神を見たか?・「漂泊論B」32



「神」とか「霊魂」とか、いったん信じてしまったらもう引き返せないものらしい。
信じている人に「信じるな」といっても、無理な話である。人の心のはたらきの普遍的なしくみとして、いったん信じたら、どんどん信じてゆくようにできているらしい。
ライオンを見たことのある人に「ライオンなど存在しない」といっても通用しない。
実際に見ようと幽霊のような幻として見ようと、関係ない。見たものは見たのだ。この目が見たのだ、という体験である。
人間は、そうかんたんに「過去のデータ」を手放さない。
この生は、「過去のデータ」の上に成り立っている。
われわれの目の網膜がとらえるこの世界の現実の画像はきわめて不完全なもので、その不完全な画像を「過去のデータ」としていくつも組み合わせてゆくことによって、はじめていまここの画像が鮮明なかたちになる。
だから、生まれたばかりの赤ん坊は、この世界の現実の画像がどのようになっているかよくわからない。見えていても、見えないのと同じ状態になっている。その不完全な画像が意識のはたらきによって整理され組み合されてゆくことによって、はじめてこの世界の現実として確かなかたちの画像になってゆく。
お母さんの顔が顔として見えるようになるまでには、たぶん1、2カ月かかる。怖い話である。ここで組み合わせ方を間違ってしまったら、一生治らない。実際に間違ってしまった例もあるそうだが、色盲などはごくごく小さなボタンの掛け違いであるのかもしれない。
われわれのこの世界の現実の視覚画像は、意識のはたらきに補完されて成り立っている。
われわれは、「過去のデータ」を持っていなければ、この世界の現実の画像をうまく結ぶことができない。
だから「神を見た」とか「霊魂を感じた」という体験も、大切な「過去のデータ」として意識の中にインプットされている。そのデータはもう修正できないし、失ったら、その人の存在そのものが危うくなる。
「神を見た」という体験をしてしまった人はもう、一生、神は存在するという世界観で生きてゆくしかない。
「霊魂を感じた」という体験をしてしまった人はもう、一生、霊魂は存在するという生命観で生きてゆくしかない。
しかしこの見方感じ方も人によってグラデーションがあって、きわめてクリアに体験できる人はまれで、われわれの多くは、見たような見なかったような、感じたような感じなかったような、というていどのあいまいなレベルでしかない。
だから、クリアな体験をした人の話に引き込まれてしまう。



「神」とか「霊魂」の話は、それを見たことも感じたこともないわれわれにとっては意外性に満ちていて、とてもおもしろい。
そして彼らは、それを自信たっぷりに確信をこめて語る。
われわれにとってはただのつくり話でも、彼らにとっては実際の体験談なのだ。そしてわれわれもそんな体験をしたようなしなかったようなぼんやりした「記憶=過去のデータ」を持っているから、信じさせられたりおおいにおもしろがったりする。
神や霊魂の話は、もっとも有効なエンターテインメントのひとつである。それは、共同体の発生以降におけるエンターテインメントの王道になっていった。
それ以後、神や霊魂をクリアに体験している人は、現在に至るまで選ばれた人である。古代においては、乞食坊主であれ琵琶法師以下の旅芸人であれ、本気でその話を語ることができるなら、まあ神からつかわされた「選ばれた人」だった。
しかしそれは、古代においても誰もが神や霊魂について語れたわけではないということである。
いつの時代においても、人間なんて、神や霊魂のことなどあいまいにしか感じていない存在なのだ。
なぜなら人間は、神や霊魂によって「解決された世界」だけでなく、「解決されていない世界」に身を置いてひたすら「わからない」と問い続けている存在でもあるからだ。



「物語」という。古代におけるこの場合の「物=もの」とは、神とか霊魂のことであった。共同体の発生以降の「文学」は、そのような話として生まれ育っていった。
共同体(国家)の発生以降、人類は神とか霊魂という概念を持ってしまった。いったん持ってしまったらもう引き返せない。なぜなら人間は「過去のデータ」で補完してこの世界を解釈している生き物だからだ。
そして、意識が「過去のデータ」で補完してこの世界を解釈しているということは、身体の五感においてはこの世界を完全には解釈できないということを意味する。
身体の五感においてはこの世界は解決されていないのであり、われわれは「解決されていない世界」を生きている。解決されていたら意識のはたらきなど必要ない、ということだ。
人間は、根源において「解決されていない世界」を生きている。われわれがこの世界に生まれ出てきたとき、この世界は解決不能のわけのわからかない世界だった。そしてこの世界観を終生引きずって生きてゆくのだ。これが、人間の根源的な生きてあるかたちなのだ。
しかし、だからこそ意識がいきいきとはたらく。
すなわち、原始人にとってこの世界は「解決された世界」ではなかった、ということ。したがって原始人は、この生の問題を解決している「霊魂」などという概念は持っていなかった。
人間は、解決されてあることにあこがれる。それは、「解決されていない世界」を生きているからだ。解決されないまま、永遠にあこがれ続けて生きている。そういう「あこがれ」で、この世界の視覚画像をつくっているのだ。
解決にあこがれているから、解決している存在としての神や霊魂の話が無上のエンターテイメントになる。
もしも世界中の誰もが神や霊魂の存在を信じ切っているようになれば、そんな話などおもしろくもなんともなくなってしまうだろう。
人間は根源において神も霊魂も信じていない。だから、神や霊魂の話がおもしろいのだ。



