2009-01-01から1ヶ月間の記事一覧

内田樹という迷惑・人は、パンのみによって生きるにあらず

内田氏が、「人間は労働を通じて人間になる」といいつつ、「有用性」のことばかりあげつらうのは、「人はパンのみによって生きている」といっているのと同じなのです。「労働」だろうと「有用性」だろうと、ようするにそれは「パン」のことです。 また内田氏…

内田樹という迷惑・人はなぜ花にいやされるのか

水のことを本格的に研究している人と会って話してみたい、と思う。 とくに、水中の微生物を研究しているのなら、それは、地球の生き物の歴史を起源までさかのぼって研究しているのと同じだ。そういう人と、雌雄の発生について語り合える知識と教養があったら…

内田樹という迷惑・「はな」というやまとことば 2

内田氏の新しいブログの記事で、また「有用性」がどうとかこうとかとくだらないことをわめいている。 子供たちの「学び」の契機は、「今は無駄でも将来有用になるかもしれないと予感できる<暗黙知>にある」のだとか。現在の子供たちにはそういう想像力がない、と…

内田樹という迷惑・「花(はな)」というやまとことば

花によっていやされる心の構造について考えたいのですが、その前にまず、「はな」というやまとことばを検討してみます。 やまとことば研究の権威である中西進氏は、こう説明してくれています。 「花」と「鼻」、花は茎の先端に咲き、鼻は顔の中心にあってと…

内田樹という迷惑・「癒される」ということ

花を見て興奮するという人は、まずいない。 おおかたの人は、「癒される」という。 精神疾患の治療には、花を見たり活けたり栽培したりすることが、とても有効なのだとか。 薬を飲んで体を癒す。そうして、体が元気になる。 とすれば、「癒される」ことは、脳が元…

内田樹という迷惑・「乞食」という無用者

承前 内田さん、あなたがわれわれよりも優れているのは、知識と小ざかしいたくらみだけだ。まあ、それさえあればこの社会でうまく生きてゆける。大学教授にだってなれる。が、それだけでは、われわれがあなたを尊敬する理由にはならない。 社会的に有用な人…

内田樹という迷惑・無用の者であるということ

内田氏は、若者に向かって、「人間は労働を通じて人間になるのだから、社会的に有用な存在になれ」と、さかんに力説している。 そうなることが人間であることの証しであり、人間の生きがいはそこにこそあるのだそうです。 社会的に有用な存在であることを価…

内田樹という迷惑・オバマ演説から

内田氏が、オバマ大統領の就任演説のことを誉めていたので、僕は、いちゃもんを書きます。 オバマ氏はこういう。 この偉大な繁栄する国は、この新天地に渡ってきた過去の人々の艱難辛苦と愛によって打ち立てられた。われわれはそれを引き継いで新しい繁栄を…

内田樹という迷惑・無用の人の輝き

この世の中には二種類の人間がいる、「有用な人」と「無用の者」。 もしそういう言い方ができるとすれば、内田氏はもちろん「有用な人」です。 そして、ニートや引きこもりやホームレスの人たちは、この社会の「無用の者」にちがいない。 老人や身体障害者も…

内田樹という迷惑・労働と遊び

僕が今、神や宗教のことにこだわっているのは、あくまで、内田氏の言説に異を唱えるためです。 内田氏は、「人間は労働を通じて人間になる。労働こそが人間性の基礎である」というようなことを言っておられる。そのことに、そうじゃないんだ、と言いたいからで…

内田樹という迷惑・悟り

「悟り」なるものがどんなものかよくわからないのだが、自分なりに想像してみると、それほどごたいそうな体験でもないような気もする。。 日本列島の住民は、なぜそれを「さとり」といったのだろうか。 外来語を使うのをやめて、自分たちのやまとことばとし…

内田樹という迷惑・消えてゆく2

「消えてゆく」、と言うことなんか、かんたんなことだ。 いろんな「消えてゆく」がある。 僕が問題にしたいのは、あくまで「身体が消えてゆく」というタッチのことです。 このことは、ずっと前から言いつづけてきたことです。 煩悩が消えてゆくとか、そんな…

内田樹という迷惑・「消えてゆく」というタッチ

生きてゆく方法とか、悟りを開く方法とか、僕は、そういう「方法」などというものに興味はないのですよ。 どんな生き方をしようと、悟りを開こうと開くまいと、どうでもいいじゃないですか。 誰もが「すでに生きている」のです。「方法」などというものを捜…

内田樹という迷惑・「無関心」について

「欲望」の反対語は、「禁欲」ではない。「禁欲」もまた、欲望のひとつのかたちにすぎない。我慢しようとする欲望だ。 「欲望」の反対は、「無欲」、あるいは「無関心」。 仏教が、「自分というものはない(=空)」というのなら、「欲望」もまた起こりよう…

内田樹という迷惑・絶望したらいけないのか

「論争 若者論」(文春新書)という本を読んでみました。 十数人の識者が雑誌に発表した記事や対談を集めたものだが、共感できる発言もあった反面、なんだか内田氏のようなことを言っている人が多くて、なるほどそういう世の中かと、あらためて思わせられも…

内田樹という迷惑・精神の輝き

安直な言い方かもしれないが、「精神の輝き」というものがある。そういうものを感じるから、人は、仲良くしたり尊敬し合ったりするのだろう。 人間としての格や宗教者としての格も、たぶんそういうところにある。 その感じ方が正確であろうとたんなる誤解で…

内田樹という迷惑・無常と我執

仏教でいう「無常」は、べつに日本の専売特許ではない。この言葉は、釈迦のところから始まっている。 日本人が「無常」を語ると、平家物語や鴨長明のようについ詠嘆調・美文調になってしまうが、釈迦が実感したそれは、もっと無味乾燥で身もふたもないもので…

内田樹という迷惑・身体の空

このブログが公共性をもったものだという実感などありません。 むなしく「空」に向かって言葉を吐いているだけです。 そりゃあ、読んでくれている人もいるのかもしれないが、それは、読んでくれるその人の体験であって、僕がその現場を体験できるわけではな…

内田樹という迷惑・小耳にはさんだ話から

1・・・・・・承前 どうしてみんな、「債権者」のように僕に命令してくるのだろう。 命令されやすいキャラなのでしょうかね。 もう、うんざりだ。 僕は、人間は他者に対する「債務者」として生きている、と思っている。だから、他者にときめきもすれば、うんざり…

内田樹という迷惑・関係性に対するセンス

仏道の修行とは、「悟り」を開いて「成仏(じょうぶつ)」を目指すことか。 成仏することを、「涅槃」とか「寂滅」といったりもする。それは、自分が「何ものかになる」ことではなく、たんなる境地(心の状態)のことでしょう。「寂滅」というのだから、むし…

内田樹という迷惑・しょうがないと思ったら、なぜいけない

僕は、生きてあることなんかくだらない、生きていてもしょうがない、と思っている。 しかし、だからといってそのことに思い悩んでいるわけではない。それでかまわない、と思っている。それでも生きてあることには甘美な味わいがあるわけで、「あなた」や世界…

内田樹という迷惑・生きていてもしょうがない

「自分なんか生きていてもしょうがない」とか「自分は生きていてもいいのだろうか」という思いは、きっと誰の中にもある。 この社会の制度は、誰の中にもあるそういう気持ちに付け込んで成り立っている。この社会の制度に従った生き方をしていれば、生きてい…