2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧

都市文化の成熟の行方

1・通過儀礼としてのショッピングモール もう少し、ショッピングモールにこだわります。 今や大型ショッピングモールは、新興地の町はずれの景色のひとつになりつつある。 もちろん東京という大都市にもある。羽田空港、お台場、東京スカイツリー、等々に併…

ショッピングモール再考

ショッピングモール再考*1346344077*[漂泊論] 1・人間はもともと、人と人のつながりなんか求めていない 現代人はなぜ、ショッピングモールという空間に引き寄せられてしまうのだろうか。 ほどよくおしゃれで便利で都会的な買い物ができる。 こういうサービ…

サバンナの旅・「漂泊論」72

サバンナの旅*1346296389*[漂泊論]72 1・サバンナが暮らしの場であったのではない 人間は隠れようとする生き物であり、隠されてあることに気づく生き物である。日本文化の源流だって、ここにある。 まあ日本人だけじゃなく、すべての人間がこのようなかた…

隠されてあるものの発見の起源・漂泊論71

隠されてあるものの発見の起源*1346296591*[漂泊論]71 1・服の下には裸が隠されている 夏が終わろうとしている。 秋が近づいてきている。 われわれはこの残暑の中にそうした気配が隠されているのを感じる。 隠されているものを感じるのが、人の心である。…

閑話休題・ショッピングモールの栄光

1・郊外のショッピングモールはディズニーランドみたいだ 先日、17歳の女子高生が、ショッピングモールのトイレでお産した赤ん坊をフードコートの隅にこっそり置き去りにしてきた、という事件が起きている。見つけられたとき、赤ん坊はすでに死んでいた。…

「漂泊論」70・女の孤立性

1・旅の起源は女がつくった 原初の人類は、直立二足歩行をはじめたばかりの「猿人」の段階のころからすでに、群れどうしで女を交換するという習性を持っていたらしい。 そのころ人類は、サバンナの中に点在する小さな森の中で暮らしており、群れと群れは、…

「漂泊論」69・人間存在の暗さ

レイアウトを変えてみました。それと、今まで書いた記事をカテゴリーごとに分類して表示し、すぐ検索できるようにもしたいのだけれど、まだうまくできません。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 1・原因がわかりたいのではない 人間はなぜ、「なぜ?」と問う…

「漂泊論」68・「けがれ」からの旅立ち

1・それは、集団ヒステリーか 人と人の関係や集団性は、その根源においては「共生」や「共鳴」や「共感」などというべたべたした作為的な共同性(制度性)の上に成り立っているのではない。 人と人の関係はつねに一方通行で、「寄生」し合う関係として、と…

「漂泊論」67・「弱いもの」であること

きっと現在は、普通の人が生きにくい世の中になっているのだろう。 どうしてわれわれが、よりによって、内田樹とか上野千鶴子とか勝間和代とか、あんなへんてこりんな人間たちと同じ人種にならないといけないのか。 人間が生きてあることのほんらいのかたち…

「漂泊論」66・「消える」という身体主観性

1・何はともあれ「身体の孤立性」の問題なのだ 旅は、身体の「孤立性」を確保しようとする行為である。 原初の人類は、密集しすぎた群れの中でたがいの身体が接触することを嫌って二本の足で立ち上がった。そのようにして歴史がはじまったのであれば、人間…

「漂泊論」65・もう一度旅の起源について考える

1・なにはともあれ、身体消そうとする衝動がこの生の基礎にある しかし、ずいぶん横道にそれてしまっている。 「生き物の衝動=本能は身体を消そうとすることにある」……ひとまずこのことを前提の公理としてこのテーマを書いてゆこうと思っている。 しかし、…

「漂泊論」64・関係性の根源

1・お母さんの愛に気づいている赤ん坊などいない 人間的な恋や友情や家族の情愛など、そして何より人間的な連携は、「共感」の上に成り立っているのか。 そうじゃない。 人の心なんかわからない。人間は、その「わからない」ということを深く思い知ったこと…

