2010-06-01から1ヶ月間の記事一覧
内田樹先生にとって「子供」とは、次のような生きものらしい。 <日本男子が血肉化してる「小学生時代の価値観」とは「競争において相対的に優位に立つことが人生の目的である」というものである。> 「日本男子」というからには、奈良時代の子供も江戸時代…
いまや、世界中の人間が何かから追いつめられている。 混乱しはじめている資本主義にか、それとも地球温暖化や環境破壊にか。 いや、人間は、存在そのものにおいてすでに何かから追いつめられている。人間は、追いつめられて生きている存在なのだ。 誰におい…
外国のマンガは、総じて心理描写が平板である。 それに対して日本のマンガ家がさまざまな技法を駆使して細かい心理のあやを表現してゆくことができるのは、われわれが日常的に使っていることばそのものに心理の表出の機能が備わっているからだろう。 やまと…
内田樹先生や養老孟司先生は、今「ジャパン・クール」と世界中でもてはやされている日本のマンガ表現における質の高さのわけを、日本人はマンガを読みこなす能力がすぐれているからだ、と説明してくれる。 表意文字の「漢字」と表音文字の「かな」の両方を持…
「マンガ」の文化がなぜこの国で発達したのか。 内田先生はこれを、日本語の性格の問題だといっておられる。日本語には、表意文字の「漢字」と表音文字の「かな」がある。われわれはこの二つを脳内の別々の部位で「同時処理」しているのだとか。養老孟司先生…
他人様のことばだが、「なによりも私を使い果たしたまへ」なんて、涙が出るほどチャーミングな表現だ。しかし、この国のバカなコギャルの「なんちゃってファッション」は、そうやって「私を使い果たし」ているところから生まれてくるのであり、それが、「ジ…
新幹線は、戦後の高度成長のひとつの象徴になっている。この新幹線を計画し、走らせることをリードしていったのが、満鉄(南満州鉄道)からの引揚者とその子弟たちだったらしい。 「引揚者」といっても、貧乏人ばかりではない。戦後の日本をリードしていった…
ある絵描きが「現実は精巧につくられた夢である」といったそうな。 「現実は夢のようだ」というような言い方は、誰でもする。 とすれば、「精巧につくられた」というところがみそだ。この表現に、画家の万感の思いがこめられている。 われわれ日本列島の住民…
「日本辺境論」においては、人間は「中心と周縁」というコスモロジー(宇宙論)で世界を考える、という前提で語っておられる。 先生は、売れっ子の文筆業者の大学教授、というかたちでこの社会の「中心」に位置しておられる。そのことが先生のアイデンティテ…
「日本辺境論の」の内田樹先生は、こんなことをいっておられる。 「<非現実>を技巧した<現実主義>、<無知>を装った<狡知>というものがありうる。それをこれほど無意識的に操作できる国民が日本人の他にあるでしょうか。」 「知らないふりをする小ず…
「日本辺境論」は、第一章で内田樹先生の主張のほとんどは言い尽くされている。 つまり、明治以降の歴史で、日本人論を語っておられる。 僕はそういう近代史については、知識も興味もほとんどないから、けっこう四苦八苦してこれを書いている。日本人論を語…
内田樹先生によれば、日露戦争の勝利から太平洋戦争にいたる侵略主義における日本人のスローガンは、「世界標準を追い抜くこと」だったのだとか。 でも猿真似の辺境人根性という限界を持っている日本人には、「世界標準」を超えるものをイメージする能力はな…
この本に対して僕は、訳知り顔に「部分的には同意できるところもないではない」などというつもりはない。 全部だめだ。 こんないやらしく底の浅いへりくつにたぶらかされるほど僕は素直ではないし、部分的に認めてやれるほどの器量も持ち合わせていない。 こ…
聖徳太子が遣隋使を派遣するに際して「日いずるところの天子」と宣言したことにはじまって、現在のアメリカからの核持込みまで、日本列島の住民は、「辺境」であることを逆手にとって「知らないふりをする」という戦略で生き延びてきた、と「日本辺境論」の…
菅直人代表誕生の日にこんなどうでもいいことをわめいているのもなんだか気が引けるのだが、政治向きのことはよくわかりません。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本列島の住民が「国」というものを意識しはじめたのはいつごろからだろう。 幕末から明…
時代が人をつくるのか。 人が時代をつくるのか。 「日本辺境論」は、人が時代(歴史)をつくってきた、という前提で語っている。 内田樹先生の頭の中では、どうやら自分が時代をつくっているつもりの意識が活発にはたらいておられるらしい。 まあ、先生だけ…