暗黙の了解・ネアンデルタール人と日本人・45


言葉の問題が、もうちょっと残っていた。
人間の社会には、誰もあらためて口にすることがないのに「暗黙の了解」として共有されながらずっと受け継がれてきたことがある。言葉や文字として定められていることより、そちらの方がずっと多いのかもしれない。
人間社会の暮らしは暗黙の了解の上に成り立っている。言葉にしないから意識に上ることもなくなっているが、じつはそういうことがいっぱいあるのではないだろうか。
権力者が民衆を支配してくるに当たっては、成文化された法制度というものが機能してきた。しかし、日本列島の古代や中世の村社会に成文化された決まりなどなかった。人間が社会をつくればさまざまなもめごとが生まれてくるはずだが、それらはすべてそのつどの話し合いで収拾されてきた。いいとか悪いというようなことは、ケースによって違うし、時代によっても違う。決めてしまうことなどできない。いいか悪いかは、そのつどの「なりゆき」が決める。人間が決めることはできない。長いあいだ、そういう気分が日本列島の住民の心の底に流れてきた。
そうして決められないまま、誰も口に出していわないまま、共有されてきた気分があった。
たとえば、日本列島の住民は、心の底では神とか霊魂とか死後の世界というようなことなどよくわからないし信じてもいない。
なのに、神や霊魂や死後の世界のことを語り合って歴史を歩んできた。信じてもいないのに、誰もが信じているような顔をして語り合ってきた。だから、古代では「死んだら何もない黄泉の国に行く」と語り合ったり、中世の浄土真宗禅宗では、「死んだら極楽浄土に行くということは勘定に入れない」などという教義が生まれてきたりした。極楽浄土はないとは誰も言わなかった。誰もがあるという前提で語り合っていた。「極楽浄土など信じていない」というのがみんなの深層意識なのに、誰もそのことはいなかった。
あの山の中に入って狩りをしたりキノコを採ったりしてはいけないと語り合いながら、誰もがこっそり狩りをしたりキノコを採ったりしていた。採ってもいいのだが、採ってもいいといってしまうと採り過ぎてしまうし、採り合いになってもめたりする。
採ってもいいとは言わないのが、村の「暗黙の了解」だった。そして誰も採った人間を口出して責めない。
口に出すことなく、いつの間にか忘れてしまう。そうやって歴史から葬り去られた出来事がたくさんある。
しかし、忘れてしまえば、そのぶんだけいろんなことがはじめての新しいこととして体験してゆくことができる。
過去は「今ここ」の目の前には存在しないのだから「ない」ものなのだ。「今ここ」の目の前に存在しないものを「ない」と思い定めてゆくことによって、より豊かに「今ここ」を味わいつくしてゆくことができる。
「今ここ」にないものは「ない」と思い定めて生きてゆくのが日本列島の伝統の作法だった。それは、「今ここ」の目の前にいない神も霊魂も信じていないということだ。
彼らは、神や霊魂など信じてないくせに神や霊魂を信じているような習俗をつくり、信じていないものならではのいいかげんな信じ方の習俗になっていった。
神道の神も仏教の仏もキリスト教の神も全部拝む……それは、やおよろずの神ではなく、本心では神なんか信じていないのだ。もともとやおよろずの神は神道の神のことだったが、それだって、あとから適当に祀り上げられていっただけで、縄文・弥生の昔からのものではない。
日本人が神を信じているふりをするのは、信じていないことを守ってゆくための習俗だった。そのためには、信じていないといったらいけなかった。



仏教伝来以来、支配者は民衆に神や霊魂を信じさせようとしてきた。信じさせた方が支配しやすかったからだ。法制度を定着し施行してゆくためには、民衆に、ありもしないものを「ある」かのように思い起こす観念を身につけさせてゆく必要があった。
神や霊魂や死後の世界を信じれば、支配者が定めた法制度を信じて従ってゆく心が育ってゆく。支配者は、民衆に「信じる」という心を持つことを強制していったし、法制度を信じて社会の中で生きてゆくということはもう、時代のなりゆきだった。信じる心を持った方が生きやすい時代になっていった。
それでも、信じない心はどうしても残ったし、信じないでなりゆきまかせで暮らしてゆく部分が残っていないと息苦しかった。なりゆきまかせで語り合いときめき合ってゆく習俗は。歴史の表舞台の陰で、ひっそりと残っていった。
それは、法制度の基礎となっている文字や言葉の意味を信じないということでもあった。だから、村の決まりを文字にしようとしなかったし、決まりそのものもつくろうとしなかった。そんなことはそのつどの話し合いで決まっていったし、話し合わない「暗黙の了解」もたくさん機能していた。
彼らにとって人と人が語り合うことの基本的なよろこびは、相手の「声を聞く」ということにあり、言葉の意味は二の次だった。
日本列島の住民は、あなたと話がしたいということを、「あなたの声を聞きたい」といったりする。この国において語り合うことは「声を聞く」ことであり、それがどんなにうれしく貴重な体験であるかということをよく知っている。そしてこの国の言葉は、音声の響きに対する感覚を基礎にした言葉を育ててきた。それが、やまとことばである。