「漂泊論」63・「共感」という関係の嘘

1・「わかり合う」とは、どういうこと? 生物学ではよく「共感能力」などという言葉が使われる。おたがいに相手の気持ちがわかり合える能力、とでも解釈すればいいのだろうか。 しかし、科学者ともあろう人々がどうしてこんな非科学的な言葉を平気で使える…

「漂泊論」62・「自分を知る」という迷信

1・合理精神という迷信 近代の合理精神は古い迷信を駆逐した……などというのは大嘘だ。 生き物には生きようとする衝動(本能)がはたらいている……などというのは現代人が新たにつくった迷信にすぎない。われわれは、勝手にあれこれの迷信をつくっては、それ…

「漂泊論」・61・自分が消えるということ

1、生きてあることは、不安で不可解で鬱陶しい事態である 宿題やらなきゃ、と思いながら、なかなか手がつけれらない……大人だって、しょっちゅうこういう状況に陥っている。 明日仕事があるのに夜中までオリンピックのテレビを見てしまう、というのも、まあ…

「漂泊論」・60・旅をすることと連携すること

1・それは、ひとつのセットになっている生態である 人間が旅をすることと、集団をつくって連携し結束することとは、別のことではない。つまり、旅と定住は別のことではない。どちらも同じ人間性として考える必要がある。 人間は「この世界から孤立した観察…

「漂泊論」・59・自我の自然

「自分を知る」ことが「自我」であると規定する論理なんて、ほんとに愚劣だと思う。 自分を取りつくろい見せびらかすことばかりに執着して生きている人間が、そういうことを言い出す。 つまり彼は、誰もが自分と同じようにそうやって自分に執着して生きてい…

「漂泊論」・58・自我は、「私を知る」のではなく「世界に気づく」

1・自我の問題はややこしい 「自分とは何か?」と問う。 おっちょこちょいでお人よしで、とかなんとか分析するが、それはともかく、そのとき「自分とは何か?」と問うている「自分」がいる。問われている対象としての自分よりも、問う主体としての「自分」…

「漂泊論」・57・自我は「観察者」である

1・自我は、この世界から孤立している このブログは、人間の起源からわれわれの「いまここ」を照射する試みとして書いている。 ひとまず起源論のことばかり書いているが、けっきょく気になるのは、「人間とはなにか」ということであり、自分がこの世に生ま…

「漂泊論」・56・言葉から心が生まれてくるのではない

1・「なりゆき」の観察者という知性が連携を生む 人間は、泣いたりすねたりふくれたりする。それだってひとつの「連携」である。で、そっと肩を抱いてやる。猿はこんなことはしない。そしてこれは、言葉以前の行為である。 言葉によって人間的な連携が生ま…

「漂泊論」・55・自我はこの世界の裂け目で孤立している

自我は孤立している。他者の自我の複製ではない。 人間は、根源的には、関係がくっつきすぎること、すなわち他者の自我にまとわりつかれることに鬱陶しがるという拒否反応を持っている存在である。 日本的にいえば、それは「けがれ」という状態である。だか…

「漂泊論」・54・自我は他者の複製か?

1・「わかり合う」ことによって連携が生まれるのではない ひと目惚れであろうとなかろうと、好きなろうとして好きになるわけではあるまい。いつだって、「気がついたら好きになっていた」というかたちで恋がはじまるのだろう。 相手が好きになってきたから…

「漂泊論」・53・人と人が連携するということ

1・なりゆき 人間というのはかんたんにはわからない。 ふだんは人懐っこく親切な人がいざとなると案外冷たかったり、いつもは傍観者のようにしている人がほんとうは頼りになったりする。 人懐っこく親切な人は、自分は自然のままに生きていて、傍観者のよう…

「漂泊論」・52・消えようとする本能

1・道を歩いていて人とぶつかりそうになったら思わずよける J・ラカンをはじめ、人と人の関係の本質というか自然を「鏡像関係=対称性」で考えている知識人は多い。しかしこれは、この社会の制度的な思考であって、原初的な意識のかたちではない。 そうや…