2016-02-01から1ヶ月間の記事一覧

生きられない・ネアンデルタール人論128

1 「問う」ということ、それをするかしないかは、人と猿のメンタリティの大きな違いのひとつになっている。人類は、「問う」ことをする猿として歴史を歩みはじめた。 「問う」とは「わからない=生きられない」という事態に身を置くこと。人の心はそこから…

世界を支援せよ・ネアンデルタール人論127

1 フランツ・カフカは「自分と世界の闘いにおいては、世界を支援せよ」といった。 つまり、生き延びようとなど思うな、ということ。自分は正しいなどと思うな、ということ。この生にはなんの価値もない。人は根源において生き延びようとする衝動など持って…

無力で愚かな存在であるということ・ネアンデルタール人論126

心がひっそりと沈んでゆくこと、それを「しぐれる」といい、しぐれていったその先に「かなしみ」があり、心はそこから華やぎときめいてゆく。 怒りや憎しみがなにか人間的な複雑で高度な心のはたらきであるかのようにいわれることも多いが、怒りや憎しみは猿…

しぐれる・ネアンデルタール人論125

1 「しぐれる」という言葉のニュアンスは、なんとも味わい深い。 「しぐれる」とは、消えてゆく過程のこと。フェードアウト、という言葉もあるが、ただそういう現象だけを指しているのではない。「しぐれる」は、かなしみに濡れている。だから、雨がしとし…

悪あがき・ネアンデルタール人論124

1 ネアンデルタール人にとっての死は、この生の向こう側のものであると同時に、この生の中に隠されたものでもあった。それほど死が身近なものとしてあった。多くの人類学者は、彼らが頑丈な体型や体質だけで生き残っていたかのように考えているらしいが、そ…

まだ生きている・ネアンデルタール人論123

この社会はうんざりするほど愚劣で、この生はわけもなくいたたまれない。 いたたまれないのはべつに社会のせいではないが、社会にうまく適合して生きているものたちにこの生の意味や価値を称揚して合唱されるのは、なんとも腹立たしく、「やめてくれよ」とい…

しぐれてゆくうしろ姿の苦笑い・ネアンデルタール人論122

1 この生には、すでに死が隠されてある。 われわれの心のはたらきも命のはたらきも、霊魂などというものに牛耳られているのではない。 霊魂は死なない。しかし心も命も、「消えてゆく」というはたらきを持っていなければうまく機能しない。どちらも、この「…

消えてゆく・ネアンデルタール人論121

命のはたらきは、「出現」と「消滅」の反復のリズムとして起きている。それが科学的な真実であるかどうかということはともかくとして、人の無意識というか超越論的主観性においてはそのように認識している。 死んでゆくことは、命のはたらきが消えてゆくこと…

森羅万象のリズム・ネアンデルタール人論120

1 人と人の関係において、心があるなら、心のぶんだけ表現すればいい。いや、表現しょうとしなくても、心があるなら知らず知らずあらわれてしまう。 ときめく心がないから、わざとらしく大げさに表現しなければならなくなる。 心は、そのときその場で出現し…

不意の出来事・アンデルタール人論119

1 ネアンデルタール人関連の本で語られている「あるときその洞窟が放棄された」という考古学の証拠は、集団ごと移住していった、ということを意味するのではない。集団のものたちが別れ別れ(散り散り)になっていっただけのことであり、そうやって集団の離…

今どきのジェネレーションギャップ・ネアンデルタール人論118

1 戦後の核家族のもとで子供は、幼児体験として親との一体感を体験させられる。親に愛されたとか愛されなかったというようなことではなく、心が親に囲い込まれてしまうというか、親との密着した関係に置かれてしまう、という体験だ。そしてその体験を一生引…

ややこしい・ネアンデルタール人論・117

今どきは、「コミュニケーション」とか「共生関係」とか「生き延びる」とか「未来に対する計画性」とか、そんな言葉がもてはやされる世の中だ。 人間性の自然や本質がそんなところにあるとは思えない。「そうではないだろう」と、ここで何度も書いてきたが、…

いたたまれない・ネアンデルタール人論116

1 オリジナルだと気取るつもりもないが、一日にひとつ、世間で常識とされていることに対する反論が書ければいいのかもしれない。 何度でも同じことを書いてもいいのだし、何度書いてもこの反論が世間に聞き届けられることはない。もう、生きているかぎり、…