言葉は、時代とともに、どんどん意味がまとわりつき、意味に限定された使い方をするようになっていった。だからこそ、言葉にしない「暗黙の了解」が守り継がれていった。それは「声を聞く」ということのよろこびが汲み上げられている社会だったということであり、人と人がときめき合いながらそのつどのなりゆきにしたがって集団を運営してゆこうとしている社会だったということを意味する。
彼らは、神や霊魂や死後の世界を信じることができない人たちだった。それはつまり、文字や言葉の意味を必要以上にあてにはしない、ということでもあった。
神や霊魂を信じてしまうと、この世界やこの生のことはすでに決定されているということになって、この世界やこの生の「なりゆき」を味わう醍醐味を失ってしまう。彼らは、どうしてもそういう世界観や生命観を持つことができなかった。
この国では、「共同体(国家)」ができたり宗教が入ってきたりしたときはもう、すでに「なりゆきにまかせる」という原始的な世界観や生命観が成熟・洗練してしまっていた。なにしろそういう歴史がすでに5000年前からはじまっていた大陸と違って、1500年前にようやく大陸を模倣してはじまったのだ。また、模倣して無理やりつくっていった制度で自然発生してきたわけではないから、どうしてもそうした原始性が残ってしまった。
大陸の場合は原始性が自然に消えていってそうした文明社会が生まれてきたのだが、日本列島では、原始性を残したまま文明社会の制度を被せていった。
だから、どうしてもいくぶんかの無理があった。
日本列島の住民に原始性を残そうとする意思があったわけではないが、どうしても残ってしまった。
神や霊魂や死後の世界を信じようとしてきたのだが、信じられない心を消すことはできなかった。
言葉を意味の伝達だけの機能として扱ってゆくことは、どうしてもできなかった。「声を聞く」醍醐味を交歓し合うという関係や言葉の機能が残っていった。
そしてそれは、日本列島の特異性という以前に、人類の普遍的な原始性なのだ。
まあ、日本列島の和歌の「枕詞」は、声を聞く醍醐味の上に成り立った言葉だった。しかし時代はどんどん言葉を意味の伝達の機能にしてゆき、日本人自身もそのつもりになっていったから枕詞が衰退していったのだし、枕詞が「声を聞く」醍醐味の言葉だということも忘れられていった。
とはいえそれでも、やまとことばが「声を聞く」感覚の上に成り立っているという基本的な姿は残っていった。もうそんなつもりなどない時代になっても、そのように扱う習性が無意識の部分に残っていった。
たとえば、われわれは、「もの」と「こと」という言葉を、意味に限定せずにいろんなニュアンスで使い分けている。なぜ使い分けられるかといえば、それらの言葉が、音声の響きの上に成り立っているからだ。限定された意味などはない。音声の響きのニュアンスがあるだけであり、そのニュアンスをわれわれは当たり前のように使い分けている。つまり、しゃべっている「なりゆき」で「もの」といったり「こと」といったりしているだけで、意味なんか意識していない。
「そんなこと言われてもわからないんだもの」……このときの「こと」と「もの」は、「なりゆき」で自然に口をついて出てくる。
つまりこの国の言葉においては、人と人がたがいに相手の声を聞きながらときめき合ってゆくという原始的な言葉=会話のタッチが残されている、ということだ。
そういうときめき合いの上に原始人の集団性が成り立っていた。
原初の言葉は、意味を「伝える」=「理解する」という関係をつくるためではなく、たがいに相手の声を聞くことのときめきを交歓してゆく機能として成り立っていた。
ときめきを交歓してゆくことが原始人の集団性だった。
最初は、声を聞くだけでよかった。それがだんだんその声のニュアンスを聞き分けるようになってきて、やがてそのニュアンスを共有してゆくようになっていった。その声にこめられている感慨のニュアンスを聞き取っていった。原初の言葉は、感慨を表出し、感慨を聞き取ってゆく道具だった。まあこのような段階を踏んでいったのが歴史というもので、最初から「意味の伝達」の道具として生まれてきたということなどあるはずがない。
他者とときめき合って存在しているという自覚が、彼らの集団を成り立たせていた。日本列島は、そういう原始性が消えないまま法制度と宗教と文字の文明社会に移行していったから、いろいろぎくしゃくしたことが起きたし、いまさら原始性を完全に消してしまうにはすでに原始性が成熟洗練しすぎていた。



そして近代のヨーロッパ人が日本文化に興味を示すのは、人間は原始性を残していないとうまく生きられないということの証明であるのかもしれない。
人と人がときめき合うという基本を残していないとしんどいのだ。
どのように社会を構想するかという問題ではない、人と人が豊かにときめき合っているという基礎がなければ社会など成り立たない、ということだ。
ユダヤ人は上手に社会を構想する存在としてヨーロッパ社会に参加してゆき、最後にはドイツ人にあんなひどい嫌われ方をしてしまった。それは、上手に社会を構想するだけでは社会は成り立たないということである。
彼らは、2000年以上住み着いて、なぜヨーロッパ人とときめき合う関係をつくれなかったのか?
