寒さがつくる生態と文化

現代のエスキモーにせよ5万年前のネアンデルタールにせよ、寒さが平気な体をしているわけではない。われわれと同じ人間です。ただ、われわれにはない、寒さを処理する文化や生態を持っているだけです。
北海道や青森の人は、南の地域の者より寒さに平気かといえば、あんがいそうでもなく、ときに彼らのほうが寒がりだったりする。彼らはそこで、寒さを処理する文化と生態を持って暮らしている。しかしそういう文化や生態のない東京に出てきてちょっとした寒さを体験すると、東京の人以上に震えてしまったりする。
雪山で遭難した人たちが体を寄せ合ってビバーグするのは、体温が逃げるのを防ぐということだけでなく、相手の体を感じることによって、寒がっている自分の体のことを多少なりとも忘れていられるからでしょう。そしてネアンデルタールは、毎日がこの状態で暮らしていた。
氷河期の空の下に置かれた原始人が、寒くない状態をつくろうとしても限界がある。ほとんど絶望的だ、といってもいいくらいだったでしょう。それでも彼らは生き延びた。彼らは、寒くなかったのではない。寒さを忘れられるくらい、みずからの身体以外の世界や他者の存在を深く熱くを感じていた。おそらくそれこそが、寒さをしのぐもっとも有効な方法だったはずです。
もちろん動き回って狩をすることもそのひとつだったわけで、そのためには、つねに狩の獲物になる草食動物の動向や地理や天候のことを気にかけていなければならない。獲物と出会ったときは、いっぺんに寒さなんか忘れてしまう。そういう体験が、彼らの暮らしを支えていた。
また、他者と抱き合うこと、これも寒さを忘れるための有効な手段です。その行為は、自分の体のことは忘れて相手の体ばかりを感じるときめきを生む。彼らはすでに、抱き合うことをあいさつ代わりにしていたかもしれない。もちろん現代のヨーロッパ人はそういう生態を持っているのだが、現代人よりももっとネアンデルタールのほうが、そういう生態を持つ必要と必然性がある。現代人は、たんなる伝統的な習慣としてそれをしているにすぎない。それが習慣になるほどの切実な契機は、ネアンデルタールのところにしかない。
西洋人の「まなざし」は濃い。それが彼らの暮らしを充実させもするし、危険なものにもしている。日本よりも、西洋の殺人事件のほうがはるかに多いし、えげつない。
ロラン・バルトは、日本人が持つ「まなざし」の薄さやあいまいさに驚き、そこに、むやみに馴れ馴れしくしないという日本文化を見た。西洋人のまなざしの濃さは、よくもわるくも、寒さに震えながらまじまじと相手を見つめてしまうネアンデルタールの伝統であるのだろうと思えます。そこでは、まなざしが濃くなるほかない環境であり、社会の構造だったのです。
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ネアンデルタールが、大きな群れをつくって他の群れとの関係を持たなかったのは、雪山でビバーグする人たちのように、寒いから自然にそういうふうにかたまっていったのでしょう。人間関係の密度を濃くしていかないと、寒さに耐えられなかった。ヨーロッパの都市国家の伝統は、おそらくここからはじまっている。
ただ研究者がこのことを語ると、「ネアンデルタールが群れどうしのネットワークを持たなかったのは、知能が遅れていたからだ」となる。しかし、知能なんか関係ないのです。原始人が極寒の空の下で生きようとすればそうなる、というだけのことです。
クロマニヨンにはそのネットワークがあった、とストリンガーなんかは言っていますよね。これに対する反論はいくらでもあるのだけれど、とりあえず、原始人が氷河期の寒風吹きすさぶ道なき道を100キロも200キロも旅できると思いますか。しかもそれを、一生に一度ならともかく、日常的にするなんてありえない話です。
ネアンデルタールしろクロマニヨンにしろ、ひたすら群れとしてかたまろうとした。かたまろうとすれば、そこから弾き出されて飛び出してゆく者は出てくるのです。集団の結束が強ければ強いほど、それに息苦しさをおぼえる者も生まれてくる。とくに「若者」という人種のあいだで。やわらかい餅をぎゅっと握れば、指のあいだからはみ出してくる部分ができる。ようするにこんなようなことであり、それは、人類の歴史の普遍的な現象であるはずだし、ヨーロッパの若者は、ことに旅行が好きです。
ネアンデルタールの群れでは、つねに群れを飛び出す若者が生まれていたし、逆にやってくる若者もいた。そのように、たがいに近在の群れに身を寄せてゆくということをつねにしていた。だから、海から100キロも200キロも離れた遺跡から、海の貝殻が出てくる。ネットワークとは、関係ない。
現在のエスキモーなどでも、知らないよその家の子供がふらりとやってきても、あたりまえのように迎えて飯を食わせたり泊めてやったりして、家族の絆そのものがとてもおおらかでゆるやかな部族があるのだとか。家族という単位を持たないネアンデルタールもまた、そうやってあたりまえのようによそからやってきた若者を迎え入れていたに違いありません。
五万年前にヨーロッパから西アジアまでひろがっていたネアンデルタールの群れがすべて同じような石器文化を共有していたということは、たえず群れからとび出す者が生まれ、たえず文化も遺伝子もシャッフルされていた、ということを意味します。交流がまったくなかったら、とうぜん群れの固有性や地域性といったものは生まれてくるはずなのです。
なのに研究者は、それすらもネアンデルタールが愚鈍だったからだ、というようなわけのわからない理屈を振り回す。
ネアンデルタールは、ヨーロッパから西アジアまで同じ形質同じ文化になってしまうくらい行動的だった。それに対してアフリカのホモ・サピエンスは、すぐ近くでもニグロ族とコイサン(ホッテントット)族に分かれてしまうくらい、拡散したがらない人種だった。そんな人種が、どうしてよりによって極寒の北ヨーロッパまで遠征してゆくというようなことをするでしょうか。
またそんなことを、とうぜんのように信じてしまえる研究者の思考回路というのも、よくわからない。

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