メソポタミアの伝統・ネアンデルタール人論221

人類のサディズムはどのようにして本格化ししてきたのだろうかと考えるとき、どうしてもメソポタミア文明発祥の地であるアラブ世界のことが気になる。現在のイスラム国をはじめとして、彼らのあのサディズムはいったいなんなのだろう、と思ってしまう。それが生まれ育ってきたアラブ世界特有の歴史風土があるのではないか。彼らはそれによって社会の秩序を保ってきたのだろうが、その流儀をわれわれの世界に持ち込まれると、われわれの世界は秩序どころではなくなってしまう。
イスラム国のあの残虐な人質の処刑は、それによって集団の結束が強化されるという効果あるのだろうが、それが人類普遍の社会性とか集団性とはいえない。しかし、制度性の本質として、われわれの社会だってそうしたサディズムの問題を抱え込んでしまっている。
今やもう、サディズムは、すべての文明社会に蔓延している。戦争や人殺しや強姦などの大げさな問題だけでなく、ささいな日常の人と人の関係の中にもしみ込んでしまっている。平気で人の心を傷つけたり、傷つけられたり……その平気で人の心を傷つけるというなれなれしさ、たとえ仲良くしようと、そのなれなれしさそのものがサディズムなのだ。
親しき仲にも礼儀あり、などというが、人は人にときめいてゆく存在であっても、むやみになれなれしく寄ってこられると息苦しくて、生きた心地がしなくなってしまう。
なれなれしい人間は、こちらが逃げようとすると、とたんにサディストの本性をあらわしたりする。
サディズムとはなれなれしさの別名であるともいえる。
人が人を支配するというなれなれしさ。
集団がひとつに結束するということは、強力な支配者がいてはじめて成り立つ。支配されて結束してゆくのだ。そして支配者は、敵を憎め、敵を倒せ、と扇動する。そうやって結束してゆく。民衆に敵意を持たせることによって、支配者は強くなってゆく。戦争をすれば、支配者の権威が強化される。アメリカの大統領はそうやって支持率アップをはかるのが常套手段になっているし、ナチスドイツはヒットラーを仰ぎ、イスラム国はみんながアラーの神に支配されている。
集団が結束するためには、強い支配者と敵を必要とする。集団の結束は、国家(共同体)だろうと会社だろうと学校だろうと家族だろうと、「第三者を排除する」サディズムの上に成り立っている。
イスラム国の、あの結束の強さはなんだろうと思う。結束の強さによって集団を運営してゆくことこそ、アラブ世界の伝統なのだ。だから「アラブの春」が実現したのだし、そういう伝統を持っていないこの国では、いまだに「原発反対」や「安保法制反対」などで一枚岩にはなれないでいるし、べつにネトウヨばかりの世の中になる心配もない。
どうでもいいや、と思っている人たちがたくさんいる。それは、第三者を排除するという結束力=サディズムが希薄だということにほかならない。右に行こうと左に行こうと、世の中はサディズムの強いものたちに引っ張られてしまうが、それでもこの国では、誰もがどこかしらに「どうでもいいや」という気分を抱えている。国や個人が豊かだろうと貧しかろうと、どこかしらに「どうでもいいや」という気分がはたらいている。まあ、「どうでもいいや」という気分があるから声高なサディストたちに引きずられてしまうわけだが、どちらに転んでもそれがこの国の人々の思想や心模様の正味のかたちだとはいえない。じつは、「どうでもいいや」というのがいちばんの多数派なのだ。
誰を何を排除するというより、ときめき感動しながら生きていたい。世界中の外来文化にときめき受け入れている国民が、「移民を受け入れない」といっても自己矛盾がある。実際問題として困ることはさまざまあるのだろうか、まあ、なりゆきに合わせてやりくりしてゆくしかないのだろう。
この国の歴史風土には、アラブ世界ほどの結束力もサディズムもない。

