2014-02-01から1ヶ月間の記事一覧

前方後円墳について考える・ネアンデルタール人と日本人・64

1 古墳時代の巨大前方後円墳の工事は、奈良盆地の人々が総出でなされたものらしい。 権力者が一部の奴婢をこき使ってつくったとか、それだけですむような規模を超えていたし、民衆を自由気ままにかりだせるような権力も存在しなかった。 あの大仏造営だって…

弥生時代の集団性・ネアンデルタール人と日本人・63

1 ネアンデルタール人の社会は、乱婚社会だった。女たちは、父親のわからない子を次々に産んでいった。 これは、日本列島の縄文社会も同じで、おそらく弥生時代もほとんどそのままのなりゆきだったのだろう。 日本列島の家族制度は、大和朝廷による戸籍制度…

くるおしさとまがまがしさ・ネアンデルタール人と日本人・62

1 古代人の生態や心模様を問おうとするなら、みんなで集団をつくって生きてあるという命の感覚について考える必要がある。 しかしそれは、日本列島においては神だの霊魂だのというアニミズムの問題ではなかったのだ。 日本列島の伝統として、神だの霊魂だの…

山の姿と美意識・ネアンデルタール人と日本人・61

1 自分を捨てて世界や他者に寄り添ってゆく……そういう心で日本人は山の姿をありがたいと思ってきた。 石川啄木は「故郷の山に向かひていふことなし 故郷の山はありがたきかな」と詠った。 この「ありがたい」という思いは、どこからくるのだろう。 いろいろ…

「遠慮する」ということ・ネアンデルタール人と日本人・60

1 この国の「遠慮する」という作法はなかなか難しいものがあって、それを上手に表現するのは誰にでもできることではない。 まあ、お育ちの問題であると同時に、歴史的な無意識の問題でもある。 京都では、訪問した先で「あがってお茶漬けでも召しあがってい…

けがれとみそぎ・ネアンデルタール人と日本人・59

1 腹の中の人間に対する恨みや怒りを隠して生きることはできる。その人の外見や財力や社会的地位で隠すことができる。 しかし、隠さないでも最初からそんなものを持っていない人はもっと魅力的だろう。 人間は胸の奥に怒りや憎しみや恐怖を持っている、それ…

原始的なインティメイト・ネアンデルタール人と日本人・58

1 やまとことばの語源をたどってゆくことによって日本文化の基礎のかたちが見えてくる。 何はともあれ、火が人類史に果たした役割は大きい。 火によって育てられてきた人間の心というのもある。 「火(ひ)」というやまとことばのことを考えてみたい。 「秘…

死に対する親密さ・ネアンデルタール人と日本人・57

1 日本文化論を考えようとすると、いろんなキーワードが浮かんでくる。 まず「あはれ」と「はかなし」、これは重要だ。 そして、「原始性」「縄文時代」「別れのかなしみ」「死んでゆく=いつ死んでもいい」「漂泊」「無常」「美意識」……等々。 最後に「寄…

人間の自然・ネアンデルタール人と日本人・56

1 現在の世界中のほとんどの人間の血の中にネアンデルタールの遺伝子が混じっていることはもう、常識になりつつあるらしい。 一部のアフリカ人だけが、ネアンデルタールの遺伝子が混じっていない純粋ホモ・サピエンスであるのだとか。 サバンナの民は拡散し…

神も霊魂も知らない・ネアンデルタール人と日本人・55

1 あなたは、神も霊魂も知らない生を想像できるか? 体が丈夫なうちは、あれこれ作為的に生きてゆくこともできるが、死んでゆくときはもう、うまく体を動かすことができないし、未来という時間もない。その絶望のいたたまれなさを収拾するために神や霊魂や…

寄り添い合う関係・ネアンデルタール人と日本人・54

1 ひとまず僕は、この世界が存在することの驚きや、自分がこの世界から置き去りにされてあることの途方に暮れる気持ちはあっても、この世界は誰がつくったのだろうというようなことには何の興味もないわけですよ。 この世界をつくったものがいるということ…

自己完結しない命・ネアンデルタール人と日本人・53

1 学問をする知性とはどういうものかと考えたとき、それはきっと問題に寄り添ってゆくだけの態度であって、べつに「信じる」ということではないだろう。信じてしまったら、そこで思考停止してしまう。 神や霊魂を信じてしまったら、それで全部問題は解決し…

途方に暮れるということ・ネアンデルタール人と日本人・52

1 人間は関係性の生き物である、などともいわれている。 では、人間の関係性の基礎はどのようなところにあるのか? たぶんそれは、雌雄の発生のところまでさかのぼらねばならない。そういう問題のはずである。 それはともかく、その関係性の基礎の上に人間…

寄り添うということ・ネアンデルタール人と日本人・51

1 介護・看護とは、世話をするということ以前に、体や心の弱っている人と一緒にいてやる、ということに本質があるのだろう。 人間は、死んでゆく人をほおっておけない。そこから「埋葬」という習俗が生まれてきた。知能が発達したからとか、霊魂という概念…