう簡単に死ななくなったのは、つい最近のことである。
人類の歴史は、ずっと「子供の死」とともに歩んできた。
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ネアンデルタールが歴史を歩んだ北ヨーロッパでは、ホモ・サピエンスのようなモダンでひ弱な遺伝子があらわれてくるような余地はなかった。
ホモ・サピエンスよりもはるかに早く成長する遺伝子でありながら、アフリカの中央部よりはるかに乳幼児の死亡率が高かった。人類はもともとアフリカ中央部で発生した南方種である。どんなに早く成長して原始的な強い生命力をもった遺伝子でも、氷河期になれば、次々に子供が死んでゆくという事態は避けらなかった。
50万年前にネアンデルタールの祖先が氷河期の極寒の地に住みついたことによって人類の子育ての文化文明が飛躍的に発達した、ともいえる。そうして、それによってホモ・サピエンスというもっともひ弱だがもっとも長生きできる遺伝子があらわれてきた。
氷河期の北ヨーロッパに住みついた人々がたくさんの「子供の死」を体験していったことの上に、現在の「ホモ・サピエンス」という遺伝子が機能しているのだ。
彼らは、子供の命がいかに危うくはかないなものかということを深く実感した。人類史において、彼らほど深くそれを実感したものはいない。この実感もまた、伝播するのである。伝播するのは、遺伝子だけではない。この実感が世界中に伝播していって、ひ弱なホモ・サピエンスの遺伝子の子供を育て上げるという技術が生まれてきたのだ。人間の世界に、哀切な命を大切にあたためてゆくという心の動きが極まってきて、ホモ・サピエンスというひ弱だが長生きする遺伝子が登場してきたのだ。
15万年前の北ヨーロッパ中央アフリカのあいだに直接的なつながりなど何もなかったけど、ネアンデルタールのその哀切の実感はたぶん中央アフリカまで伝播していた。
人間の世界は、その歴史のはじめからつねに世界中がつながっていたのだ。
だから、世界中の人間が言葉を持った。言葉のかたちは違っても、言葉を交わし合う心の動きは、世界中の人間が共有していたのだ。何によろこび何に悲しむかは、世界じゅうそう大差はない。子供の命に対する哀切な感慨は、ネアンデルタールを起点にして世界中の人間が共有していった。このことの上にホモ・サピエンスの遺伝子が登場してきて、世界中がホモ・サピエンスの遺伝子のキャリアでも生き残れるようになっていったのだ。
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人類で最初に埋葬をはじめたのは、おそらくネアンデルタールだった。
おそらく、子供を埋葬したのがはじまりだったのだろう。だから、発掘現場では、たくさん子供の骨が出てくる。
子供の死は、いたましい。
ネアンデルタールの子供たちは、大人になるまでのあいだ、数えきれないほどの仲間の子供の死を体験する。
ネアンデルタールほど死という別れを切実に体験していた人類もいない。
人類の埋葬という行為は、そういうところから生まれてきたのであって、人類学者がいうように、知能が発達したからだとか死者の霊魂を発見したからだとか、そういうことではない。
そのときネアンデルタールは、深く死を悼む心を体験した。それだけのことさ。
人類の埋葬という行為の根源は、死者の人生を完結させることにある。それ以上でも以下でもない。
そのときネアンデルタールは、自分たちの哀しみをどう処理するかということのために埋葬をはじめたのではない。処理しないでさらに深く悲しんだから、その行為が生まれてきたのだ。
彼らが対処するべきは、自分たちの哀しみではなく、死者の人生をどう完結させるかということにあった。
原始人は、現代人のような、自分のストレスをどう処理するかというような発想はしない。そのストレスはそのまま味わった。だから脳が発達し、ネアンデルタールはすでに現代人と同じレベルまで達していた。人類の脳が発達したのは、ストレスを処理することを覚えたからではなく、ストレスをそのまま味わったからである。
猿は、ストレスを処理する。人間は、そのまま味わう。
そのときネアンデルタールは、自分たちの哀しみを処理しようとしなかった。人間は、そういう葬送儀礼の仕方をする。そのとき人は、ひたすら泣く。今でもそういう「泣き女」の習俗は世界中にある。ひたすら泣いて、死者の人生をどう完結させてやるか、ということを考える。それが、人間の知能というものだ。
大人になる前に死んでゆくなんて、親としては、自分が殺したような心地になる。産んでしまった者の責任だ。
ネアンデルタールの社会に、家族という制度はなかった。男と女は誰とでもセックスしたから、父親が誰であるかということなどわからない。女にしても、次々に子供を産んでいったから、いつまでも子育てにかかわっていられない。子供は、群れのみんなで育てた。子供たちも、子供たちの社会をつくり、大きい子が小さい子の面倒を見た。
