くるおしさとまがまがしさ・ネアンデルタール人と日本人・62


古代人の生態や心模様を問おうとするなら、みんなで集団をつくって生きてあるという命の感覚について考える必要がある。
しかしそれは、日本列島においては神だの霊魂だのというアニミズムの問題ではなかったのだ。
日本列島の伝統として、神だの霊魂だのということとは無縁の精神風土がある。
人が生きてあることには何ともくるおしくまがまがしい手触りがあるものだが、それはべつに神だの霊魂だのという問題ではない。そのくるおしくまがまがしい手触りが神だの霊魂だのというイメージになっているとしても、それはあくまでイメージであってそれらのものを信じているのではない。
生きてあることの現実それ自体にくるおしくまがまがしい手触りがある。もともと神だの霊魂だのという概念を持っていなかった民族が大陸文化によってそんなものを持たされ、その混乱とともに現実のくるおしくまがまがしい手触りを生きねばならなくなった。
日本列島の住民にとっては、目の前の現実の手触りしかない。神や霊魂の世界である現実の外の他界を「ある」と信じ込むことが下手で、現実と他界の区別がつかなくなってしまう。
江戸時代にはもう、傘お化けだの提灯お化けだのと身近な生活の道具まで妖怪変化にされ、現実そのものがまさに百鬼夜行の観を呈していた。
日本列島の住民にとっては、他界はあくまで「ない」のだ。だからその他界のイメージが現実に侵入してきて、現実がより狂おしくまがまがしいものになってしまう。
現実と他界の区別がちゃんと付くのなら、現実も他界もそのままにしておける。しかし日本列島の住民にとっては、現実だけがあって他界はないのであり、他界も現実になり、他界を現実のリアルな手触りとして体験してしまう。
「死んだら何もない黄泉の国に行く」といってもともと死後の世界を知らなかった日本人が神だの霊魂だのという概念を持ってしまったら、それはもうあくまでリアルな現実になってしまう。



日本列島の妖怪変化は、あくまでリアルな現実の存在としてあらわれてくる。それは、他界の存在でありながら、すでに他界の存在ではない。そうやってじつに珍妙な妖怪がイメージされたり、現実世界の親しい存在になったりもする。それはもう、古事記における奇想天外な神の造形以来の伝統なのだ。
日本人は、百鬼夜行の物語を現実として描き体験してゆく。他界の物語として安心していることができない。
すべてが、くるおしくまがまがしい現実なのだ。
日本列島に他界は存在しないし、他界もまた現実そのものなのだ。
桃太郎は鬼退治にゆく。その鬼は、熊襲蝦夷のような異民族という人間ではない。鬼は鬼なのだ。そしてその鬼は、この世界の現実の存在である。
この世界が人間だけのものなら、説得や権謀術数の技術だけでやりくりしてゆけるだろう。しかし、鬼が相手なら、そうはいかない。日本人は、この世界と他界の区別がつかない。ほんとうの他界としての天国も霊界も、よく知らない。目の前の現実がすべてだと思っているし、目の前の現実に鬼や妖怪変化がいる。そうやって生きてある現実の手触りが、よりくるおしくまがまがしいものになってしまっている。
この世界と他界を分けて整理することができない。もともとこの世界を生きてこの世界を死んでゆくという世界観・生命観で歴史を歩んできた民族である。
鬼が他界の存在だと思えるならけっこうだが、われわれにとって鬼は目の前の現実の存在である。
この世界の景色がどれほどくるおしくまがまがしいものであるかということは、幸せな人々にはわかるまい。彼らは、この世界のことはすべて説得と権謀術数でやりくりできると思っている。
この世界から置き去りにされて途方に暮れているものにとってのこの世界は、鬼のいるくるおしくまがまがしい景色としてあらわれている。
日本人は他界を知らないから、目の前の現実の世界がよりくるおしくまがまがしいものになってしまっている。
だから、「あはれ」とか「はかなし」という美意識の世界観が生まれ育ってきた。それは、現実がきれいさっぱりと見えているからではない。くるおしくまがまがしいものに見えてしまう嘆きがあるから、そのような世界に身を浸す「みそぎ」というカタルシスが体験される。
日本人がそのような美意識を持っているということは、日本人にとっての現実の世界がいかにくるおしくまがまがしいものであるかということの証明なのだ。そして現実の世界しか知らないのが日本人なのだ。
仏教伝来によって、神や霊魂の他界が、魑魅魍魎百鬼夜行のさまとなってこの世界の現実に流れ込んできた。
古代の日本人は、折口信夫がいうような「あの水平線の向こうに美しい安心立命の神の世界がある」などというのんきなことは考えなかった。「死んだら何もないまっ暗闇の黄泉の国に行く」といっていただけであり、仏教伝来によって神の世界を知ってしまったために目の前の現実の世界がよりくるおしくまがまがしくなってしまっただけなのだ。そんな彼らにとっては、「何もないまっ暗闇の世界」こそ救いだった。そこにこそ、彼らの「みそぎ」があった。彼らにとって百鬼夜行は目の前の現実だった。
そうして、古事記という神の物語が語り合われていった。それは、百鬼夜行の現実世界を収拾してゆく物語だった。
日本人が「あはれ」や「はかなし」の美意識を持っているからといって、その精神世界が清明だということではない。あの太平洋戦争の例のように、鬼になって死んでも戦ってしまう民族なのだ。日光東照宮などは、西洋のゴシック建築にも負けないほどのまがまがしさであるにちがいない。くるおしくまがまがしい精神性の持ち主だからこそ、「あはれ」や「はかなし」を目指す。そしてくるおしくまがまがしいのは、神や霊魂の他界を知らないからだ。そんなふうに世界や命を整理して考えたりイメージしたりすることができない。目の前の現実の世界しか知らない。そうでなければ「黄泉の国」などというはずがない。
この「黄泉の国」という概念は、古代の精神性を考える上で、とても重要なのだ。われわれはもう、古代人が他界の神や霊魂の存在を実感していたなどとは、とても考えられない。彼らは、神や霊魂をデフォルメしながら現実世界に跳梁跋扈させてしまった。



