2007-07-01から1ヶ月間の記事一覧

若者論としてのザ・フー・9

現在のこの国におけるザ・フーのファンは、「トミー」や「4重人格」などのコンセプト・アルバムの話題性や音楽的なボリューム感に注目して聞き始めた50歳前後の世代からあとの人たちがほとんどです。 ただ、後追いで聞き始めた20代30代の若い層は、デ…

若者論としてのザ・フー・8

ビートルズ解散のころ、「ザ・フー」は、「トミー」というロックオペラをつくって大成功させている。そしてその主人公は、この世でもっとも非社会的な存在としての目も見えない耳も聞こえない話すこともできない少年だった。彼らにとっては、よりよい社会が実…

若者論としてのザ・フー・7

「ザ・フー」は「大センセーションを起こす気なんかないさ」といって社会そのものを拒否したが、大センセーションを起こしたビートルズのジョン・レノンはそれによってこの社会を変えようとし、ポール・マッカートニーはこの社会をもっとよくしようとした。 だ…

閑話休題・山姥の原像

研究者というのは、どうしてこうもあほなんだろう。僕がそういうと、たいていの人は、あからさまに不快感を示し、僕の人格を軽蔑してきます。僕からすれば、「おまえらの不快感や人格なんてどうでもいいんだよ。不快だというのなら、研究者の説明が、俺の考…

若者論としてのザ・フー・6

60年代の全共闘運動は、若者が、大人たちと同じ土俵に立って繰り広げられていた。それは、共同体にたいする拒否反応を喪失した若者が、共同体に干渉していった現象です。つまり戦後生まれの子どもたちが若者といわれる世代になり、大人と同じように社会の…

若者論としてのザ・フー・5

「マイ・ジェネレイション」のヒットによってすっかり社会派ロックのレッテルを貼られてしまったザ・フーだが、彼らの曲に、じつは社会を批判するといった内容のものはほとんどない。 すくなくともラブソングにおいては、ただもうそういう時代状況に置かれた…

若者論としてのザ・フー・4

ザ・フーのラブソングは、つねに、社会と和解できない若者の、具体的なたった一回きりの出会いが表現されている。ビートルズのそれより、ずっと表情豊かで、詩的表現のレベルにおいてもより高度だった。 「ラ・ラ・ラ・ライズ」や「グッズ・ゴーン」ではその鬱屈…

若者論としてのザ・フー・3

ザ・フーファンの人のひとりかふたりは読んでくれているらしいことがわかって、すごくうれしいです。 あの時代のことを若い人より多少は知っているというだけで、音楽評論としての内容なんかなあんもないけど、たとえば一日中「BBCセッション」ばかり繰り返…

若者論としてのザ・フー・2

ビートルズが、恋というのはこういうものだというある断面を指し示し、世界中の若者が、そうだそうだと納得する。みんな一緒の恋。取替え可能な恋。恋とは、デートをすること、やきもちを焼くこと、抱きしめること。恋をすることは青春であり、日米の若者は…

若者論としてのザ・フー・1

タイトルを変えて出直しです。 このあたりで、ザ・フーのメンバー4人のキャラクターについての、いささか独断的な感想を書いておきます。 まず、もっとも中心的な存在は、曲作りのほとんどを一身に担っている、リードギターのピート・タウンゼント。音作り…

団塊世代と戦後に滅びてしまったもの・2

けっきょく、戦後に滅びてしまったいちばんのものは、「歴史」としての「言葉」だったのかもしれない。 つまり、心の表現としてのやまとことばが滅んだ。 そのとき、日本人の心が変わったのではない。日本人は、心を振り捨てたのだ。 「俺」とか「僕」と言っ…

団塊世代と戦後に滅んでしまったもの・1

団塊世代のひとりとして、戦後に滅んでしまったものはなんだったのか、ということの証言ができたら、とこのごろ思います。 でもそれは、僕の分(ぶん)に過ぎたことであるのかもしれない。 であればもう、あれこれ書き散らかしてみるだけです。そうすれば、…

閑話休題・団塊世代の光と影

団塊世代ほど、良民=常民意識の強い人種もいない。彼らは、自分たちが明るく正しい日本人だと思っている。 自分は正しい、まっとうな人間である・・・・・・その意識は、社会(共同体)と結託したところで生まれてくる。そんな自覚を保証してくれるところは、社会…