つまり、群れのみんなが、その死んだ子の親だった。
とすれば、その子供の死に際しては、群れのみんなが集まってきて、その死を哀しんだ。
ネアンデルタールの埋葬を描いた絵のほとんどは、家族がひっそりと葬っている図柄になっている。これはたぶん嘘で、集落のみんなで哀しんだのだ。集落のみんなで、その罪を引き受けたのだ。
埋葬は、その起源から社会的な行為だった。
死をけがらわしいと思ったのでも、死者と対話するためであったのでもない。あくまで、群れのみんなでその喪失感を共有していった結果の行為だったのだ。
埋葬(葬送儀礼)とは、生き残った者たちの贖罪の行為だったのだろうか。
子供が次々に死んでゆく社会であれば、生き残った者たちには、生き残ってあることの疚(やま)しさはつねに付きまとっていたに違いない。
その疚(やま)しさを契機にして、死んだ子供の人生を完結させてやらねばならない、という思いが共有されていった。
ネアンデルタールの洞窟は、集落の集会所だった。集落で共有する大切なものはそこに保管したし、そこに集まってみんなで語り合った。とすれば、その土の下に埋めてやることは、「大切に保管する」というような意味合いもあったのかもしれない。
今の墓地だって、いろいろ宗教的なりくつをつけても、つまるところ死者を「大切に保管する」場所なのだ。
彼らは、そのようなかたちで、死んだ子供を洞窟に埋葬した。それが、死んだ子供の人生を完結させることだと思った。そして、みんなでその子供を記憶しておこうと誓い合った。
また、みんなが集まるその場所の下に埋めておけば、みんなが集まっているときに、何かにつけてよく思い出した。
思い出すことが、生き残った者たちの贖罪だった。思い出すことが、死んでいったその子供の人生が完結していることの証しであり確認になった。
そうやって、子供の死が肯定されていった。
そうやってみんなで肯定してゆくことが、集落の結束になっていった。
まあ、母親ひとりでその死を引き受けるには哀しすぎる、ということもあったかもしれない。ヨーロッパ女のヒステリーは、次々にわが子が死んでゆくのを眺めながらそれでも産み続けてゆくほかなかったネアンデルタールの女いらいの伝統なのかもしれない。
ネアンデルタールの女は、けっこうヒステリックだった。それはもう、しょうがないことだ。
子供の死は、いたましすぎる。だからみんなでその悲しみを共有してゆくしかない。これが、人間の葬送儀礼の根源のかたちなのだ。だからわれわれ現代人だって、キャンディーズのスーちゃんの死をみんなで共有し、哀しんでいる。
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人類は、子供の死たくさん経験しすぎた。そして哀しみすぎた。
ネアンデルタールにとって少年少女の死がどれほど哀切なものであったか。そして他の人類もまたホモ・サピエンスという新しい遺伝子を獲得してゆく過程において、無数の「子供の死」を体験しなければならなかった。そういう体験の蓄積の上に、現在の「ホモ・サピエンス」の繁栄が成り立っている。
われわれ人類は、理想に向かって歩んでいるのか。そうでもあるまい。日本人はもう壊れはじめているのかもしれない。
理想などというものを振りかざすこと自体が、壊れはじめている証拠だ。
僕はべつに、ネアンデルタールが理想だと言っているのではない。人間の根源のかたちが知りたいだけだ。人類学者も遺伝子学者たちも、そこのところをちゃんと押さえておかないと、取り出されたデータの解釈を誤る。みんな誤っている。あなたたちの考察なんか当てにしない。考察は自分でする。あなたたちは僕のためにデータを出してくれればそれでいい。
何はともあれ、知能が発達した人間という生き物の歴史は、ネアンデルタールからはじまっている。
知能が発達した人類は、無数の子供の死を体験しながらその歴史を歩んできた。氷河期の極寒の地を生きたネアンデルタールは、そういう人類の歴史の先駆的役割を果たした集団だった。
人間は、せつなく少年少女の時代を追憶する。それが、人類が共有している歴史の無意識である。
正義づらして「自立せよ」とか「大人になれ」とかと合唱する前に、少しはこのことも考えていただきたい。でないと、子供はますます生きにくくなる。

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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

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