2016-09-01から1ヶ月間の記事一覧

メソポタミアの伝統・ネアンデルタール人論221

1 人類のサディズムはどのようにして本格化ししてきたのだろうかと考えるとき、どうしてもメソポタミア文明発祥の地であるアラブ世界のことが気になる。現在のイスラム国をはじめとして、彼らのあのサディズムはいったいなんなのだろう、と思ってしまう。そ…

他愛ないときめき・ネアンデルタール人論220

1 文明社会にうごめいているサディズムというのは、ほんとにやっかいだと思う。それが人間性の本質だというわけではないはずなのに、社会の仕組みによってしらずしらず誰の中にも培養されてしまっている。 しかし、誰もが同じだけ持っているというわけでは…

サディストは感動しない・ネアンデルタール人論219

1 このところネアンデルタール人とは何の関係もないことばかり書いているように思われそうだが、人類史における「文明の発祥以前と以後」という問題はあるはずで、その断絶と連続性を検証することは人間性の普遍について考えることになるのではないだろうか…

サディズムという能動性、あるいは欲望・ネアンデルタール人論218

1 不遜なことをいわせていただけるなら、「ゆるーい幸せ」に執着して正義ぶった大人ほどたちの悪い生きものもいない。正義ぶった人格者なんか、みんなサディストだ。人はかく生きねばならないとか、人の世はかくあらねばないと主張することが、そもそもサデ…

ゆるーい幸せなんかいらない・ネアンデルタール人論217

1 死んでゆく人は、美しく荘厳だ。 西洋人による十字架にかけられたキリストの像を拝むということだって、つまるところは、死んでゆく人に対する人類普遍の感慨の上に成り立っているのかもしれない。 息をするとか飯を食うとか体を動かすとか、この生のいと…

死んでゆく人は美しい・ネアンデルタール人論216

1 人の心は、死んでゆく人から癒され、死んでゆく人にときめいてゆくことができる。文明の未発達な原始人の身では生きられるはずもないような氷河期の極北の地を生きたネアンデルタール人は、この心模様を極限まで体験した人々だった。彼らにとって死はひと…

言葉の輝き・ネアンデルタール人論215

1 ここではひとまず生命の起源のところまでさかのぼりながら「進化論」を考えているわけだが、それは現代を生きるわれわれの、飯を食ったり服を着たりおしゃべりをしたり何かに感動してときめいたりセックスをしたり生きて死んでいったりすることの問題でも…

出たとこ勝負の進化・ネアンデルタール人論214

1 たとえば、薄いゴム手袋をして水気のものに障れば、手の皮膚が濡れたように感じる。「皮膚感覚」とはそのようなことで、そのときゴム手袋が「皮膚」になっている。だから、コンドームをはめてもちゃんと挿入している心地が得られる。まあ、それではなんと…