古事記では、神がこの世界をつくったのではなく、神すらもこの世界のなりゆきから生まれてきた存在にすぎない。
最初の神は「あめのみなかぬしのかみ」。
「あめ=天」を天地の天だと解釈すると間違う。最初の世界は天も地もないただの混沌だったのであり、その中心にあらわれた、といっているのだ。したがってこの場合の「あめ=天」は天地の天という意味ではない。
「あめ」の「め」は、出現すること、気づくこと。だから「めっ!」といって子供を叱る。
「あ」は、強調の音韻。「ああ」という、「まったくもって」というようなニュアンス。
語源においては、天空のことを「あめ」といったのではない。鮮やかに出現することを「あめ」という。
「雨(あめ)」は突然出現するものだし、「飴(あめ)」は口の中に甘みが出現するというか、甘みに気づいてゆくという感触がある。
キリスト教ユダヤ教では「まったくもってその通りだ」というニュアンスで「アーメン」というらしい。そういう気持ちがこみ上げてくること、すなわち出現すること。
「あめのみなかぬしのかみ」とは、「世界の中心に出現した神」というようなこと。
その次にあらわれたのが「たかみむすひのかみ」。
「たか」は「高い」。「むすひ=結び」は、組み合わすこと、しるしをつけること、決着をつけること。この神が高いところにあらわれて、はじめて天と地をしるした。つまりここでは、空の天のことを「高(たか)」と記述しているのだ。
「天(あめ)」はあくまで「出現」というニュアンスであり、同じ「天」という文字を当てても「あめ」と「あま」は違うニュアンスがあり、空の「天」のことは「あま」という。
古事記ではこれらの神の出現を「成(な)る」といっている。つまりこれらの神は、自分の意思であらわれたのではなく、たんなる「なりゆき」であらわれてきたのだ。
「あめ」は「なりゆきの出現」。そしてこの「なりゆきの出現」が充満していることを「天(あま)」という。「ま」は「まったり」の「ま」、「充満」「充足」の語義。夜空には星というなりゆきの出現が充満しているし、青空は青が充満しているし、雨空には雨や雨雲というなりゆきの出現が充満している。海女は胸いっぱいに空気を吸い込んで潜ってゆくし、尼はお寺にこもりきりになる女性のこと。
日本列島では、すべては「なりゆき」のことなのだ。地上では人間の作為が起きていても、われわれの手が届かない天空はもう「なりゆき」という法則が充満している。その充満している「なりゆき」が下りてきて地上の世界の動きになっている、と昔の人々は解釈していたらしい。
「なりゆき」とは「混沌」であり、まあ日本列島では、あの世もこの世もない。天もなりゆきだし、地もなりゆきだ。とくに天はなりゆきが充満しているから「あま」という。
神と人間の境目もない。この世に秩序などないし、われわれはこの世の外のどこにも行けない、という思いから「黄泉の国」がイメージされていった。
現実世界の「なりゆき」を生きるのはほんとうにくるおしくまがまがしいことだという思いから神道が生まれ「みそぎ」という作法が生まれてきた。