何はともあれ日本人は、異人種として明治になってからいきなりヨーロッパ社会に参加してゆきながら、たちまちときめき合う関係をつくっていった。
なぜアジア人の中で日本人だけが友人のようにして迎え入れられたのか。
日本人には社会を構想する能力など何もなかったのに、彼らの社会を活性化させる存在になることができた。日本人が残している原始性は、彼らが取り戻そうとしているものでもあった。だから彼らは、たちまちそれを理解した。それは、たんなる異国趣味ではなかった。
ユダヤ人はヨーロッパに文明を持ちこみ、日本人は原始性を持ちこんだ。しかも、高度に洗練された原始性だった。神を知らない民族の無邪気なときめきと直感力、そして意表をつく美意識、まあそのようなものがヨーロッパの新しい学問や芸術に刺激を与えていった。
現在のクールジャパンと呼ばれて世界中に発信されている劇画やアニメやファッションの文化も、日本人の原始性から生まれてきたものにほかならない。世界中がその原始性に「クール」と感じている。原始性は、人間の根源であると同時に究極でもある。
そしてヨーロッパ人は、ある部分では日本人よりももっと原始的なメンタリティを持っている。たとえば、暖炉とかキャンドルとかキャンプ・ファイヤとかの火に対する親密さは、おそらくヨーロッパ人の方がもっと豊かで原始的にちがいない。
また、日本人とヨーロッパ人はたがいに相手の羞恥心がわかるという話もある。そうして、ともに客を迎えるというサービスの文化が発達している。これは、どちらも人類拡散の行き止まりの地として歴史を歩んできたからだろう。
つまり、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」が文化の根底に流れている、ということだ。そこから羞恥心が生まれてくるのであり、サービスの文化は羞恥心の文化でもある。おたがいにかまってほしい部分とほおっておいてほしい部分を察し合うことが両者にはできる。
サービスの文化は、なれなれしくするためのものではなく、なれなれしくしないで心を通い合わせてゆくことである。おたがいに羞恥心を持っているからそういう作法が生まれてくる。それは、たがいのあいだに「空間=すきま」をつくりながら「出会いのときめき」の中に身を置き続ける作法である。
余分な個体を追い払うスペースのない行き止まりの地では、避けがたくそういう作法の文化が育ってくる。
ヨーロッパは、一方が一方を追い払っただの追い払われただの滅ぼしただの滅ぼされただのという歴史の上に成り立っている社会ではないのである。かんたんに、アフリカのホモ・サピエンスが移住してきて先住民のネアンデルタール人を滅ぼした、などといってもらっては困る。
ヨーロッパは、あなたたちが考えている以上に人と人の関係の作法の文化が発達している。それは、「アフリカ人がやってきた」などという3万年とか4万年とかそんな生やさしい歴史ではない、彼らの先祖がそこに住み着いていった50万年の伝統があるのだ。彼らは、その50万年をかけて人と人がときめき合う関係の作法の文化を洗練発達させてきた。
だから、神との関係に閉じこもって人にときめいてこないユダヤ人に違和感を持ってしまうのだろう。
ヨーロッパ人は、顔かたちの違う異人種だからといって拒否するということはあまりしない。移民を迎え入れる伝統を持っているし、異人種の養子をもらって育てるということも平気でするが、しかしときめき合う関係を持てない相手には強い違和感を抱いてしまう。
人間は、人と人がときめき合う関係の作法の文化を共有していないとなかなか共存できない。ヨーロッパ人は、その原始性を、ユダヤ人とは共有できなかったが、明治の日本人とは共有できた。
原始人とはどのような人たちであったのかという考察が、現在の文化人類学も古人類学もひどく粗雑である。文明社会の論理で原始人の心模様に推参してゆくことはできない。そこのところ見極めがちゃんとできていない。つまり、人間とは何かということの問題設定がちゃんとできていない、ということだ。



まあ早い話が、原始人は、ユダヤ人や現代の文明人のような金のことを基礎にした下部構造決定論で生きていたわけではないのである。原始人は生きてゆくために何をしたかという問題設定で考えると間違う。原始人に「生きてゆくため」などという問題はなかった。
人間の行動をうながしている根源の問題は、生きてあることのいたたまれなさにある。それが、人間の文化文明、知性感性を豊かに発達させた。
生きてあることのいたたまれなさは、「出会いのときめき」を体験させる。原始人は「出会う」という体験に引き寄せられるように拡散していったのであって、「生きてゆくため」などという下部構造決定論的な問題があったのではない。人間にとって「出会う」という体験がどれほど根源的で切実なことであるかということを、彼らは何もわかっていない。
