2015-12-01から1ヶ月間の記事一覧

他愛ないときめき・ネアンデルタール人論106

1 原節子のことを書いている途中で「憧れ」という言葉と出会い、これは人類史の「起源論」の大きな問題かもしれない、と思った。 何はともあれこのことは、直立二足歩行の起源ともかかわっている問題なのだ。 原初の森の中で暮らしていた人類は二本の足で立…

原節子という女神

1 原節子論はこれで終わりにしたい。 ともあれ団塊世代の僕にとって原節子の死は、それなりに感慨深いものがあった。 われわれは、まるごと「戦後」という時代とともに生きてきた。 原節子は、その「新しい時代」を歩みはじめた日本人の「憧れの女神」だった…

原節子論・あるがままの自分

1 あのベストセラーの著者の名前はもう忘れたが、『女性の品格』などといわれもねえ。人の品性とか品格というものを、あんな俗っぽいおばさんがあんな俗っぽいレベルで語ってしまっていいのだろうか。あの本の読者たちは、あの著者のおばさんに「品格」とい…

原節子論・遠い憧れ

1 僕は、原節子の映画とリアルタイムで出会っているわけではない。1963年に原節子が雲隠れしたあとから、小津安二郎の作品とともにビデオや名画座などで知ったにすぎない。 それでも、原節子ほど、人の「品性」とか、人類社会における暗喩(メタファー)…

原節子論・女神について考える

1 人類は、普遍的に「女神」に憧れている。 女神に何がしてほしいとか、そういうことではない。 目の前にいてくれるだけでいい。 女神の存在こそが人々の希望になる。 「生きる希望になる」というのではない。「もう死んでもいい」という心地にさせてくれる…

閑話休題・原節子というカリスマ

この国の天皇だって、おそらくその起源においては「カリスマ女優」だったのだ。 まあいまどきは「ネトウヨ」とかのやかましく愚劣な騒ぎもあって天皇論は避けて通りたいところだが、「卑弥呼」の話もあるくらいで、女が天皇だったとしても不思議ではないし、…

閑話休題・女優という生贄

原節子の気品というか品性の輝きは、「貴族的」というのとはちょっと違う。もっと人間としての普遍的な何かなのだ。 原節子を映画のスクリーンの上でもっとも輝かせたのはおそらく、『晩春』『麦秋』『東京物語』のいわゆる「紀子三部作」をつくった小津安二…

閑話休題・原節子の品性

原節子は、1960年代の半ば、突然映画界から去っていった。まだ42歳だったし、いかにも唐突だった。もはや主役の若い美女を演じるということはなくても、「原節子」というブランドはすでに定着していたし、まだまだ活躍の場はあったのに、敬愛する監督…