2007-05-01から1ヶ月間の記事一覧

僕は、生首少年を忘れない 2

ようやく古人類学の話に戻りかけて、生首少年のことにしつこく関わるつもりなどなかったのだけれど、あるサイトで「おまえの考えていることなんか、ただの幼稚な思い込みだ。あんなものはただの精神疾患で、時代とも親とも関係ないんだぜ」と軽くあしらわれ…

閑話休題・僕は、生首少年を忘れない

生首少年の場合は、たんなる精神疾患で「はしか」みたいなものだ、と言っている人がいます。まあ、おおかたのところは、そういう方向で決着してゆくのでしょうね。 しかし、じゃあ、どんな精神が正常なのか。 人を殺さない精神は、正常なのか。 僕には、わか…

定住するということ

「人類史のなかの定住革命」(講談社学術文庫)の著者が説く直立二足歩行の起源、「いつも手に棒や石を持っていたからだ」という仮説がいかにくだらないかということについて、ひとつ書き忘れていたことがあったので、まずそれを書いておきます。 「拇指対向…

人類はなぜ地球の隅々まで拡散していったのか

先日、興味深いタイトルの本を見つけ、さっそく読んでみました。 「人類史のなかの定住革命」西田正規・著(講談社学術文庫) 人類はなぜ地球の隅々まで拡散し住み着いていったのか、ということが書いてあると思ったのです。もちろん著者もそれを書いたつも…

閑話休題・もう一度生首少年のことを考える

けっきょくわれわれは、「少年とは?」という問題を突きつけられているのだと思います。 お母さんの生首をバックに入れて持ち歩くなんて、現代社会のおいてはたしかにセンセーショナルな行為だけれど、歴史的に考えれば、それほど異常なことだとも思えない。…

漂泊論のまとめ

今でこそ海は、人々の遊び場になり、世界中を結ぶ交通路になっているが、原初の、氷河期が明けて大陸から切り離されてしまったことを悟った日本列島の人々が体験した絶望や悲しみは、並大抵ではなかったはずです。縄文時代は、そこから始まり、その体験の上…

方丈の漂泊

中世の漂泊の文化は、僧侶などの旅人だけが担っていたのではない。それを迎える村人もまた、ある意味で漂泊者だったし、さらには、そのころ流行した、旅をすることとはまったく対極にある「隠遁」という生活スタイルもまた、さらにラディカルな漂泊のかたち…

日本的な身体観の源流

われわれの社会生活は、みずからの身体を支配してゆく手続きの上に成り立っている。歩くことは、つまるところ、そういう欲望を洗い流してしまうことにほかならない。歩くことは、身体が、観念の支配から解放されることだ。生きやすさを求める観念の支配から…

漂泊の身体

住み着くことは、住みにくさを受け入れることです。じっと立っていれば、しんどいに決まっている。歩き出したほうが、体は楽なのです。それでも住み着いてしまうのは、土地にたいする愛着を持つからだが、それが持てなければもう、漂泊してゆくしかない。直…

漂泊の世界観

デカルトは、「われ思う、ゆえにわれあり」といった。ここでは、「われあり」ということが前提になっていて、それを証明すれば救いになる、という思想がはたらいている。日本列島に住む人間からすれば、ずいぶんかんたんにいってくれるじゃないの、という話…

一遍・中世の漂泊

弥生時代以降の定住していった日本人に、漂泊する心性がなくなったわけではない。彼らは、漂泊する心性で定住していったのだ。 中世においては、空也とか一遍上人とかの遊行念仏が、一般庶民を巻き込んで日本中をさすらってゆくというムーブメントが起きてい…

中世の漂泊

中世の無常感を、身体論として考えてみたいと思っています。 われわれのこの身体こそもっとも常ならざるものであるのは当然のことだが、西洋では心身二元論というかたちで、それを実感することから免れていた。キリスト教は、観念(心)の永遠を説く宗教です…

閑話休題・お母さんの生首

バラバラ殺人事件なんかいくつも起きているご時世だからそういうこともあるだろうし、なんだか寺山修司の詩や劇の世界みたいだなあ、というのが、その事件を知ったときの最初の印象でした。 先日、会津若松の少年がお母さんを殺し、その生首をバッグに入れて…

無常と漂泊Ⅱ

日本列島に住む人間にとっての「無常」とは、単純にこの世界の栄枯盛衰や命のはかなさだけをいうのではない。それは、思想ではなく、生きてある今ここの実存の意識です。身体や、時間にたいする意識(感覚)です。 弥生時代に奈良盆地に住み着いていった人々…

無常と漂泊

日本人の漂白の心性を問おうとするなら、やはり「無常感(観)」の問題は避けて通れないように思えます。 仏教では、それは、観念であり思想であり哲学であるわけだが、日本列島では、もっとプリミティブで身体的な心模様としてある。 「無常」ということが…

