2007-01-01から1ヶ月間の記事一覧

言葉の起源Ⅱ

言葉は、直立二足歩行をはじめたときのみんながいっせいに立ち上がるという、人間の強い「模倣行動」の習性とともに発達してきた。 あるところで生まれた言葉が、一気に群れ全体に広まってしまう。そういうダイナミズムが、言葉を発達させる。 「知能」の問…

言葉の起源

1・・・・・・・・・・ 人類の歴史を考える上で、言葉の問題は、大事です。 僕も、ネアンデルタールに興味を持たなければ、このことにこだわることはなかったと思う。 ネアンデルタールが極寒の北ヨーロッパで生きてゆくことのできる生態を確立し、やがてク…

古人類学の世界の共同幻想

パズルゲームをしているようなスタンスで原始人の行動を説明しているだけでは何もわからない。人間とは何か、という問いなどまったくない。人間のことがわかっているつもりでいる。その軽薄な思考態度が気に入らない。 人間とは何か、ということなど、誰にも…

人類拡散の契機について考える

人類は、食料を求めて拡散したのではない。 「スペース」を求めたのです。 これが、直立二足歩行する人間の本質です。 二本の足で立つということは、おたがいが体をぶつけ合わなくてもすむ「スペース」を確保する、ということです。 手に物を持つために立ち上…

ネアンデルタールとホモ・サピエンスの接近遭遇はあったのか

北ヨーロッパのネアンデルタールは、アフリカのホモ・サピエンスと出会ったか。 出会ったはずがないし、ホモ・サピエンスが、あの戦闘的でチームワークも優れているネアンデルタールを追い払うことなどできるはずがないのです。 しかも、家族的小集団で移動…

研究者が「それは、謎である」というとき

ミトコンドリア遺伝子の値がどうのという固定観念をひとまず捨て、素直にその生態と文化を考えてみれば、アフリカのホモ・サピエンスとクロマニヨンとのあいだに連続性など何もない。 南の民は南でしか生きてゆけないのであり、南の民は、南にしか移動しない…

拡散の能力とは

ネアンデルタールの前歯は磨り減っていて、それは彼らが前歯で皮をなめしていたからだ、と研究者は言っています。これもおかしな説明です。そんなことしなくても、もっと楽に効率よくできる方法ぐらい、石器を使いこなす知能を持っていた彼らだって見つける…

長距離移動の能力について

陸上競技の走ることにかけてはもう、アフリカやアフリカ出身の黒人選手たちの独壇場です。 現在の走る競技の世界記録は、ほとんど黒人選手によってつくられている。 黒人以外の人種が何とか対等に戦えるのは、マラソンくらいのものです。 それも、オリンピッ…

ネアンデルタール私観

この世の中に、家族こそいちばん大切なものだと思っている人と、家族なんて鬱陶しいだけだと思っている人との割合は、いったいどれくらいなのでしょうかね。 しかしまあ、この社会は、家族こそ正義だ、人間性の本質が育つところだ、というスローガンの天下で…

ネアンデルタールの「心」とは

1・・・・・・・・・・・・・ 現在のネアンデルタール研究の権威である赤澤威先生は、脳を研究すれば、ネアンデルタールの「心」がわかる、とおっしゃる。 じゃあその「心」とはどんなものかといえば、けっきょく「知能」がどうとかというだけなのです。「…

赤色オーカーの幾何学模様と、クロマニヨンの壁画

文化=知能を語るのなら、石器などたいした問題ではない。石器にこだわるのは、想像力が貧困で、それでしか語れないからでしょう。 前回に赤色オーカーの幾何学模様のことをちらと書いてしまったから、ついでにもう少し付け加えておきます。 7万5千年前の…

ネアンデルタールの知能

1・・・・・・・・・・・・ 研究者たちがホモ・サピエンスの優れた知能について語るときの常套句は、「未来を見通す計画力」とか「新しいもの(石器やビーズのアクセサリー)を作り出す発明力」とか、まあそんなようなところです。 とりあえず、「未来を見…

ホモ・サピエンスのストレス

これまで、「生きる」とはストレスを処理する行為である、ということを、ネアンデルタールを中心に書いてきました。 では、およそ7万年前のアフリカのホモ・サピエンスにはどんなストレスがあったのか、ということを考えてみます。 文科系でかつ体育会系でも…

原始人とストレス

ちょいと小うるさいことを書いてみます。 1・・・・・・・・・・・・・・・ 生き物の体に異物が入ってくると、これを排除しようとする作用が生まれる。こういう働きを、ホメオスタシス、というのだそうです。拒絶反応ですね。その異物を「非自己」として排…

