2012-11-01から1ヶ月間の記事一覧

骨の人格と死後の世界・「漂泊論B」38

1 原始人に「あの世=死後の世界」という意識などなかった。 この国の古代において、死んだら何もない「黄泉の国」に行く、という神道の死生観があった。しかしそれが生まれてきたのは、縄文時代の1万年を死後の世界などイメージしない歴史を歩んでしまっ…

祖霊信仰とまれびと信仰・「漂泊論B」37

1 一般的には、原始神道といえば先祖の霊を祀る「祖霊信仰」のようなことがいわれている。これは、柳田国男がしつこくそう繰り返していたことの影響だろうか。 「死後の世界」というイメージがないのなら、「先祖の霊を祀る」ということもない。 縄文人は、…

原始人の自然観・「漂泊論B」36

1 現代では、科学者ですら、自然の森羅万象には神の作為がはたらいている、と言い出す人がいる。その「作為」を信じる観念性のことを「迷信」という。 原始人は、そんなものは信じていなかった。すべては何ものの作為もはたらいていない「なりゆき」の現象…

原始神道・「漂泊論B」35

1 原始神道とは日本列島土着の信仰のことであり、それはもう縄文時代からはじまっている。 弥生人は大陸からやってきた人々であるというのは嘘で、縄文人が弥生人になっただけである。基本的には、日本列島の住民が狩猟採集の生活から農耕生活に変わってい…

世界の秩序と混沌・「漂泊論B」34

1 僕は、神や霊魂を信じていないのではない。 たぶん、心のどこかで信じている。 しかしそれは、そういうことを信じさせられてしまうような社会の制度性の中で生きているからであって、自分が信じているからそれが存在することの証拠だとは思わない。 僕は…

祭りと神の関係の嘘・「漂泊論B」33

1 <承前> やまとことばの「なる」には、作為をあらわす意味はない。 作為的な意図がある場合は「なす」という。古代人は、そういう違いは分けておかないと落ち着きが悪かったらしい。 「な」は「なれる」「なじむ」の「な」、「親密」の語義。親密な感慨…

神を見たか?・「漂泊論B」32

1 「神」とか「霊魂」とか、いったん信じてしまったらもう引き返せないものらしい。 信じている人に「信じるな」といっても、無理な話である。人の心のはたらきの普遍的なしくみとして、いったん信じたら、どんどん信じてゆくようにできているらしい。 ライ…

霊魂は存在するか?・「漂泊論B」31

1 「ルール」という言葉につまずいてしまった。 もう少しこのことにこだわってみたい。 ルールとは、選択肢を奪われて不自由な状況に立たされる装置のこと。 しかし命は、その不自由の中でこそいきいきとはたらく。 この生は、先験的に不自由の中に投げ入れ…

生きることは空しいか・「漂泊論B」30

1 <承前> 何をしても空しい、という人がいる。 とくに、歳をとって世の中の動きからリタイアした人に多い。 そりゃあそうだろう、この世に「しなければならない」ことなど何もない。 「しなければならない」ことをして生きてきた人がそのことに気づいてし…

ルールの起源・「漂泊論B」29

1 それは、自由とは何か、と問うことでもある。 しかし人間は、もともとそれほど自由な存在ではない。 原初の人類が二本の足で立ち上がることは、とても不安定で不自由な姿勢であったはずである。動きは鈍く不自由になるし、胸・腹・性器等の急所を外にさら…

答えのない問い・「漂泊論B」28

1 三つ子のたましい百まで、というが、たしかに人の考え方や行動様式はそうかんたんには変わらない。 それは、そういうことが「過去の記憶(データ)」の上につくられているからだろう。 過去はもう変更できないのと同じくらいその人の性根も変わらない。 …

人間と猿を分けるもの・「漂泊論B」27

<はじめに> ブログランキングに登録しました。 どちらかというと世間に背を向けたようなブログだからそんな場に参加する柄でもないのだけれど、だからこそたとえ少数でも「あなた」にこの言葉を届けたいという思いもそれなりに切実です。 このブログは直立…

それどころじゃない・「漂泊論B」26

1 意識は絶対的に身体の危機を回避しようとする。 だから、苦痛という意識のはたらきが起きてくる。苦痛がなければ、そのまますんなり死んでしまえる。 では人間は生きようとしているのかといえば、それとこれとはまた別の問題だろう。 人間なんか何か嫌な…

視覚画像の起源・「漂泊論B」25

1 毎朝庭にやってくる鳥がいる。 家のものはそれを死者の生まれ変わりかと思い、水や餌を与えて、ときには話しかけたりする。 死んだ妻、死んだ夫、死んだ子供、死んだ祖父や祖母……。 こういうことを、その人の心やさしさとか、人間と自然のかかわりの原点…

生命の起源・「漂泊論B」24

1 人間は避けがたく「死にたい」という願いを持ってしまう存在であり、命なんか尊くもなんともない。人々が尊いと思いたがっているだけの話であり、ひとまずそういうことにして共同体の結束をつくっている。だからそう思えない人は、その結束から排除され置…

死ねないと絶望している・「漂泊論B」23

1 人間は「死にたい」と願いつつ「死ねない」と絶望している存在である……これが、人類の歴史を考える上でのわれわれの前提である。このことは、どうしてもいいたい。何度でもいいたい。 猿であった原初の人類が二本の足で立ち上がったのはそういう資質を持…

死にたいと思っている・「漂泊論B」22

1 「死にたい」と思ってもかまわない。それこそが人間の自然なのだ。 「死にたい」という思いを手放すべきではない。 「死にたい」と思いつつ「死ねない」と絶望しているのが人間なのだ。人類の歴史はそのようにして動いてきたのであり、そこにこそ人間であ…

自殺できないわけ・「漂泊論B」21

<はじめに> ブログランキングに登録しました。 どちらかというと世間に背を向けたようなブログだからそんな場に参加する柄でもないのだけれど、だからこそたとえ少数でも「あなた」にこの言葉を届けたいという思いもそれなりに切実です。 このブログは直立…

原初の生命観・「漂泊論B」20

1・人は母子関係から生きはじめる 哲学者の中島義道氏は「子供のころは死ぬのが怖くてたまらなかったから死のことばかり考えていた」といっておられるのだが、子供が死ぬことを怖がるというのはよくわからない心の動きだ。 中島氏にとっては、死ぬのが怖く…