原始人の行動をうながしている契機は「出会う」という体験にあった。
彼らは、現代人のような「生きてゆくため」というテーマにしたがって生きていたのではない。なすべきことなど何もなかった、ただもう、そのつどの世界や他者との「出会い」にせかされて行動していっただけだ。それが人間性の基礎であり、日本列島の古代人も、その「出会いのときめき」を生きる作法として、神も霊魂も知らない民族であり続けてきたのだ。
人と人の関係の文化とは、「出会いのときめき」を生きる作法の文化にほかならない。現代社会の人と人の関係の文化は集団を構想することかもしれないが、それは原始人の文化ではなかった。
まあ神や霊魂という概念も、集団運営を構想する文化として生まれてきたのだろう。政教分離などというが、ほんらい政治そのものが宗教なのだ。共同体の法制度を正当化権威化するためのものとして神という概念が生まれてきて、法制度をひとり歩きさせるために政教分離というかたちになってきた。法制度そのものを神の位置にまで高めるために、というか。
何はともあれそういう集団運営の構想から離れて人と人がときめき合ってゆく関係を維持する装置として村の「暗黙の了解」が引き継がれてきたのだろう。そしてそれは、言葉を信じないことではなく、言葉の原始的な機能を守り育てゆくことだった。
起源としての言葉は、「出会いのときめき」が起きて思わず発せられる音声だった。つまり言葉もまた、人類拡散とともに生まれ育ってきたということだ。したがってそれは、行き止まりの地においてもっとも発達していたという論理的帰結になる。
10〜5万年前のアフリカのホモ・サピエンスとヨーロッパのネアンデルタール人のどちらの言葉が発達していたかといえば、後者であるに決まっている。そしてそれは、「意味の伝達」の機能ではなく、「出会いのときめき」の表出だったのだ。
そしてそういう原始性を洗練発達させた言葉を持ってしまった古代の日本列島の住民はもう、神も法制度も丸ごと信じてゆくことができなくて、「暗黙の了解」とともに生きるしかなかった。神も法制度も、信じていない心で信じてゆくしかなかった。ここに、日本列島の伝統文化のあやがある。
とはいえ、ヨーロッパ人だってやっぱり、神を信じることができない心で神を信じているだけなのである。だから、ユダヤ人よりも日本人と妙に通じ合ってしまう。彼らがユダヤ人を嫌うのも、彼らだって根源的には神を信じていないからだろう。
ユダヤ人の才能は、欧米の集団運営に寄与してきたが、人と人がときめき合う関係に参加してゆくことはできなかったし、今でもできないでいる。異人種の赤ん坊でさえ養子にしてしまうほどの人たちと、どうしてときめき合う関係がつくれないのだろう。2000年たってもまだつくれないでいるなんて、なんか変ではないか。
ユダヤ人のある哲学者は「他者は神である」という。それは、「私は他者の神である」といっているのと同じなのである。清らかぶって、こんな傲慢な思考もない。そんなふうに他人を支配することばかり考えているからヨーロッパ人に嫌われるのだ。
いやそれは、今どきの多くの現代人の傾向だともいえる。人や情報に支配されたがる甘ったれた飼い犬根性が旺盛である一方で、えらそげに人を見下しながら金や権力や情報で支配しにかかることもずいぶん熱心である。そういう「他者は神である」という性癖を持たないと生きてゆけない社会の構造になっているのだろうか。
宗教なんかどうでもいいではないか。神を信じることを共有しながら愛し合ってゆくというようなややこしい手続きなどしなくても、「出会う」というそのことにときめいてゆけばいいだけだろう。
この世に生まれてきて生きてあるのはいたたまれないことだ、しかも、よりによってどうして人間に生まれてきてしまったのか、犬や猫がうらやましい……そんな人間にとって「出会う」という体験がどれほど根源的で切実な行動の契機になっているかということを、もう少し考えられてもいいのではないだろうか。
生きてゆくことは、生物学的にも精神的にも、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」の反復である。命のはたらきとは、そういうものだ。「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」は、セットになったはたらきだろう。
次回からは、「別れのかなしみ」の方にスタンスを移して考えていってみようと思う。人間は、生まれるとともに母胎と別れ、この世との別れを惜しみつつ死んでゆく。
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