古代人は、われわれ以上に神や霊魂の話をよろこんだかもしれない。しかしそれは、われわれ以上に「解決されていない世界」を生きていたからだ。そして原始人は、もっと「解決されていない世界」を生きていた。
彼らは神や霊魂を信じ切っていたのではなく、神や霊魂の話に初心(うぶ)だっただけだろう。
最初、神や霊魂の話は、人々にとってかなうことのないあこがれだった。だからそれは、神の世界の「神話」として生まれてきた。それがやがて、時代を経るにしたがって現実に起こる話になっていった。
現代社会には、そういう話があふれている。だいいちわれわれのこの社会には、お金という霊魂=神が大手を振って闊歩している。
古代において神は、どこか遠くの別世界の存在であったが、やがて、人間の世界にやってくる話がつくられるようになってきた。
日本列島においては、乞食の格好をしてやってくる話が多い。縄文時代には、旅に疲れて乞食のような格好をした男たちの小集団が女子供だけの小さな集落に訪ねてくる、という習俗があった。日本列島には男たちが旅をする習俗があったし、旅人はつねに疲れて乞食のような格好をしていた。
縄文時代の旅人は、別世界の物や話を持ってくる存在として、女子供のあこがれの対象だった。もちろん女にとってはセックスの相手でもあったわけで、古代には女が神と契りを交わすという話がたくさん生まれてきた。アマテラスという女の神をまつる日本列島で訪ねてくる神が男であるというのも妙な話だが、おそらく縄文時代のそういう習俗の伝統から生まれてきた話なのだろう。
というわけで、日本列島ではいつの間にか女が神とコンタクトをとる存在になってゆき、それが「巫女」の起源になった。



古代、神は旅人であった。そして女が、その旅人である神をもてなす存在になっていった。
江戸時代の旅籠に「飯盛り女」という娼婦がいたのも、そういう伝統にちがいない。
ともあれ、古代における神や霊魂の話はあくまで別世界の出来事だったのであり、人間の身体に霊魂が宿っている、というイメージは、仏教などとともに中国大陸から伝えられたにすぎない。
縄文時代には、実際に男たちが旅人としてやってきてセックスもしていたのである。そういう現場で神が訪ねてくるとか神と契りを交わすという話は生まれにくい。
まあそういう伝統を「過去のデータ」として、そういう話が生まれてきたのだ。
もちろん、縄文時代にも「かみ」という言葉はあったにちがいない。しかしそれは、自然のしくみとか摂理というような意味だったのであって、「神(ゴッド)」という存在をイメージしていたのではない。
古事記の話にもある通り、日本列島では「神」すらもこの世界から生まれ出てくるものであって、この世界をつくっている存在ではなかった。はじめに世界があったのであって、神があったのではなかった。そして縄文人は、ひとまず「世界」のことを「かみ」といっていた。世界をつくる存在を「かみ」といったのではない。
もちろん古事記では神が日本列島をつくったことになっているが、それはまあ、仏教が定着して「かみ」という概念がすでに変質してきていたからだろう。神武天皇がこの国をつくったという話なのだから、そういうことにしないとつじつまが合わない。
そういう権力の「作為」というものを正当化するための話であったわけで、そういう「作為」を正当化する思想も大陸文化の影響にちがいない。
共同体(国家)の成立以後、人間の考えることがどんどん作為的になっていった。
そうして。この世界をつかさどる神とか、この生をつかさどる霊魂という概念が生まれてきた。まあそれは大陸から伝播してきた思想ではあるが、日本列島だってすでに大和朝廷という共同体(国家)が成立していたのだから、とうぜんそういう世界観・生命観に傾いてゆく。
もしも縄文人伊勢神宮のまっすぐに天まで伸びるような杉の大木の林の中に立たされたら、「自然の力というのはすごいなあ」と思っても、「ここが神のおはしますところだ」などとは思わなかったはずである。彼らには、そんな神のイメージなどなかった。ただただ世界の不思議に驚きときめいていっただけだろう。
「なる」という世界観、これが、多くの歴史家が指摘する日本列島の伝統の世界観である。それは、神の作為など思いも及ばなかった人たちの世界観である。
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