親しい他者の死を嘆き悲しむことは、他者を生かそうとする衝動の挫折として体験される。
人間にとっては、自分の死よりも他者の死の方がもっと悲しいことらしい。それはまあ当然で、自分の死は想像することができるだけで、実際には体験できない。死ねばもう意識はない。
他者の死だけがわれわれの体験できる死であり、他者を生かそうとする衝動の上に生きてある存在にとって、他者を生かすことができないほど残酷な運命もない。
人と話したり、何かを表現したりすることは、根源的には他者を生かそうとする行為であって、自分を生かすためではない。原初の人類が二本の足で立ち上がったことだって、まあそういう行為であり、それは、とても不安定な生きる能力を喪失する姿勢だったのだ。
自分の死は体験できないのだから、論理的に、自分を生かそうとする衝動も成り立たない。生き物は根源において、そんな衝動(本能)は持っていない。他者を生かそうとする衝動で生きてあるだけなのだ。
だから生き物の身体は、生きてあるぎりぎりのレベル以上には進化しない。われわれの身体は、他者の助けなしに生きられるレベルにはなっていない。他者の助けなしに生きられるレベルにはなれない。自分を生かそうとする衝動を持たないから、他者の助けなしには生きられない。
他者の助けとは、他者の存在に気づくということ。他者が存在するという事実こそ、他者の助けなのだ。
だから、他者を生かそうとする。その衝動なしに生き物の生は成り立たない。
他者を生かすことは、他者に生かされることでもある。
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もしも生き物に自分を生かそうとする本能があるのなら、際限なく進化できるはずである。しかし、そんな生き物はどこにもいない。どんな生き物も、次の瞬間には死ぬかもしれないぎりぎりのレベルで生きている。だから、食うとか息を吸うとかの生きるいとなみをする。余裕で生きていられるのなら、わざわざそんなことをする必要はない。生きるいとなみをしないで生きていられる生き物などどこにもいない。生きようとする本能など持っていないから、生きるいとなみをしないといけないのだ。
生き物は、今ここの環境に対して、必要最低限以上の生きる能力は持っていない。
したがって、そこに住み着いてきたネアンデルタール以上に極寒の北ヨーロッパに住み着く能力を持った人類などどこにもいなかった、ということになる。原始人はみんな、みずからの環境に対してぎりぎりのレベルで生きていた。したがって、よその土地に遠征してゆく原始人などいなかった。
つまり、4〜3万年前にヨーロッパに移住していったアフリカ人などひとりもいない、ネアンデルタール以外にクロマニヨンになれる人類などどこにもいなかった、ということだ。
原始人は、誰もがぎりぎりのレベルで生きていた。誰もが他者を生かそうとする衝動を持っていることによって、その社会が成り立っていた。生き物の生はそのようなかたちになっているから、鳥は雛を育てようとするのだ。生き物は、自分の外の不足の生を埋めようとする。自分の外の不足の生を埋めてゆくことが生きるいとなみなのだ。
つまり、体が動くということは、自分の外の何もない空間に自分の体を埋め込んでゆく行為である。そんなふうにして、鳥は雛を育てる。
原始人は、誰もが、自分が生きる行為として他者を生かそうとした。他者を生かそうとする衝動があるだけで、自分が生きようとする衝動など持っていなかった。
何はともあれ、生きるとは、世界と関わってゆく行為であって、自分をまさぐることではない。
しかしいまどきは、自分をまさぐることが生きる行為だと思っている人間が、いやになるくらいたくさんいる。人間は、いつごろからそんなことばかりするようになったのだろう。
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親しい他者の死に対する悲しみは、ひとつの挫折感である。他者に生きていてくれと願う気持ちがあったから悲しいのだ。
人類がそういう気持ちを持つようになったのは、生きることが困難な土地に住み着いていったからだろう。そこでは、誰もが他者に生きていてくれと願いながら生きていた。他者に生きていてくれと願う気持ちが極まってくる環境だった。その願いの挫折感として、「泣く」という行為が生まれてきた。
人間以外の動物だって泣くのかもしれない。しかし、人間のように声をあげて泣くということはしない。人間にとってそれは、他者と関係してゆくひとつの表現行為である。
ひとりが泣けば、みんなが泣いた。あるとき、そういうことが起きた。
つまりひとりの心が、かんたんにみんなに伝染してしまうということが起きた。
その「ひとり」とは、たぶん、自分の赤ん坊を亡くした母親である。
では、その母親は、どうしたかったのか。赤ん坊と離れたくなかった。赤ん坊が死んでしまったことを認めたくなかったから、赤ん坊を寒空の下に置きたくなかった。
そういう母親の気持ちがみんなに伝染して、洞窟の下に埋めるという行為がはじまったのだ。
洞窟はみんなのものだったから、みんなが同意しなければその行為を起きてこない。彼らがそれを洞窟の土の下に埋めたということは、それが社会的な行為であったことを意味する。
みんなが泣いて、みんなが同意したのだ。これが、洞窟の土の下に埋めるという葬送儀礼の起源のかたちである。
他者を生かそうとする気持ちがなければ、他者の死に泣きはしない。
そのとき母親は、まわりのみんなの気持ちを呼び覚まそうとして、声を上げて泣いた。こんな悲しいことはないじゃないかと訴えた。そしてみんなも同意し、みんなもみんなに向かって訴えた。
つまり、他者を生かそうとする心の連鎖反応が起きた。そういう連鎖反応が起きるくらい彼らは、厳しい環境でぎりぎりの生を生きていた。
人間の集団は、嘆きを共有してゆくところでもっとも強い結束が生まれる。人間の共同性は、嘆きを共有する、というかたちではじまった。
人類の葬送儀礼は、嘆きを共有する行為としてはじまった。これが、社会的な行為としての葬送儀礼の原点である。
他者の存在に気付き、他者を生かそうとすること……他者の死によってこの気持ちが極まってネアンデルタールは埋葬をはじめた。
人類は、他者の死を嘆くという歴史の果てに、埋葬するということを覚えていった。そのころ地球上で、そういう体験をもっともたくさんしていたのは、ネアンデルタールだった。
彼らは、人間が生きられないような厳しい環境の下で生きていた。彼らはたくさんの子を産み、たくさんの死と遭遇していた。
そして、アフリカのホモ・サピエンスと違って、死者を置き去りにして移動してゆくということのできる生活形態ではなかったから、死者の思い出はいつまでも残った。彼らは、他の人類よりも二重に深く他者の死と向き合わねばならなかった。そういう状況が、人類に埋葬という行為をはじめさせた。
世の人類学者たちの言うように、シンボル思考とかいう知能が埋葬という行為を生んだのではない。みんなで他者の死を深く嘆いたからだ。この「みんなで」という状況も、ネアンデルタールのところにしかなかった。彼らは、埋葬という行為が生まれてくるような歴史を生きたのであって、べつにそういう知能を発達させたとか、そういう問題ではない。
ほんとに、人類学者なんかアホばっかりだと思う。
しかし僕は、最後は同じことばかり言っている。こんなことは言っても言わなくてもいいことだけど、どうしても言いたくなってしまう。すみません。
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