2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧

この世界に体ごと反応するということ・ネアンデルタール人論230

1 人に対してであれ景色に対してであれ、この世界に「体ごと反応する」ということは、やっぱりあるわけですよ。 脳の「ブローカ野」という部分の名称で知られているブローカという学者は、「人は言葉を記憶しているのではない、言葉の運動を記憶しているの…

ひとりぼっちということ・ネアンデルタール人論229

1 この国の古人類学の主流であるらしい「集団的置換説」においては、4〜3万年前のヨーロッパにアフリカ人(ホモ・サピエンス)の大集団がやってきて先住民であるネアンデルタール人の集団を呑みこんでしまっったということになっている。 しかしアフリカ…

「フラッシュモブ」という集団パフォーマンスがあるらしい

「フラッシュモブ」という集団パフォーマンスがあることを、恥ずかしながら今日初めて知りました。 欧米で始まったらしく、今や世界中に広まりつつあるのだとか。それは街の広場などで催されることが多く、最初のひとりまたは少人数の歌や演奏や踊りがしだい…

結束なんかしない・ネアンデルタール人論228

1 日本人の自我意識の薄さということは、考えるに値する問題だと思う。 それが日本人の限界だとは思わない。 むしろ可能性ではないだろうか。 社会的に成功して自意識過剰のまま生きていられればそれがいちばんの幸せかといえば、きっとそうなのだろうが、…

私の前にはあなただけがいる・ネアンデルタール人論227

生きてあることなんかうんざりなのに、それでも人は生きてしまう。 ろくでもない世の中だけど、それでも人と出会えばときめいてしまう。 何より自分自身がろくでもない存在で、だからこそ他者の存在が輝いて立ちあらわれる。 人の心は、「出会いのときめき」…

いたたまれなさとなやましさ・ネアンデルタール人論226

1 人は住みにくさを厭わず住み着いてゆくことができる存在だから、地球の隅々まで拡散してゆくことができた。 故郷の景色は懐かしい。故郷のほうが住みよかった。故郷から離れることによって、いっそう故郷の景色の懐かしさが胸にしみてくる。 まあ、故郷に…

世の中を変える・ネアンデルタール人論225

1 小林秀雄はこういった。 「思想は実生活から生まれてきて、実生活と決別することによって思想になる」と。 そうだろうな、と思う。 人はこの生からはぐれている存在であり、それによって人間的な知性や感性が育ってくる。 知性や感性とは、この生からはぐ…

この生の外の世界・ネアンデルタール人論224

1 いっとくけど、ネアンデルタール人が氷河期の北ヨーロッパに住み着いていたということは、誰もが「生きられないこの世のもっとも弱いもの」として生きていたということなのですよ。世の多くの人類学者たちが合唱しているような、その頑健な身体能力だけで…

死んでゆく人の尊厳・ネアンデルタール人論223

1 じつは、僕の親しい友人がガンになって、余命半年と宣告されている。あちこちに転移してしまってすでに手の施しようがないのだとか。 しかし彼は、少しもうろたえることなく、「仕方ないさ。見るべきものはすべて見た。もういいよ」という。 そのすがすが…

どうでもいいや・ネアンデルタール人論223

1 今どきは、自意識過剰の人間がたくさんいて、うんざりしてしまう。 というか、年をとると他人の自意識過剰のさまに敏感になってくるらしいのだが、若いときからすでに敏感な人は、そうやってこの先もずっとひといちばい傷ついたり幻滅したりして生きてい…

理想の社会は存在するか・ネアンデルタール人論222

1 原始人であるネアンデルタール人が、氷河期の北ヨーロッパという苛酷な環境に、体力や意志の力だけで住み着いてゆけるはずがない。それを可能にしたのは、誰もが他愛なくときめき合いながら心も体も温め合ってゆくという、その関係性の生態にあった。 か…