「穢れ」の構造・2

祭りの場には、どこからともなくたくさんの「異人」たちが集まってくる。 江戸時代はじめのある祭りには、乞食・非人・鉢たたき・唱聞(しょうもん)師・猿使い・盲人・いざり・腰引き・おし・えた・皮剥ぎ・勧進の聖等々、さまざまな異人たちが数知れず集ま…

乞食(ほかいびと)の原像

乞食は、もともと「祝(ほかい)びと」と呼ばれ、めでたい歌を歌いながら家々を門付けし、その礼に食べものをもらって歩く人々だったのだとか。その習俗は、奈良時代からすでに始まっており、民間芸能の原点だともいえる。 奈良時代は、班田収受の法という土…

「穢れ」の構造

共同体における「穢(けが)れ」の意識について考えてみたいと思います。 古来より共同体は、病人や死者や身体障害者を、穢れた存在として排除(排泄)してゆく構造を持っている。 だから共同体は、聖なる空間かといえば、そうじゃない。病人も死者も身体障…

商人は「外部」の存在か

世の中には、誰もがあたりまえのように思い込んでいることで、よく考えると「そんなの変だ、そうじゃないだろう」と言いたくなることがたくさんあります。 「商人=外部=異人」というパラダイムも、そのひとつです。 80年代には、柄谷行人氏や浅田彰氏が…

閑話休題・傲慢な思想

これは、僕が敬愛する韓国の映画監督キム・ギドクの発言から啓発されて考えたことです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ かつて僕が、父親の体から放出された無数の精子のひとつだったとき、僕は、母親の卵子に着床するべき必然性をそなえた最強最良の精…

「かわいい」の流行・補記

「かわいい=小映(こは)ゆい」という言葉の原点は、縄文時代のきらきら光る石の玉(たま)にあるような気がしてきました。玉は、「霊魂(たま)」でもあります。 最初は小さな太陽であった「たま」が、やがて霊魂という意味になっていった。「たま」という…

閑話休題・「かわいい」の流行

そのムーブメントは、日本で生まれ、いまや世界中に広がりつつあるのだとか。 「かわいい」とは、ようするに小さいものを愛惜する心の表現でしょう。 世界中の人々のあいだで、小さいものを愛惜する心が共有されつつある。 現在のこの世界は、ひたすら膨張化…

団塊世代に人気がなかったザ・フー・8

はっきり言って、団塊世代の人たちの、つねに肯定的に自分や自分の過去をまさぐってばかりいる精神構造というのは、めちゃくちゃむかつきます。「マイ・ジェネレイション」の歌にならって言えば、「消えちまえよ、おめえら」という気分です。 いや、団塊世代…

団塊世代に人気がなかったザ・フー・7

早い話が、ビートルズが演奏活動をやめてしまったのは、自分たちの演奏技術に自信がなかったからだ・・・・・・といってしまえば実もふたもないのだが、それだけじゃない。聴衆を眺める視線が欠落していたのだ。ただうるさいだけのあほガキだと思っていた。どうし…

団塊世代に人気がなかったザ・フー・6

ビートルズのアメリカでの人気を決定づけたのが「プリーズ・プリーズ・ミー」だとすれば、ザ・フーのイギリス本土での人気を沸騰させたのは、なんといっても3枚目のシングル「マイ・ジェネレイション」だった。 前者が、世界中の若者の恋する気分の一断面を…

閑話休題・・ネット・カフェ・クルージングについて

最近「ネット・カフェ難民」の急増が話題になっているらしく、そういうことについて言及しているブログを見つけたのですが、そのページに寄せられたブロガーのコメントがあまりにも下品で通俗的なものばかりだから、少々腹が立ってきました。 いわく、無気力…

団塊世代に人気がなかったザ・フー・5

ビートルズがアメリカを席巻して以後、続々とリバプールのバンドがアメリカに上陸していった。もちろん日本にもこの現象は波及してきて、「リバプール・サウンド」とか「マージービート」などと呼ばれていました。 おおむね、女の子受けする舌触りのいいロッ…