2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

やまとことばの「たび」の語源は、生まれ変わったような気分のときめきの表出で、おそらく旅そのものを表していたのではない。 「た」は、「立つ・足る」の「た」、「ときめき・充足」の語義。 「び=ひ」は、「秘める」の「ひ」、自分の中の隠されていた気…

ネアンデルタール人というテーマはそろそろもう終わりにしてもいいのだが、何かを見落としているという気がしてならない。 こうなったらもう、死ぬまでネアンデルタール人のことを書き続けていけ、という声がどこかから聞こえてきそうな気もする。 アフリカ…

出アフリカ……アウト・オブ・アフリカ。欧米人は、旧約聖書にモーゼの奇蹟としてこういう話が出てくるから、この言葉がことのほかお気に入りらしい。 しかし、3万年前のアフリカ人がヨーロッパに移住していったなんて、そんなことがあるはずないじゃないか。…

集団的置換説なんか、あり得ないことだ。ネアンデルタール人がクロマニヨン人になっただけのこと。両者の連続性は、いくらでも考えることができる。 たしかに、「クロマニヨン人とは3万年前にアフリカからヨーロッパに移住してきたホモ・サピエンスである」…

ドイツのマックス・ブランク進化人類学研究所というところの研究チームが、1年前に次のようなことを発表したらしい。 「3万年前のヨーロッパにおけるホモ・サピエンス=クロマニヨン人の脳の神経回路は生後一年くらいから目覚ましく発達して、それが自然淘…

この国でも、戦前までは、子供が乳幼児のうちに死んでゆくことは、そう珍しいことでもなかった。 そうして母親たちは、「わが子に先立たれることほど悲しいことはない」と、口をそろえて言う。 埋葬の起源の契機が「悲しみ」にあったとすれば、最初に埋葬さ…

ネアンデルタール人の埋葬については、まだまだもっと問題がありそうに思うのだけれど、これ以上浮かんできません。このへんが議論をする相手のいない人間の悲しさで、しょうがないから、最後に未練がましい蛇足を書いておきます。 ・・・・・・・・・・・・…

集団的置換説の提唱者のある東大の研究者は、人間は知能が発達したから親しい他者の死を悲しむようになった、と言っておられる。ネアンデルタール人は、声を上げておいおい泣くということはしなかったんだってさ。 まったく、集団的置換説の提唱者なんか、こ…

たかが放射能の1ミリシーベルトにおびえちゃってさ。 しかしそれだって、それほどに人間は「ぎりぎりの状態」で生きているということの証明でもある。 われわれが生き物としていかに「ぎりぎりの状態」でこの世に存在しているかということを、ここらでもう…

この一文を、先日亡くなられたh119228さまにささげます。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 人間が「神」という概念を発見したのも、神の助けなしに生きていられない存在だったからだろう。誰もが助け合って生きているのだから、誰に助けられているか…

親しい他者の死を嘆き悲しむことは、他者を生かそうとする衝動の挫折として体験される。 人間にとっては、自分の死よりも他者の死の方がもっと悲しいことらしい。それはまあ当然で、自分の死は想像することができるだけで、実際には体験できない。死ねばもう…

生きようとする衝動、などというものはない。 われわれのこの生は、他者を生かそうとする衝動の上に成り立っている。 この生は「すでに生きている」という自覚の上に成り立っているのであれば、生きようとする衝動は原理的に成り立たない。 生きようとなんか…

ネアンデルタールに埋葬という行為をはじめさせたのは、べつに知能が発達したからというようなことではなく、そういう環境になっていたからであり、彼らがそこに住み着いてきた歴史の問題なのだ。 言いかえれば、彼らはすでに現代人と同じレベルの知能を持っ…

『ネアンデルタール人の正体』という本の中で、西秋良宏という東大の研究者が、「ネアンデルタールは埋葬するとき、とくに深く悲しんだのではなく、ただなんとなく埋葬していただけだった」と言っておられる。そして「ネアンデルタールの生活は、何万年も毎…

人間が二本の足で立ち上がることは、たがいの身体のあいだの「空間=すきま」を与え合う行為である。 みんながいっせいに立ち上がることにカタルシスがある。そうやって人類の直立二足歩行がはじまった。ここに、人間的な集団性=社会性の基礎がある。 四足…

人類の歴史における埋葬の起源の意味は、「社会性=共同性」に目覚めたことにあるのであって、知能が発達して霊魂を発見したとか、そういうことではない。 もちろん無意識の習性としての社会性なら、猿にだってある。しかし猿以上の大きく密集した集団をつく…

人類の歴史の起源においては、まず他者に何かを「与え」ようとする衝動を共有しながら集団が成り立っている、という時期があった。「献身」の衝動、と言い換えてもよい。 何かを「所有」しようとするところから歴史がはじまっているのではない。 歴史のあけ…

ネアンデルタール人といえば「埋葬」、この問題は何度かここで書いてきたし、書けばネアンデルタール人や埋葬の起源についての何か新しい面も見えてくるような気がする。 それは、人類学者の言うように「知能が発達してシンボル思考ができるようになったから…

歴史の偶然といっても必然といっても、たぶん同じなのだ。 われわれがこの世に生まれてきたことだって、偶然といえば偶然だし、必然といえば必然で、そういうひとつの運命だったと思うしかない。 5〜3万年前の氷河期にネアンデルタールがアフリカのホモ・…

人間だって生き物である。 人間の行動だって、生き物としての本能に規定されている部分も多い。 人間の歴史は、住みにくいところ住みにくいところへと移動してゆきながら、地球の隅々まで拡散していった。 チンパンジーは、そんな物好きなことはしない。 で…