ネアンデルタールとは、20万年前くらいから3万年前くらいまでのヨーロッパに生息していた人類集団のこと。
ろくな文明を持たない原始人が、どうして氷河期の北ヨーロッパという過酷な環境で暮らし生き残ってゆくことができたのか、このことを考えたくて今この記事を書いている。
彼らはすでに、現代人と同じレベルの脳を持っていた。つまり、われわれと同じレベルで思ったり考えたりすることのできる人たちだった。ただ、文明においては、圧倒的に原始的だった。医療の能力も防寒の備えも、現代に比べればきわめて貧弱だったに違いない。
そこはもう、現代のロンドンや北ドイツよりもっと寒くて、北極近くのシベリアやアラスカのようなところだったのだ。
700万年前のアフリカ中央部で発生した人類が200万年前ころからアフリカを出てしだいにユーラシア大陸中に拡散してゆき、50万年前の氷河期には、ドーバー海峡を渡ってイングランド島にまで住みつくようになっていた。その人々がネアンデルタールの祖先で、僕はもう、50万年前から氷河期明けの1万3千年前までのヨーロッパ人すべてを「ネアンデルタール」と呼んでいいのではないかと思っている。彼らこそ現代のヨーロッパ人の祖先であり、一般的にいわれているような、3万年前にアフリカ人がやってきて先住民であるネアンデルタールを滅ぼしてしまった、というような空々しいことなどなかったはずである。
しかしこの国では、圧倒的多数の人たちが今なお3万年前ころにネアンデルタールは滅びたと信じているらしく、まったく困ったものである。また、どこかの山奥にほんの一部の集団がひっそりと生き残っていた、というような話もまことしやかに語られていたりもするが、これも大嘘に決まっている。
ネアンデルタールがそのままクロマニヨンといわれる人種へと進化し、そのまま現代のヨーロッパ人になっただけなのだ。
そのころヨーロッパに上陸していったアフリカ人など一人もいない。
原始人は、旅などしなかった。原始時代の道なき道を大集団で遠征してゆくなどということができるはずないじゃないか。
基本的に、人間はどんな住みにくくてもけんめいに住み着こうとする生き物だから、地球の隅々まで拡散していったのだ。人類拡散はそういうパラドックスの上に成り立っているのであって、安直に「旅をしていった」などといってもらっては困る。
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ネアンデルタールの寿命は、30数年くらいだったという。
縄文人も、それくらいだった。
原始人の寿命は短かった。
もともと人間の体はそれくらいしか生きられないようにできているのかもしれない。それを、われわれ現代人は、文明によって倍以上の年月を生きている。それは、自然としての身体の可能性ではなく、文明の可能性なのだ。
人類700万年の歴史のうちの699万年以上を、われわれは30数年の寿命で生きてきた。したがって人間性の基礎としては、老人や壮年(=おとな)の生き方の文化というものを持っていない。それは、とても新しく、歴史的な根拠を持たない文化なのだ。だから、現代においても、大人と若者の生き方に関する感覚的思想的対立がよく起きる。
原始人の寿命が30数年だったということは、原始社会は20代の若者が中心になって運営されていた、ということを意味する。30歳を過ぎればもう、余生であり、晩年だった。彼らは、30を過ぎればもう死の準備を始めていたのであり、現代人のような将来の夢や野望などもたなかった。
原始時代には、「大人」などいなかった。「大人」という概念などなかった。
人類の歴史を通じての人間性の基礎は、若者や子供が持っている。そのことを大人たちは少しは考えてみた方がよい。何もかもあなたたちが正しいとはいえないし、あなたたちこそ本物の人間だということでもない。
原始人の人生は、30数年で完結していた。ましてや氷河期のネアンデルタールにいたっては、生まれてからずっといつ死ぬかわからない環境で生きていたのだから、そのつど「今ここ」で人生を完結させてゆくしかなかった。
そういう人類の歴史を考えるなら、人間性の基礎としての「大人」という概念など成り立たないはずである。
「大人」という存在は、たんなる文明の産物にすぎない。「大人」とは人類史においてつい最近出現した存在にすぎないのであって、人間性の基礎の上に立った普遍的な存在ではけっしてない。
