2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧
僕は、二十代の終わりころ、まともな社会人になったとたん、ものすごく死ぬのが怖くなった。つまり、それほどにどうしようもない俗物になってしまった、ということです。 それまでは、死ということなどまるで考えないのうてんきな暮らしをしていた。未来はお…
直立二足歩行を始めた人類は、「あなた」の存在の背後に「聖なるもの」が宿っているのを見た。そして自分の背後にも「聖なるもの」が存在し、そこから「見られている」ことを自覚した。 自意識とは、「聖なるものから見られている」という意識のことである。…
われわれは、どこかしらで、「神に見られている」「神に試されている」という思いがある。 人間が「正しい」とか「美しい」とかいうものを問わずにいられないのは、けっきょくどこかで「聖なるもの=神」を意識しているからだろう。 「聖なるもの=神」が存…
この世の中は、いろんな人たちがいろんな思いを抱えながら生きている。 しかし「私」は、それらの思いのどれひとつとして知る(見る)ことができない。 「私」が知る(見る)ことができるのは、「私の思い」だけだ。いやそれすらも、ときによくわからないこ…
人類が地球の隅々まで拡散していったのは、住みよい土地を求めて移動していったからではない。 住みにくいところであればあるほど、他者との関係が深く濃密になっていったからだ。濃密になって助け合えば、どんな住みにくいところにも住み着いてゆける。 内…
自分を祝福できないものがどうして他者を祝福できよう……イカフライ氏は、そういっておられた。 内田氏も、そういっている。自分を愛するように他者を愛せとか何とか、自分によくしてくれる秘書に対して「あなたなしでは生きてゆけない」といいたいほど感謝し…
ろくな文明も持たない原始人が極寒の極北の地で生きてゆくことが、どんなにしんどく危険なことであることか、想像してみてください。 あほな人類学者は、生きてゆける体になっていたのだといって平気な顔をしている。 多少はそういう体質を持っていたとして…
人類は、つらい状況を解消することができたからここまで生き延びてきたのではない。つらい状況と和解して、そこからカタルシスを汲み上げることができたからだ。 つらい状況を生きることの醍醐味を見つけることができたからだ。 そこには幸せで安楽な暮らし…
この世の中はたとえば内田氏のように幸せで気楽に生きてゆける人たちのものだ、しんどい思いをしている不器用なものなど生まれてきてはいけなかったのだ……という思いが自分の中のどこかにいつもあります。 誰だって幸せで安楽に生きてゆきたいと望んでいるじ…
今日は、ちょいとややこしいことを書きます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 意識はひとつのストレスであり、違和感として発生する。 違和感だから、発生する必然性がある。 世界が何の違和もない対象であるなら、意識が発生する必要なんかない。 「……で…
「信じるまいとする」ことと「信じようとする」こと。 「信じるまいとする」のは、すでに信じてしまっているからである。 では、「信じようとする」のは信じてないからかといえば、そうではない。信じることができると信じているから、信じようとするのだ。 …
塩野七生氏の「キリストの弟」という短編小説は、キリストは子供のころから自分のことを「神の子」だと自覚していた、という話です。 しかしそれは、違うと思う。 小説だからべつにそんな風に書いてもいいし、それはそれで興味深い読み物だったのだが、そう…
釈迦は、本格的な修行をして悟りを開いた人ということになっているが、キリストの場合は、そんな感じではない。 ある日ふらりと町に現れて、何人かのユダヤ教の指導者たちを次々にひざまずかせていった。そこから布教活動が始まったのではないのだろうか。い…
あの人は予知能力を持っている、という。 「予言」というのは、その内容がどうのという問題ではない。 するか、しないか、の問題なのだ。 すれば、だいたい当たる。当たるような言い方をすればいいだけの話だ。していれば、そういう技術は自然に身についてゆ…
内田氏はいつもこんな言い方ばかりしている。 「世の中の人はこんなふうに間違っている。だから、それを悔い改めなければならない」と。 自分以外の人間は、みんな間違っている…という思考回路を持っておられる。そうして「悔い改めよ」と世の中にも世の中の…
神は人間を救済しない。 古代人は、神に気づいたから神を崇めたのであって、神に何かをしてもらったからではない。 現代の俗物は、神が何かをしてくれると勝手に思っていろ。 そこのところは、はっきりさせておきたい。 内田さん、あなたのことですよ。 そし…
「半覚斎」氏は、 「思っている」と「思っていた」とは違う、 と言っておられた。 とても気になる言葉だ。 水彩絵具で、赤い色の上に赤い色を塗れば、下の赤い色は消えている。 しかし、別の色を塗り重ねた場合は、そうはならない。赤い色の上に黄色を塗れば…
「あそぶ」ということばは、すでに古事記の中にも出てくる。 古代人は、どのような気分で「あそぶ」と言ったのだろうか。 「あそぶ」の体言が「あそび」。 「あそ・ぶ」。 「あ」は、「あっ」と気づく、の「あ」。「あなた(向こう)」の「あ」。「注目」・「…
「メシア(救世主)」をやまとことばとして解釈すれば「劇的に出現する孤独な人」ということになる、といったら、じゃあ「飯(めし)屋」は「メシア」か、といわれた。 しかし、その通りなのです。あの硬くてごつごつした米粒が、ふたを開けた瞬間、ふっくら…
仏教では、無意識のことを「末那(まな)識」というのだそうです。 人間が「まな」と発声する感慨に、インド人も中国人も日本人も、もしかしたらそう違いはないかもしれない。違うかもしれないけど、どこかに共通する感慨があるかもしれない。 インドの古い…