都市の起源(その三十六)・ネアンデルタール人論187

その三十六・連携の文化

人類の歴史は、「避けがたく支配されてしまう無防備な心」つまり「支配しない心」が成熟してきて「都市」という無際限に膨らんだ集団を生み出した。誰もがそういう心を持っていなければ、そんな鬱陶しい集団の中で暮らすことはできない。人類は、拡散するにつれてそういう心を成熟させてきたのであり、そういう都市生活の作法の基礎は、氷河期の北の果てまで拡散していったネアンデルタール人によって仕上げられた。彼らは、そうやって、誰もが無防備に他愛なくときめき合い、豊かに連携しながらその厳しい環境を潜り抜けてきた。
人類史の最初の「都市集落」は、氷河期明けの1万年前ころにエジプト・メソポタミア地域で生まれ、その混乱を収拾するように、「王」による支配が機能した「都市国家」へと変質していった。そこではヨーロッパのような「連携」の文化が貧弱だったからこそ無際限に大きな集団になってゆくことができたし、アフリカ的な「部族意識」で「結束」してゆくメンタリティを取り入れながら国家制度をつくり上げていった。それは、アフリカの部族意識が先祖の英雄(救世主)を祀り上げてゆくことにあるように、「王」を祀り上げてゆくことだった。


人と人は「避けがたく支配されてしまう無防備な心」すなわちそういう「生きられない心」を共有しながら「連携」してゆく。ともあれ、そういう関係が成熟していって「都市」が生まれてきた。そしてそういう関係は、まずヨーロッパで生まれ、それがエジプト・メソポタミアに伝播してゆき、そこではもう「連携」の関係を置き去りにして無際限に人口が膨らんでいった。
戦争において「人海戦術」はアラブ世界の伝統であり、ヨーロッパの戦術は「連携」を基礎に持っている。それがアレキサンダー以来のヨーロッパの伝統であり、「連携」の及ぶ範囲でしか集団になれないという限界があってそのために人海戦術のアラブ世界の軍隊に侵略される時期もあったにせよ、歴史全体を通じてはそれによってアラブ世界を圧倒してきた。
考古学の証拠がどうなっているのか知らないが、厳密にいえば、人類最初の「都市」はヨーロッパで生まれてきたのかも知れないのであり、その「連携」という「集団性」の基礎はネアンデルタール人がつくった。ただ、ヨーロッパではエジプト・メソポタミアほど野放図に大きな集団はつくれなかった、というだけののこと。エジプト・メソポタミアだってはじめはヨーロッパ的な「集団性」の影響を受けながら「都市」になっていったのであり、そこからさらに野放図に膨らんだ集団をつくっていった。エジプト・メソポタミアの集団性の強みは、「連携」の文化を基礎として持っていないところにある。だから、いち早くアフリカ的な「結束」の文化を取り入れてゆくことができた。そして同じころのヨーロッパはネアンデルタール人以来の「連携」の文化の伝統を持っていたがゆえにエジプト・メソポタミアほどの大きな集落はつくれなかったが、エジプト・メソポタミアよりもすでに都市的だったのかもしれない。
チンパンジーの群れはどんなに大きくなっても150頭くらいが限度で、原始人がたとえば1000人くらいの集落をつくれば、それはもう「都市」といえるのかもしれない。そのていどの規模の集落なら、ヨーロッパのほうが先にあらわれたのかもしれない。


ヨーロッパは、アラブ世界が壁になって、いまだに「結束」の集団性が希薄なところがある。だから、現在のEU連合だって、イギリスが離脱するといえば、「だったらさっさと離脱していってくれ」などと答えて、おたがい困るとわかっていても、離脱しないようにと説得しようとする素振りなどみせない。「連携」の裏返しとしての「駆け引き」がすでにはじまっている。彼らは、豊かに「連携」してゆくことができる文化の伝統を持っているが、同時に「別れる」ということに耐えられる文化も持っている。それはおそらく、ネアンデルタール人以来の伝統なのだ。豊かに「連携」しつつ、「結束」もしないし「監視」もしない、という都市生活の作法は、ネアンデルタール人の社会で本格化してきた。
人類最初の都市のひとつである9000年前のメソポタミアの「チャタル・ヒュユク」の遺跡は、すべての平屋建ての家がつながっている8000人の集合住宅で、出入り口はすべて屋上につくられていた。そういう「結束」の集団性は、アラブ世界の伝統であるらしい。彼らは、他者を「監視」しようとする傾向が強く、その傾向とともに「集合住宅」になっていったのだろう。
また、その伝統の影響を受けて、のちの時代にはヨーロッパでも集合住宅の文化が広がっていった。しかし、アフリカ的な「部族意識」で「結束」してゆくことは、いまだにうまくできない。まあ、それができるなら、最初から「移民」なんか受け入れない。「結束」しないで「連携」してゆく文化だから、移民を受け入れ棲み分けてゆくことができる。ユダヤ人のゲットーをつくったことだって、彼らなりの棲み分けの流儀なのだろう。まあ現在は、うまく棲み分けができなくなってしまっているところに彼らの苦悩があるのかもしれない。今さらゲットーをつくるわけにはいかない歴史的ないきさつがあるのだろうが、現在の移民受け入れの方法はずいぶんゲットー化しているといえなくもない。