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700万年前、人類は、二本の足で立ち上がることによって猿から分かたれた。そしてそれによって、動物としてのアドバンテージを得たのではない。逆に、大きなハンデを負ったのだ。二本の足で立ち上がってしまえば、速く走ることも敏捷に動くこともできなくなるし、おまけに、胸・腹・性器等の急所を相手にさらしてしまわねばならない。それはとても危険で不安定な姿勢だった。
しかしそのとき人類には、群れが限度を超えて密集してしまうという事情があり、他者と身体をぶつけ合わないで行動するためにはもう二本の足で立ち上がるしかなかった。そしてひとまずそれによって密集した群れをいとなむことができるようになったわけで、それが、その後の人類の進化をもたらす契機にもなった。
ともあれそれは、決して楽な姿勢ではない。とても身体に負担のかかる姿勢である。
腰や足にかかる負荷は大きいし、内臓もまた重力に逆らって不安定なまま吊り下げられており、さらには大きくなった脳を維持するために胃も心臓も血管も腸も肺も、四足歩行の猿であったとき以上に活動しなければならなくなった。
脳に血液を送り込むことができなくなったら、仮死状態の植物人間になってしまう。しかもその血液は、下から上に、重力に逆らって送り込まなければならない。さらには脳が大きくなってしまえば、猿であったときよりも大量に送りこまなければならない。
そんなふうに身体のすべてを酷使して生きているのだもの、長生きできるはずがない。
歴史のはじめのころ、おそらく人類は、同類のチンパンジーよりも寿命が短かった。
自然としての人間の身体は、もしかしたら20年くらいしか持たないようにできているのかもしれない。そう考えると、「青春」という言葉の意味は重い。人間の人生は、ほんらいそこで完結しなければならない。
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だから人間は、体の負担を少しでも少なくしようとして文明を生み出してきた。
知能が文明を生み出したのではない。文明が知能の発達をもたらしただけのこと。
文明を生み出してきたのは、人間であることの与件としての体を酷使して生きるほかないストレスなのだ。
人間は、ストレスのさなかで生きている。
言い換えれば、ストレスが人間を生かしている。
人間が生きることは、精神と身体の両方で大きなストレスを抱え込むことなのだ。
だったらもう、長生きなんかできるはずがない。
しかも、子供の期間をゆっくり成長してゆかねばならないのだから、原始時代は、大人になる前に死んでゆく子供はいくらでもいた。
人間は、その700万年の歴史のほとんどの期間を、いつ死んでしまうかもわからない存在として歩んできた。
そこでもし「人間性」というなら、そういう「いつ死んでしまうかわからない存在である」という自覚が根源にあるはずだ。その自覚が、人間を人間たらしめている。
人間ほど「今ここ」を切実にとらえている生き物もいない。それが人間の知能であり、そこから文明が生まれてきた。
夜更けの駅のホームで恋人たちが、明日も会えるとわかっているのに抱きしめ合って別れを惜しまずにいられないのは、人間としての無意識に「いつ死んでしまうかわからない」という自覚が疼いているからだろう。
「さようなら」という言葉には、そういう思いが込められている。
「いつ死んでしまうかわからない」という自覚があるから、朝の出会いにときめいて「おはよう」という言葉を投げかけ合う。
人間は、「今ここ」で人生を完結させようとする衝動を、おそらく人類の歴史の無意識として持っている。
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そうじゃない、未来に対する意識を持つことこそ人間性の基礎である……と一般的にはいわれている。しかし、「今ここ」に対する意識が切実だからこそ、そこから未来の時間に対する意識が生まれてのだ。知能が発達すれば当然のように未来意識も生まれ育ってくるとか、そういうものではない。
人間の未来意識が発達(肥大化)してきた契機は、「今ここ」に対する切実さにある。
未来とは、「今ここ」ではない時間のことである。「今ここ」に対する意識が切実で鋭敏だからこそ、「今ここではない」ものに対する意識も生まれ育ってくる。
われわれの意識は、「今ここ」から一瞬遅れて発生する。
「今ここ」は、意識以前の目や耳の身体機能としてとらえられる。その画像や音が、脳のはたらきに処理されてはじめて意識になる。
