2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧

縄文的ターミナルケア・ネアンデルタール人と日本人・50

1 いくら伊勢白山道や江原啓之のスピリチュアルが人気になっているからといっても、それが日本的なターミナルケアの思想に新生面を切り拓いたという話も聞かない。 まあ俗世間の善男善女の日々の暮らしには何らかの役に立っているのだろうが、死んでゆく人…

スピリチュアルって何?・ネアンデルタール人と日本人・49

1 スピリチュアルのブームだなんて、ほんとにうざったい。 江原啓之も伊勢白山道も、そしてあの麻原彰晃も、子供のころからひといちばい、「ない」はずのものを「ある」と感じてむやみに怖がったり憎悪したりする傾向が強かったのだろう。そういう恐怖や憎…

死んでゆく人と生き残る人・ネアンデルタール人と日本人・48

1 縄文人の死生観を問うことは、現在の日本列島のターミナルケアの問題とも通じている。 日本的な死の受け入れ方というのはあるにちがいない。 誰だって、できるだけ悪あがきしないで最後の時間を過ごしたいと思うだろう。 俺はもうそんな問題はとっくに解…

墓に葬るということ・ネアンデルタール人と日本人・47

1 縄文人は埋葬することをどのように考えていたのか。 考古学者は、なんだか当然のように「生まれ変わりを願って」などと説明してくれる。 「生まれ変わり」なんて、今どき流行りのスピリチュアルで騒いでいることじゃないか。それは氷河期明けの共同体の文…

閑話休題・黒田官兵衛

1 ことしのNHKの大河ドラマの主人公は黒田官兵衛らしい。 まあそのドラマに対する興味もないのだが、あるブログで中世の時代模様や戦国時代の武将について語っている記事があり、そのどうしようもなくステレオタイプで下品な歴史認識にうんざりしてしまった…

埋葬の起源・ネアンデルタール人と日本人・46

1 「別れのかなしみ」は、人間とは何かということを考える上でも、日本列島の伝統文化を考える上でも、とても大切な問題だろうと思える。 まあ人間のというか、生き物の存在そのものが「別れのかなしみ」の上に成り立っているともいえる。 生き物の身体は、…

暗黙の了解・ネアンデルタール人と日本人・45

1 言葉の問題が、もうちょっと残っていた。 人間の社会には、誰もあらためて口にすることがないのに「暗黙の了解」として共有されながらずっと受け継がれてきたことがある。言葉や文字として定められていることより、そちらの方がずっと多いのかもしれない…

出会いと別れ・ネアンデルタール人と日本人・44

1 根源的には、人と人の関係は、「共生」しているのではなく、「出会い」と「別れ」を繰り返していることにある。意識のはたらきの根源というか、実存的にそのような関係になっているのだ。 すべての生き物は「個体」として存在しているのであり、その「個…

ジャパンクール・ネアンデルタール人と日本人・43

1 人間の集団性の基礎となる人と人の関係がある。 「人間とは集団を構想する存在である」ということにすれば、共同体や支配者や階級の発生の起源を考えるのも苦労はない。それはもう人間性の自然として、あたりまえのように発生してきたことになる。 だった…

ひとりになりたいのに・ネアンデルタール人と日本人・42

1 このブログの主題は、「起源」を探究することにあります。 そこからわれわれが生きてある「今ここ」を掬い上げたいとも思う。 もう一度おさらいしておこう。 人類学では、人間の根源的な集団性ということをあまり考えない。集団というのはつくろうとして…

口に出してはいえないこと・ネアンデルタール人と日本人・41

1 人間は言葉によって社会をつくっているのか。 まあ、一般的にはそういわれている。 彼らによると、言葉とは未来を構想するための道具なのだとか。 しかし、そうじゃないのだ。言葉は、「今ここ」から置き去りにされて存在している人間の、「今ここ」にた…

未来を構想することはできない・ネアンデルタール人と日本人・40

1 アメリカ人は、どうすればよい社会が実現するかと構想し語り合うことが好きだ。彼らは建国以来ずっとそんなことを続けてきて、はたして彼らが構想した通りの理想の社会が実現しているか? そうでもあるまい。 犯罪は頻発し、貧富の差も激しい。そうして多…

文明の限界・ネアンデルタール人と日本人・39

1 ユダヤ人という概念というか民族は、エジプトメソポタミア文明から生まれてきた。 彼らの離散(ディアスポラ)の動機と、原始人が地球の隅々まで拡散していったことのそれとはまた別のことだ。それは故郷を背負ってよその地域の異民族を偵察に行っている…

ありもしないもの・ネアンデルタール人と日本人・38

1 人類学の常識においては、人類史の基礎は直立二足歩行をはじめたことにあり、人間的な文化文明の発展の契機は森の暮らしからサバンナの暮らしに移行していったことにあるとされている。しかしサバンナの暮らしといっても、「ブッシュマン」という言葉もあ…

見えない向こうがわ・ネアンデルタール人と日本人・37

1 生きようとする自我、などという。 「自我」という言葉の定義はいろいろあろうと思うが、ここではひとまず「作為性」のことだとしておこう。「主体性」という言葉もあるが、自我という意識というか観念にはもうちょっといかがわしいニュアンスがある。 根…

残虐さの水源・ネアンデルタール人と日本人・36

1 幽体離脱とは、自分という意識(=自我)と自分の身体とが離れている状態のこと。べつに特別な体験でもなんでもない。そんなことくらい生死の境をさまよった病人の多くが体験していることだし、現代人の肥大化した自我=観念はすでに自我=観念だけで生き…

人類史のトラウマ・ネアンデルタール人と日本人・35

1 トランス状態とフェードアウト、このことをもうちょっと考えてみたい。それは、4万年前のアフリカのホモ・サピエンスの文化と北ヨーロッパのネアンデルタール人の文化との対比の問題でもある。 トランス状態とは、自我が際限なく拡大していった果てに起…