「行間を読む」などという。
死とはひとつの「行間」だろうか。そうやって行間に「自分」を埋め込んでわかった気になってこの世界と「他界」という秩序を構築してゆく。
しかし「行間を読む」とは、自分を振り捨ててそのすきまに飛び込んでゆくことだ。そうやって「自分」という秩序が通用しないくるおしさとまがまがしさに飛び込んでゆくことだ。
行間を読むことはそういう「みそぎ」であり、そこにこそ高度な知性や感性のはたらきがある。
行間に自分を埋め込んで神や霊魂の存在を信じてしまったらおしまいなのだ。頭の悪い人間にかぎって行間に自分を埋め込み、ひといちばいわかっているつもりになってえらそうな顔をしたがる。この世の中には、そういう「鬼」というか「妖怪変化」がけっこうたくさんいる。
他人の気持ちという行間を察するとは、そこに自分の気持ちを当てはめてゆくことではない。自分を捨てて他人になりきるということを試みないといけない。日本列島の住民は、そういう態度で仏教伝来以来の外来文化を受け入れるという歴史を歩んできた。そうやって仏教を受け入れてゆくことのくるおしさから古事記が生まれ、神道が宗教らしい体裁を持って育っていった。
日本列島では、人間がそのまま鬼にも神にもなるし、神だって鬼になってしまうこともあれば、鬼が神へと格上げされることもある。この混沌のなりゆきのくるおしさとまがまがしさもまた、もうひとつの日本文化にほかならない。
古事記なんかもう、鬼の話か神の話かよくわからないくるおしさとまがまがしさである。



べつに日本列島にかぎったことではないが、「祭り」のダイナミズム(賑わい)とは混沌のなりゆきであり、くるおしさとまがまがしさにある。おそらく仏教伝来のとき、人々は、祭りの賑わいを手放したくなくて神道を育てていったのだろう。それなりに仏を尊重しつつも、ただ仏の秩序に組み込まれてしまうというだけではすまなかった。
そして何より人々は、人と人が寄り添い合う集団性をこの祭りの賑わいとともにつくっていたのだった。
どこからともなく人が集まってきて、いっときの賑わいのあと、またそれぞれがどこかへ去ってゆく。そういう「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」が交錯する場としての祭りこそ、縄文以来の日本列島の伝統だった。このときめきとかなしみが交錯する関係性なしに日本列島の集団は成り立たなかった。
いっときくるおしさとまがまがしさでにぎわいながら、やがて別れのかなしみという消失感覚に身を浸してゆく。そういう体験を繰り返しながら彼らは、たがいに寄り添い合ってゆく集団性をつくっていた。「別れのかなしみ」は、「今ここ」のくるおしいまがまがしさを生きるものの「みそぎ」の体験だった。
彼らは、神や霊魂の「死後の世界」などという他界を知らなかったが、この世界の現実そのものが他界との往還だった。
日本列島の精神風土に、山を前にしたときの胸にしみるようなありがたさの感覚や、祭りで男と女が乱交するまがまがしさの文化があったとしても、「死後の世界」という他界性はなかった。そういう意味での神や霊魂はもともと知らなかった民族なのだ。
古代の日本列島の住民は「別れのかなしみ」に浸されながら死んでいったのであって、死後の世界や生まれ変わりを思いながら死んでいったのではない。そういう民族が仏教伝来によって神だの霊魂だのという概念を持たされて混乱し、その混乱を収拾するように古事記という物語が語り合われ、神道が宗教のような体裁になっていった。
いいかえれば日本人が新し物好きで何でもかんでも外来文化を受け入れてゆくことができるのは、そうした現実のくるおしさとまがまがしさを生きることができる民族だからだともいえる。
古代人は、そのくるおしさとまがまがしさを支払いながら「あはれ」や「はかなし」の美意識を洗練させていった。古代文学としての万葉集古事記源氏物語も、つまるところいかにも日本的な、「くるおしさ」や「まがまがしさ」が「あはれ」や「はかなし」に昇華されてゆく美意識の表現であるにちがいない。
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