民族主義は現在の世界的な潮流で、ヨーロッパはいずれ移民を受け入れなくなってゆく」などとしたり顔していう知識人もいるが、はたしてヨーロッパの伝統がそれですむのだろうか。彼らは本当に「民族」だけで「結束」してゆくことができるのだろうか。その昔、南ヨーロッパに大移動していったゲルマン民族は、みんな故郷に帰ってゆくのだろうか。
スコットランドがイギリスから独立してEUに残るといっても、それが民族主義なのかグローバル主義なのか、よくわからない。
「連携」こそ、ヨーロッパの都市文化の伝統であり、ネアンデルタール人の時代以来、つねに人の「移動」が起きていたのがこの地域の風土なのだ。彼らは、ごく普通によその国に出稼ぎに行ったりする。そういう人の往来の習慣文化を残しながら、アラブ世界から移民だけは受け入れないというわけにいくのだろうか。
フランスやドイツが移民との関係をどうやりくりしてゆくかと苦心惨憺しているときに、イギリスだけがいやだといったら、そりゃあ気分が悪い。
イギリスは島国だからヨーロッパ大陸の国とはそれなりに精神風土の違いはあるのだろうが、今さら「出稼ぎには行かない」「出稼ぎに来るな」という流儀でやっていけるのだろうか。貴族階級や富裕階級はそれですむのだろうが、それによっていっそう階級格差が進んで停滞してゆくのかもしれない。戦後のイギリスはそうやって大英帝国の余韻をまさぐりながら停滞していったのだが、たとえば、そんなさなかにイギリスの若者たちは、ヨーロッパではいち早くアメリカのロック文化に憧れ、ブリティッシュロックとかUKロックとかブルー・アイド・ソウルとかというジャンルを打ち立て世界に進出していった。
島国だからこそ海の向こうの文化に憧れる、ということもある。
なんのかのといってもヨーロッパ人は、ひとりひとりが孤立しつつ、「連携」してゆきもする。「結束」しないが「連携」する。それが、ネアンデルタール人以来のヨーロッパ的都市文化の伝統であり、さらにいえば、二本の足で立ち上がって以来の人類史の伝統でもある。
ただ、ヨーロッパ人どうしは連係できても、アラブ世界に対する違和感は抜きがたく疼いている。地理的に隣接しているからといっても、フランスとドイツだって隣接して敵対関係になる歴史を歩んできた。それでも今、EUで連携している。彼らのアラブ世界に対する違和感は、もしかしたらその「結束」してゆく生態に対してのものではないかとも思える。ユダヤ人の結束力だって、ヨーロッパ的連携とは大いに異質だ。アラブ人だけではない、ヨーロッパにやってきた中国人も朝鮮人も「結束」したがるところがあって、いまいちヨーロッパ人に信用されない歴史を歩んできた。
まあこんな民族主義的なことをいうのもなんだが、日本人だけは裸一貫の無防備な態度で向うの世界に飛び込んでゆくようなところがあり、それによって例外的に「連携」ができるパートナーとして迎えられたりしてきたし、幕末明治のころに侵略にされないでもすんだということもある。
日本列島もヨーロッパも、じつは民族主義の歴史を歩んでこなかった。裸一貫の孤立したものどうしの「連携」の文化。ヨーロッパ人がユダヤ人やイスラム教徒と鋭く対立するのは、民族主義というよりも、「連携」の文化と「結束」の文化との根源的な集団性の違いからくるのではないだろうか。


「結束」か、それとも「連携」か……。
移民として受け入れても、移民どうしで結束されたら、連携なんかできない。これはもう、日本列島の「在日」の問題でもある。裸一貫で飛び込んでくるのなら、けっして拒みはしない……といえば、きれいごとすぎるだろうか。
一体感とともに結束してゆくことは、たがいの自意識を温存し合うことであり、他者と一体化してゆくことによってさらに自意識が膨らみ恍惚となっている。
たとえば、リビングルームで、あるお父さんが赤ん坊を膝の上に抱いてぼーっとテレビに見入っている。そのときまわりの世界は消えて、自分と赤ん坊だけになっている。その一体感の恍惚。イスラム教徒がコーランの祈りの言葉を唱えながら神との一体感で恍惚となってゆくことだって、これと同じだろう。そういう体験ができる人たちだから、「結束」の集団性で歴史を歩んできた。ユダヤ人しかり、アラブ世界の人々は、きわめて過激な「結束」の集団性を持っている。神との一体感において、彼らに勝る民族はこの世にいない。ヨーロッパ人は、そのことに対して大きな畏怖と拒絶反応を持っている。
イギリス人からすれば、ポーランドからの出稼ぎ移民を受け入れることはできても、イスラム世界の「結束」の文化を持ち込まれると、なんだか自分たちの文化の根拠というか立脚点を揺さぶられているような不安を覚えるのではないだろうか。フランスやドイツよりも、島国であるイギリスのほうがムスリムというイスラム世界からの移民に対する差別意識や拒否反応が強い。
イギリス人は閉鎖的で頑固で差別意識が強いといっても、彼らの階級社会は、階級間の「連携」でもある。「結束」しない文化だから「階級」ができてしまうし、だからこそ「連携」の意識も高い。なんといっても、サッカーやラグビーという「連携」のスポーツを生み出したのは彼らなのだ。彼らの「階級」は、支配関係ではない。労働者は貴族に支配されているわけではない。貴族の役割と労働者の役割が分担されているだけだろう。それはもう、フォワードとゴールキーパーの違いのようなものだ。昔の戦争では、馬に乗った騎士が先陣を切って闘い、歩兵が先に行って捨て駒になるというようなことはなかった。倫理道徳の問題ではない。彼らなりの「連携」の論理というのがあるのだろう。
ともあれ人と人の「連携」は、たがいに孤立した「生きられない」存在として向き合いながら、たがいに相手を生かし合ってゆくことにある。そうやってネアンデルタール人は氷河期の北ヨーロッパで暮らしていたし、今なお都市とは、本質的にはそういう関係の上に成り立っている集落であるのではないだろうか。そうやって誰もが、深く豊かに語り合える「あなた」を探しながら、この「生きられない」生のさなかで暮らしている。