団塊世代に人気がなかったザ・フー・8

はっきり言って、団塊世代の人たちの、つねに肯定的に自分や自分の過去をまさぐってばかりいる精神構造というのは、めちゃくちゃむかつきます。「マイ・ジェネレイション」の歌にならって言えば、「消えちまえよ、おめえら」という気分です。
いや、団塊世代だけじゃない。それは、団塊世代から団塊ジュニアまでのあいだの世代に共通する意識かもしれない。ようするに、社会からもたらされる情報をコレクションする能力ばかり発達して、人に対するおののきやときめきがない。だから、どいつもこいつもいい服を着ているわりに、ぶっさいくな顔つきをしている。自分のことを棚にあげて言わせてもらえれば、ですけどね。
したがって、「団塊世代を総括する」の著者をはじめとするそのあとの世代の人たちの団塊世代批判も、けっきょく自分たちを正当化し自分たちの優位性を主張したがる薄汚いあつかましさが透けて見えるばかりです。彼らだって、団塊世代が敷いたレールの上で安穏に暮らしながら、けちなナルシズムとものほしげな社会意識に執着して生きてきただけでしょう。
その後の世代が全共闘運動をモダンな市民運動に変えたからといって、僕は、ちっとも偉いとも正しいとも思わない。それだって、まあ、軍服を着ないファシズムみたいなものだ。自慢するほどのものか。社会的な認知を得ているからといって、それで正義づらをするのも、なんなのでしょうか。この人たちには、社会に対するおそれとか人に対するはにかみというようなものはないのだろうか。それは、団塊世代のメンタリティとちっとも変わりゃしない。
親鸞悪人正機説は、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と言っているが、それは、悔い改める、という回路においてこそ浄土への通路がもうけられているのだ、という思想なのだろうと思えます。そういう体験がなくて何が人間か、そういう契機がなくてどうして救われよう、ということでしょうか。であれば、「団塊世代を総括する」の著者のように、醜悪な正義づら下げて団塊世代の生き方まであれこれ指図してくる人種がまっとうな善人であるのなら、われわれのように情けなくて恥ずかしくてどう生きていいかわからない人間だって、人間のうちに入れてくれてもいいだろうと思わないでもありません。
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「マイ・ジェネレーション」は、そのポップでキャッチーな主旋律においても、若者の共感を呼ばずにおかない歌詞の鮮やかさにおいても、ボーカルの魅力的な歌唱や演奏の確かさとボリューム感においても、とにかく時代を映す鏡としてのロックの条件をすべて備えている楽曲だった。だからこそイギリスでヒットし、それでもアメリカではさっぱり売れなかった。
この世に「若者」という人種がいるかぎり、ロックがロックであればきっと売れるし、ロックはロックであるがゆえに社会を覆い尽くすことはできない。ロックは、この社会の鏡であると同時に、この社会を拒否するところの社会の「外部」でもある。売れなければ魅力的なロックとはいえないし、そうそう売れるものではないのがほんもののロックなのだ。
近代都市でありながら階級社会でもあるイギリスのストリートの若者たちほど社会にたいする拒否反応をラディカルに抱えている存在など、世界中のどこにもないだろう。
しかも当時のイギリスの都市において、もうひとつのムーブメントであったファンキーロック一筋の「ロッカーズ」という一団と違って、「モッズ」はもっとひねくれた若者たちだったのだ。そういう若者をターゲットに発信し圧倒的に支持された曲が、どんなに魅力的でもグローバルなヒットになるはずがない。
じっさい「マイ・ジェネレーション」は、全英では二位になったが、一位であるシーカーズのいかにもご家庭向けのセンチメンタルバラードをついに追い抜くことはできなかった。ザ・フーは、いまやこれほどの大物なのに、アメリカどころかイギリスにおいてもナンバーワンヒットをただの一度も経験していないのです。彼らは、もっともイギリス的であるがゆえにイギリス社会からも外れてしまっている若者たちをターゲットにロックというメッセージを発信し続けた。
資本主義が元気に成長し続けるあの時代にあって、なお頑固に階級制度を守ろうとして経済の停滞を招いていたイギリスは、ある意味で世界の辺境であった。そしてそんなイギリスの中のさらに辺境そのものであるストリートの若者たちをターゲットにすることが世界のマーケットを意識したときにどれほど大きなハンデキャップになるかということは、メンバー以上にマネージャーはもっとよく承知していたはずです。それでもマネージャーも一緒になってストリートに向いていたところが、ザ・フーザ・フーたるゆえんだった。そういう若者たちを肯かせることができなくてなにがロックかという思いはメンバーにはきっとあっただろうし、イギリスの高名な作曲家の息子でありインテリであったキット・ランバートというマネージャーは、前衛的なポップアートの実験の場はそこにしかないのだと考えていたのかもしれない。
まあ卑俗なことを言ってしまえば、ランバートホモセクシュアルで、ストリートの美少年を拾ってくる趣味があった、ということとも無縁ではなかったでしょう。しかしだからこそ、そうした若者の無垢な美しさと孤立感のようなものを誰よりもよく知り愛している人間であったのだし、ザ・フーのメンバーも彼のそうした感性を尊敬こそすれ嫌う理由はなかった。もともと彼ら四人が四人とも、どこかしらに健全な社会人の枠からこぼれてしまっている部分を持った者たちだったわけで、彼らのランバート以上の奇行に関する伝説なら数え切れないほどある。
したがってマネージャーも含めたザ・フーというロックバンドがいつまでもストリートの若者との同盟関係にこだわり続けたことはもう、避けがたい必然だったのだともいえる。