意識は、目や耳から一瞬遅れて世界に気づく。
もちろんそんなことが表の意識で自覚されるわけもないが、意識は脳に処理されてから発生するという構造になっているかぎり、意識それ自体の与件として、「一瞬遅れている」というはたらき方をしているはずである。
体が傾くと、倒れそうだ、と思ってけんめいにバランスを取ろうとする。キャッチボールをすれば、その空間に向かって投げられたボールがどこに届くかを予測してグローブをかまえる。水道の水を手ですくう……すべて、「予測」によってなされている。
なぜ予測するかといえば、意識が一瞬遅れて発生するという与件の上に成り立っているからだろう。そういう与件の上に成り立っているから、「予測」の意識が育ってくる。もしも意識がリアルタイムの「今ここ」で発生するのなら、「予測」の意識が生まれてくる契機は永久にない。
まったく、意識とはうまくできているものだ。
そして、ここから未来意識が生まれてくる。
人間は、自覚的に未来を予測する。動物は無意識にそうしているだけである。自覚的に未来を予測するのは、それほどに「今ここ」に対する意識が切実だからだ。
人間の未来意識は、「今ここ」に対する切実さの上に成り立っている。
そうして、それほどに「今ここ」に切実なのは、「いつ死んでしまうかもわからない」ようなかたちで心身を酷使して存在している生き物だからだ。
人間は、「今ここ」に対するストレスとときめきを生きている。人間ほどストレスフルに生きている生き物もいないし、ときめきながら生きている生き物もいない。知能が発達しているからではない。心身ともにそういう生命活動になっているからだ。
つまるところ、猿のくせに二本の足で立って暮らしているからだ。
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氷河期の極寒の北ヨーロッパに生きたネアンデルタールほど、生き残ることの困難に身を置いて生きた人々もいない。その過酷な自然環境は、ことに子供はつねに死と背中合わせで、仲間は次々に死んでいった。
脳が冷えると、頭がぼうっとなって気を失ったり、仮死状態になってしまったりする。ネアンデルタールの子供たちは、誰もがそのような体験をしていた。
意識が戻っても、すぐに記憶も戻るとはかぎらない。そんなとき、まわりを見回し、いったいここはどこなのかと思う。そんな体験をしたものたちが、いつまでも生きていられるとどうして思うことができよう。
彼らは、生きにくい生を、やっとの思いで生きていた。その生の未来が保証されている者などひとりもいなかった。
それでも彼らは、そんな生存をもっと住みよい場所があるなどと夢にも思わなかった。ひたすら「今ここ」を受け入れていった。なぜならその環境が彼らの世界のすべてだったからだ。
原始人は、旅などしなかった。だから、あの山の向こうには魔物が住んでいる、などという共同幻想が世界中に生まれてきた。原始時代から人間が旅をする生き物だったら、そんな言い伝えは絶対に生まれてこない。人間は根源的には旅をしようとするのではなく、けんめいに「今ここ」に住み着こうとする生き物だから、そんな言い伝えも生まれてくるのだ。
とくに子供は、自分のいる世界をまるごと信じて受け入れている存在なわけで、それが、30数年しか生きられなかった原始人の心性でもあった。彼らは、「今ここ」のこの生がすべてだと受け入れていった。
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子供にとって「未来」という概念はあいまいである。それは、「今ここ」の延長というより、いわば別世界(他界)のようなものである。
子供の心のほとんどは、「今ここ」に対する意識で占められている。
だから、そんな厳しい環境に置かれたネアンデルタールの子供たちが死ぬのが怖かったかといえば、あんがいそうでもないはずである。
死を怖がるのは、意識が未来に憑依してしまっている現代の大人たちの方だ。
だいたい、いつの時代も、死と背中合わせで生きている人間の方が死を怖がっていない。
それに対して現代人は、明日も生きてあるつもりで未来のスケジュールを紡ぎながら生きているから、死が怖くなるし、死と出会うと大いにうろたえなければならなくなる。
われわれは、明日も生きてあることが約束された存在なのか。そんなものは、迷信だろう。二本の足で立って心身を酷使して存在している人間は、ほかの動物以上に明日も生きてあることが約束されていない存在ではないのか。