現在の古代史観のまとめ

古代の歴史は、「権力者」がつくったのではなく、「民衆」がつくったのだ。歴史はそこから始まり、そこからやがて「権力者」が生まれていった。 前方後円墳をはじめとする初期の大和朝廷の史料には列島中の要素が混じっているというのなら、それは、列島中の…

さらに、現在の古代史観

弥生時代後期から古墳時代にかけて、大和盆地ほど人が寄り集まって住み着いてゆく文化が高度に発達した地域は、どこにもなかった。大和盆地には、発達するべき条件が備わっていた。 九州の吉野ケ里遺跡がどうのといっても、あそこまでなのです。纏向遺跡のレ…

現在の古代史観Ⅴ

3世紀はじめ(卑弥呼の時代)の大和盆地最初の都市であろうといわれている纏向(まきむく)遺跡には、防御のための壁も溝もなかった。それは、大和朝廷がまわりを平定して攻撃される心配がなくなったからだ、と研究者はいう。冗談じゃない。彼らのいうよう…

現在の古代史観Ⅳ

原初の大和盆地は、湖だった。しかし雨が多いその地では、たえずまわりの山から川の流れとともに土砂が運ばれてきて、堆積し、やがて水面のレベルに近づき、平らな湿地帯になっていった。そうして、弥生時代後期になって、すこしづつ干上がった土地があらわ…

現在の古代史観Ⅲ

大和盆地は、弥生時代になっても、まだほとんどが湿地帯だった。だから人々は、浮島のかたちの少し小高く干上がっている地域に寄り集まるように住みついていった。そういう地域が、おそらく山すその平地に点々と散在していたのでしょう。その状況があったか…

現在の古代史観Ⅱ

卑弥呼の前の時代は国中乱れて戦争ばかりしていた、「魏志倭人伝」にそう書いてあるのだとか。 こんなもの、ほんとかどうかわかりゃしない。おもしろがって、勝手にそう書いただけかもしれない。大陸人からすれば、ろくでもない国は戦争ばかりしているという…

現在の古代史観

初期の大和朝廷は、3世紀末に列島中の豪族が奈良盆地に集まり、天皇を担ぎ上げてできたものだ・・・・・・これが、現在の古代史研究の趨勢なのだそうです。そして北九州だけがこの動きに参加することを拒んだために、その地に君臨していた邪馬台国が大和朝廷の軍…

古事記の世界観Ⅴ

古代の奈良盆地の人々は、天皇を神とあがめていた。 しかしそれは、それほどに天皇の権力が絶大だったからではない。人々が、勝手に神とあがめていたたけのことだ。どんな絶大な権力の持ち主でも、自分のことを、民衆に神だと思わせることはできない。権力し…

古事記の世界観Ⅳ

さすらいびとがさすらう心で定住してゆくこと、これが、弥生時代以来奈良盆地で始まった定住の歴史だった。彼らは、古事記において、さすらう心を表現した。奈良盆地に住みよい条件など何もなかった。さすらう心をいざなう景観だけがあった。彼らは、さすら…

古事記の世界観Ⅲ

まわりの景色が世界として完結しているということ、それが古代の人々が奈良盆地に住み着いてゆく契機だったのだろうと思えます。 やまとは くにのまほろば 畳(たた)なずく 青垣 山ごもれる やまとし うるわし これは、「景行記」の中で、ヤマトタケルが詠…

古事記の世界観Ⅱ

奈良盆地にあらわれた濠のある前方後円墳は、列島中のいろんな地域の要素が混じっている。奈良盆地特有の要素といえるのは、まわりを濠で囲むということくらいで、それは、いろんな地域から集まってきた人たちのアイデアが集まってできたのだ。 同様に、古事…

古事記の世界観

「古事記」をどう読むか。いろいろあるだろうが、縄文時代から弥生時代にかけて山野を漂泊していた日本人が平地に定住していったことから生まれてきた話として読むこともできる。さすらう民が平地に定住してゆくためには、あのように荒唐無稽な神話が必要だ…

閑話休題・映画の話

ヴィンセント・ギャロの「バッファロー・66」は、最高にキュートな映画だった。 太めで大根足のヒロインも、いろいろ言われているが、僕には花も実もある美貌に見えたし、とくに目の表情がきわだってチャーミングだった。彼女がボーリング場でとつぜん意味…

再考・前方後円墳Ⅲ

「はか」という言葉の感触を、もう少し考えてみます。 「は」は、たよりなくよくわからないさま。 「か」は、完結しているさま。 このふたつが合わさって、たとえたよりなくよくわからないものでも完結していると認識してしまっている心のさまから、「はか」…