寒さがつくる生態と文化

現代のエスキモーにせよ5万年前のネアンデルタールにせよ、寒さが平気な体をしているわけではない。われわれと同じ人間です。ただ、われわれにはない、寒さを処理する文化や生態を持っているだけです。 北海道や青森の人は、南の地域の者より寒さに平気かと…

ストレスが脳を発達させた

1・・・・・・・・・・・・・・・ 「違う!」という反応。これが、人間の脳を発達させてきたのだ。 知能がどうとかという問題ではない。 生きものが生きてあることの根源は、この「違う!」という働きの上に成り立っている。 たとえば、「息苦しい」という…

[石器時代」という呼び方について考える

石器時代、という。 研究者は、石器によって、その時代の人類の知能や生活レベルや社会の構造がわかると思っているらしい。 石器のことなんか、大して重要な問題ではない。確かに石器の問題にしてしまえればことは簡単だが、石器を物差しにして計ってしまう…

ネアンデルタールとホモ・サピエンスの人口問題

意を決して、ネアンデルタールの話に戻ります。 レヴィ=ストロースによれば、南米奥地の未開人であるナンビクワラ族は、冬の乾季のときはみんなが集まって野営しながら移動生活をしているのだが、夫婦のセックスだけは、二人で近くの森に入っていってするの…

バラバラ殺人事件についての感想

1・・・・・・・・・・・・・・・・・ こんな小うるさいことばかり書いていても、誰と共感し合えるとも思えないのだけれど、幕を下ろすきっかけがうまくつかめない。 だから、また性懲りもなく書いてしまいます。 バラバラ殺人事件が二つも重なり、ワイドシ…

団塊世代は権力をめざした

七十年代初頭に流行した、西田佐知子の「アカシヤの雨がやむ時」という、ちょっとけだるく「このまま死んでしまいたい」と歌う歌は、全共闘運動に明け暮れてきた者たちの挫折感を象徴している、といわれました。 ビートルズも解散してしまったし、確かにそんな気…

団塊世代とバラバラ殺人事件Ⅱ

団塊世代は今、大きな消費マーケットとして注目されているらしい。 しかし団塊世代もさまざまです。 息子が家のなかでバラバラ殺人事件を起こすところもあれば、退職金を手にして第二の青春を謳歌しているつもりの人たちもいるし、高度成長に巻き込まれて突…

団塊世代とバラバラ殺人事件

「団塊世代とバラバラ殺人事件」 ネアンデルタールのことを書くつもりだったのに、僕のブログは今、漂流しています。 今日は、最近の新聞を賑わした事件のことについて書きます。 東京幡ヶ谷の女子短大生バラバラ殺人事件。 犯人は、同じ家に住む兄。 冷酷残忍…

ジム・ジャームッシュ・自殺の身体

映画を、映画館で見るのと、自分の部屋で寝転がって見るのとどこが違うかといえば、映画館には、体ごと画面と向き合っている醍醐味があるように思えます。 自分の部屋が日常であるのにたいして、映画館の中は非日常の空間であり、そのことにいやでも体が反応…

ネアンデルタールの埋葬とスピリチュアル

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ すくなくとも五万年前のネアンデルタールは、抱きしめることの愛や至福を知っていた。 彼らが、自分たちの住居である洞窟の土の下に死者を埋葬したことは、死者と抱きし…

スピリチュアルな自殺

若者たちの自殺は、「スピリチュアル」な世界が共有されているのだとか。つまり、観念の世界における死。霊魂とか来世とか・・・現代では、大人も若者も、そういう概念をいじくりまわすのが好きらしい。 そんなもの、あるはずないじゃないですか。生きて死んで…

現代の自殺と死に対する感受性

年末に、あるブログ(たしか「町田の独り言」というタイトルだった)で、映画「ブレード・ランナー」についてコメントされていた。 人間と、人間そのままの体を持ったレプリカント(サイボーグ)との対決、というストーリー。映画ファンなら誰でも見ている、…

現代の自殺・「死にたい」と思うこと

べつに自慢でも謙遜でもないが、娘から「お父さんの言うことは、爆笑問題の太田に似てるよ」とよく言われます。 「どこが」とは、聞きません。似ているのはしょうがないとしても、同じではありたくないから。 太田氏の言うように、死の誘惑から逃れる方法と…

自殺の身体論Ⅱ

自殺することは、みずからの身体を支配して、人生の時間を切り落としてしまうことです。 自然死が身体において起こることだとすれば、自殺は、死ぬも生きるも観念が決定するのだという、身体に対する観念の優位性を証明している。 もともと人間は、他の動物…

自殺に関する身体論Ⅰ

正月早々「自殺」をテーマにするなんて、よく考えたら不謹慎だったかもしれない。 しかし、読みたくない人は読まなければいいだけだから・・・ このブログをはじめてひと月、なんだか余計なことばかりしたり考えたりするようになり、このままでは人格まで変…