ネアンデルタールは、その「明日も生きてあるかどうかわからない」という人間であることの与件を深く受け入れていった。彼らは、人間であることのその与件を人類史上もっとも過激に体験し、もっとも深く受け入れていった人々だった。
人間であることの究極の体験がそこでなされていたのだ。
人間は、死を受け入れる存在なのだ。そういうことを、ネアンデルタールが証明している。そこは、受け入れなければ住み着くことのできない場所だった。
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昔の人は天国や極楽浄土を無邪気に信じて迷信深かったから死が怖くなかったのだとか、現代人のそんな解釈などただの俗説にすぎない。
天国とか極楽浄土などという概念はたんなる観念的な知識であり、誰の心の中にもその奥に人間性の基礎としての歴史的な無意識がはたらいている。その意識をくみ上げることができれば、死を受け入れることができる。人間の心は、ほんらい死を受け入れることができるようになっている。
原始人は、迷信で生きていたわけではない。もっとリアルに、深く「今ここ」に憑依し「今ここ」を受け入れていただけである。
現代人の未来をリアルに感じてしまう心こそ迷信に違いない。
未来とは、「今ここ」ではない別世界(他界)である。
「今ここ」にないものをリアルに感じてしまうとは、お化けをリアルに感じて怖がっているのと同じことだろう。天国や極楽浄土を信じているのは、「今ここ」ではない「未来」をリアルに感じている現代人の方だ。
現代人が死者の霊魂と語り合うために葬送儀礼をするのだとすれば、ネアンデルタールはひたすら嘆き悲しんだあげくに埋葬をはじめた。原始人はそれほどに「今ここ」に対する意識が切実で豊かだったから「埋葬」という行為をはじめたのだ。
葬送儀礼の本質は「悲嘆にくれる」ことにあるのであって、霊魂がどうのということなんか現代人のたんなる制度的欲望の産物にすぎない。
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人間は、ストレス(嘆き)が生命力になっている。
今ここのストレス(嘆き)に耐えられなくなったとき、迷信を生み出す。死を怖がるようになる。明日へのスケジュールで動いている現代社会に暮らす人間は、「今ここ」の人間としてのストレス(嘆き)に耐えられなくなって、どんどん迷信深くなってゆく。そうやっていわゆる「都市伝説」という迷信が生まれてくる。
ネアンデルタールにとって死は、親密なものだった。問題は、ここにある。
日本列島の昔の人々だって、死は親密なものだった。この国には、世界のほかの地域以上に死が親密なものになってきた歴史がある。「切腹」や「神風特攻隊」だって、まあ、そういう伝統の上に成り立っている。外国人はこれを、「日本人は自分で死ぬことの名誉を重んじる国民である」とか、そんなようなことを言っているのだが、そういうことではない。死を親密なものとして受け入れてゆく文化があったのだ。
なぜなら、原始人はみんなそうだったからだ。日本文化は、原始のプリミティブなかたちをそのまま洗練させてきた。
大陸では、「パンドラの箱を開ける」というかたちで、いったんそのプリミティブなかたちを葬った。
では、どこが日本文化と原始時代がつながっているのか。
原始人は、旅をしなかった。だからあの山や地平線の向こうに異民族がいることを知らなかった。今ここが世界のすべてだとして受け入れていった。
同様に、日本列島でも、水平線の向こうは何もないと思い定めて生きる歴史を歩んできた。つまり、日本列島の地理的な条件が、日本人に原始的な心性を残させた。
「今ここ」をひたすら嘆いて受け入れてゆく、というネアンデルタールの心性は、そのまま日本列島の縄文人に引き継がれている。
原始人が死を怖がらなかったのは、天国や極楽浄土を無邪気に信じていたからではない。そこのところを誤解するべきではない。彼らは、「今ここ」の生きてあることをひたすら嘆いて受け入れていたのであり、そこから死を親密なものとする心の動きが生まれてきた。
死が親密なものであることは、「今ここ」を嘆き、それを受け入れている態度からもたらされる。天国や極楽浄土を無邪気に信じているからではない。
言い換えれば、天国や極楽浄土を信じているのは、死が親密なものではないからそんなイメージが必要になってくる、というだけのことだ。
