理想の社会は存在するか・ネアンデルタール人論222

原始人であるネアンデルタール人が、氷河期の北ヨーロッパという苛酷な環境に、体力や意志の力だけで住み着いてゆけるはずがない。それを可能にしたのは、誰もが他愛なくときめき合いながら心も体も温め合ってゆくという、その関係性の生態にあった。
かんたんに「戦争をするのは人間の本能だ」などといってもらっては困る。
ネアンデルタール人が、人を殺してでも生き延びようとするような強い自我の衝動(=欲望)を持っていたのなら、そんな苛酷な地などさっさと捨てて、住みよい暖かい地に移住していったに違いない。つまり、人類拡散など起きていない、ということだ。
住みにくさを受け入れているものたちには、憎み合ったり戦争をしたりしている余裕はない。
住みやすさ、すなわち自我の安定充足を求めるから、人を憎んだり戦争をしたりということが起きる。人類は、文明発祥とともにそんな欲望に目覚めていったが、それが原始時代の歴史だったのではないし、現代においてもそんな欲望にとらわれていない人はいくらでもいる。
そのときネアンデルタール人は、「もう死んでもいい」という勢いでときめき合ってゆく人と人の関係のカタルシスを生きていた
彼らは、見知らぬ旅人を歓待したし、誰もが集団からはぐれてゆく旅心を持っていた。彼らの集団は、つねに離合集散を繰り返していた。そこでは、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」が豊かに生成していた。
彼らの集団どうしが出会えば、たとえば一緒になって狩りをするというような「連携」が生まれてきた。彼らは大型草食獣の群れを窪地に追い込んでまとめて捕獲するというような狩りもしていたのだが、それは、ひとつの洞窟集団のメンバーだけでできることではなかった。
現在のヨーロッパの国家のほとんどは、複数の都市国家の集合として成り立っている。そして、EUという国家どうしの連合も実験されている。もちろん戦争もしてきたけれど、そのような「連携」の生態はネアンデルタール人以来の伝統なのだろう。
アラブ世界ではこうはいかない。歴史的に、ひとりの王のひとつの国家がそのまま拡大してゆくということは何度かあったが、国家どうしが連携するということはしない。それが「結束」の集団性の伝統なのだ。近代のオスマン帝国はヨーロッパの一部のバルカン諸国も支配するほど拡大していたが、どうしてもそれ以上拡大できないままヨーロッパ諸国の「連携」に押し返され、衰退していった。強大になればひとつの小国を亡ぼすことなんかかんたんだが、小国どうしに連携されると、結束しているがゆえに融通が利かないという弱みが露呈されてくる。ヨーロッパとアラブ世界との戦争の歴史は、つねに「連携」の戦術と「結束」の戦術とのぶつかり合いだった。

イスラム教は、どうしても原理主義になりやすい。例外やバリエーション(変化)を混ぜてしまったら、幾何学模様のアラベスクにならない。それに対してヨーロッパの「連携」の文化は、バリエーションの妙を追求するかたちで発展してきた。たとえば「フーガ」という音楽技法は、ひとつの主題をどんどん変化させながらつなげてゆくわけで、ヨーロッパ人は、その変化と連携の妙を味わう感性を持っている。
気持ちが移ろってゆくこと。そうやって盛り上がってゆくにせよ鎮まってゆくにせよ、そういう移ろいを感じて いなければ、寒さに耐えられない。気持ちを紛らわせる、と言い換えてもいい。ネアンデルタール人の時代においては、気持ちが停滞し固まったままでいたら凍死してしてしまう環境だった。退屈しているわけにいかなかった。
寒いと、そのことばかり気になって、どうしても気持ちが動かなくなってしまう。原始人の文化のレベルでは、一気に寒さを忘れてしまうことなんかできない。少しずつ忘れてゆく方向に移ろってゆく工夫が必要だった。おそらくそれが、「フーガの技法」の原型なのだ。
複数の洞窟集団の男たちが一緒になって大型草食獣の群れの狩りをする、それだってひとつの「フーガの技法」だといえる。おたがいにカッとなって戦争をはじめるというのではなく、狩りというひとつのテーマに沿ってたがいのバリエーションをつなげてゆく。
「ときめき」は、気持ちが「移ろう」ことであって、「カッとなる」ことではない。
集団ヒステリーなどというが、人の心は、「結束」するときにこそもっとも激しく「カッとなる」のだ。ネアンデルタール人の社会には、集団どうしにも個人どうしにも、そういう「結束」はなかった。彼らの集団は、つねに離合集散を繰り返していたし、男と女はたえずパートナーを変えるフリーセックスの社会をつくっていた。それは、彼らが気持ちの「移ろい」を生きていたことを意味する。
離合集散を繰り返している集団どうしが戦争をすることは、論理的にありえない。彼らの集団にそのような「結束」はなかったし、離合集散ができる「連携」があった。
氷河期の北ヨーロッパの寒さの中で凍えていれば、そうかんたんに気持ちは動いてゆけない。それでも、動いてゆかなければ生きられない。一気に寒さを忘れてしまうことなんかできない。心は、少しずつ移ろい動いてゆく。それがヨーロッパ人の「探究心」や「フーガの技法」の伝統になっていった。なにかに関心を寄せていなければ、寒さを忘れることなんかできない。それはもう、寒さすなわちこの生のいたたまれなさをどう紛らわせるか、どう克服するか、という人間性の普遍の問題でもある。
人は、心が移ろい動いてゆかなければ生きられない。固定された正義の信念だけでは生きられない。幸せや自己に対する意識に執着しまどろんでいるだけでは生きられない。心は、自分=身体に向いていることによって停滞する。心が移ろい動いてゆくとは、自分に張り付いた意識を引き剥がして自分の外に向けてゆく、ということだ。
まあ、言葉は、声を発して自分に張り付いた意識を引き剥がす装置というか行為として生まれてきた。誰もが自分に張り付いた意識を引き剥がそうとしている集団から生まれてきた。
心が移ろい動いてゆくことはネアンデルタール人にとっての希望だったし、それは、本質において猿よりも弱い猿である人類普遍の希望でもある。。
「希望」とは、未来を計画することではなく、「今ここ」で心が移ろい動いていることだ。そうやって人は「ときめく」という体験をする。
あるべき未来を決定してしまったら、それにとらわれて心は動かなくなってしまう。
「どうでもいいや」というかたちで心がニュートラルな状態になっているからこそ、移ろい動いてゆくことができる。人間性の自然においては、未来なんか計画しない。この世に理想の社会などない。理想の人間も存在しないし、理想の人間になれるはずもない。どうでもいいや……。