死が親密なものでないのなら、怖がるしかない。怖がっているかぎり、宗教(迷信)が付け入る余地はいくらでもある。
つまり、原始人は死を親密なものとして受け入れていたから、人の心にまだ宗教(迷信)の付け入る余地はなかった、ということだ。
死が怖いものになったころから、人類は宗教(迷信)を必要とするようになってきた。原始人のときからそうだったのではない。
心身を酷使することの上に生命活動が成り立っている人間はほんらい、死を親密なものとして受け入れている存在なのだ。論理的に、どうしたってそういうことになるではないか。
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われわれは、いつから死を怖れるようになったのだろうか。
1万3千年前に氷河期が明けて気候が温暖化すると、人類の寿命は大きく延び、人口は爆発的に増えた。
そうして、「大人」という人種が出現した。
彼らは、人類の歴史に新しくあらわれた人類の厄介者だった。だから、母系制の群れ社会から疎外された存在であったが、人口が密集してくれば混乱も起きてきて、女たちはその混乱から逃れてそれぞれ「家族」という単位をつくっていった。で、その家族の中に、「大人」という新しい人種を「父親」として挿入していった。
父親が「家族」をつくったのではない。人類史における「父親」とは、いちばん最後に家族に挿入された存在にすぎない。
子育てをする空間である家族に、父親の役割はほとんどなく、どうしても疎外されがちになる。だから彼らは、家族の外に出て大人どうしのサロンをつくっていった。そこから「政治」が生まれ、「労働」が生まれ、「旅」が生まれ、「戦争」が生まれ、「交易」が生まれていった。
彼らは、「今ここ」にはないものを求めていった。もともと「家族」という「今ここ」から出てきたものたちであるから、どうしてもそういう発想になる。
彼らは、「今ここ」の外の存在だった。そうして人類で最初に異民族に遭遇した人々だった。つまり、「今ここ」にない対象を見つけたのだ。その対象との関係で戦争をはじめ、共同体(国家)をつくっていった。彼らにとっての「他者」は、「今ここ」の目の前にいる「あなた」ではなく、「今ここ」にはいない対象だった。
彼らは、異民族と戦争をして奴隷を集めてくることによって、急速に共同体や農耕牧畜を発展させていった。氷河期明けに最初にこのようなことが大規模に起きてきたのが、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河四大文明の地だった。
彼らにとって死は、もはやみずからの身に起こる親密なものではなく、「今ここ」にはいない異民族のもとにあり、しだいに、みずからの死を怖れるようになっていった。
この世に「大人」という人種が出現することによって共同体やさまざまな文明が発展してきたが、人類に「死の恐怖」という心の動きをまき散らしたのも、じつは彼らだったのだ。
そうして、天国や極楽浄土という迷信が生まれてきた。
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しかし日本列島では、仏教伝来までこの迷信の洗礼を受けることなく、死を親密なものとする文化をずっと育んできた。それが、死んだら何もない「黄泉の国」に行く、という原始神道の世界観だった。死が親密なものだからこそ、こういう世界観が持てるのだ。原始時代の日本列島には、天国も極楽浄土も必要なかった。
そしてわれわれは、いまだにこの世界観を心の奥のどこかしらに抱えている。われわれは、「今ここ」にないものに憑依してゆく「大人」の世界観を持つことがとても苦手な民族である。
縄文以来われわれはずっと、「今ここ」に生きてあることの「嘆き」とともに死を親密なものとする文化をはぐくんできた。
外国人がそれを「死を名誉とする文化」と解釈したがるのは、死を親密なものとすることなく、天国や極楽浄土を重ね合わせることでしか死をイメージできない人々だからだ。
名誉なんかなくても、もともと日本文化においては死は親密なものだったのだ。ネアンデルタールがそうであったように。
日本列島もネアンデルタールも、「大人」の文化ではない。
人類の歴史に、もともと「大人」などという存在はいなかったのだ。
人間性の基礎は、若者や子供のもとにある。

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