どうして彼らは、あんなにも強く激しく結束力やサディズムを持てるのだろう。
ヨーロッパの集団性の伝統は孤立したひとりひとりが「連携」してゆくことにあり、アラブ世界の「結束」とは本質的に違う側面を持っている。ヨーロッパとアラブ世界とのあいだには、歴史的なそうした根深い対立が横たわっている。まあそうやってヨーロッパ人は、ヨーロッパに移住してきたユダヤ人をはじめとするアラブ人を毛嫌いしたり差別したりしてきたし、アラブ人のほうでも、移民として受け入れてもらった身でありながらヨーロッパの文化にけっして同化してゆこうとはしなかった。
たとえば現在のイスラム教徒は、イスラム教徒であらずば人にあらずという強迫観念が強く、それによって結束しているし、だからイスラム国では非イスラム教徒を残虐に処刑することができる。残虐であればあるほど、自分たちの結束力は高まる。
彼らは、けっして変わらない。自分が変わるよりもまわりを変えようとする。それがサディズムであり、サディズムは、可塑性を失った自己撞着に宿る。
中東文化の独自性というのがある。それは「砂漠の文化」だといわれたりしているが、ここではそれ以前の「人類拡散」の問題として考えたい。
中東地域は、ヨーロッパとアフリカの中間に位置している。つまり、ヨーロッパが人類拡散の行き止まりの地だったのに対して、中東は途中の「通り道」だった。そこで何が起こっていたかといえば、集団にフィットできない人間はどんどん吐き出してゆくということだ。
吐き出されたものたちが、ヨーロッパに拡散していった。
まあ東のアジア方面にも拡散していったのだが、とにかくそうやって人類拡散のもうひとつの拠点となった中東地域は、集団の結束がどんどん高まってゆく歴史を歩んできた。結束できないものたちはみんなヨーロッパやアジアに拡散していった。
ヨーロッパ人は、結束できないものたちの末裔なのだ。そして、とくに氷河期の北ヨーロッパでは、結束できなくてもとにかく大勢が寄り集まって体を温め合っていないと暮らせなかった。
人類は拡散すればするほど結束できないメンタリティを濃くしていったし、拡散すればするほどより住みにくい土地になってゆき、大きな集団になって助け合ってゆかないと暮らせなかった。その矛盾を克服するというかたちで、「たがいに孤立しながら連携してゆく」という文化が生まれ育ってきた。
生きものは、身体の孤立性を保っていなければ体を動かせないし、他者の身体との関係が体を動かすことの契機になるというか、体を動かすことのダイナミズムを生む。原初のバクテリアやウイルスのような生物以前の生物が進化してゆく過程で、たがいの体がくっついてしまうことから逃れようとして「動く」ということが起きたのだろうし、たがいの体がくっついてゆくことによってより複雑な体に進化していった。
生きものは、大きな集団で暮らす種ほど、体の動きがダイナミックで俊敏になる。たとえば、イワシの群れがそうだし、渡り鳥は集団で移動する。彼らは、集団で行動するための「連携」を豊かにそなえている。
人類の集団だって、拡散すればするほど、「結束」の能力の喪失と引き換えに、「連携」の能力が高まっていった。
まあ、原初の人類の二本の足で立ち上がるということ自体が、すでに猿社会のボスを頂点にして結束してゆくという集団性を放棄する体験だったのであり、それと引き換えにしてたがいに向き合いときめき合うという「連携」の関係性に目覚めていった。
「連携」の関係性が人類拡散を生み、「結束」してゆくことによって拡散をやめて住み着いていった。
拡散の通り道の地域においては、「結束」の集団性が発展する。中東地域は、その集団性の文化というかメンタリティがもっとも発達している。極端に発達している。それが、ヨーロッパの「連携」の文化と衝突している。
初期のメソポタミア文明の社会においては、蛇に対する関心がとても強かった。邪悪な蛇は異民族の象徴であり、祭司(呪術師)は蛇を支配するものであることがその資格だった。両手にたくさんの蛇を持って振り回しながら祈祷をするとか、まあそういうことも、彼らのサディズムをあらわしているのかもしれない。
アラブ世界で発達した幾何学模様のアラベスクだって、執拗に同じかたちを繰り返してひとつの世界を構成するという、まさに「結束」の集団性のたまものなのだろう。彼らには、異質なものどうしが溶け合ってゆくというハーモニーの意識はない。それは、ヨーロッパのオーケストラがひとりひとり別々の音色を奏でながら全体としてひとつの世界を構成してゆくという「連携」の文化とはまるで正反対で、彼らのサディズムは、異質なものを攻撃し排除してゆく。そうやって「結束」の集団性を発達させてきた。

生きものは、環境世界の一部として生きているのか?
しかし、身体の孤立性を持たなければ、体は動かせない。この身体は、環境世界の一部であらねばならないと同時に、環境世界の一部であってはならない。われわれは、そういう不条理を生きている。
この身体は、環境世界の一部として、環境世界との関係の上に成り立っている。見るとか聞くとか匂うとか、暑いとか寒いとか痛いとか痒いとか、身体のはたらきは、環境世界に「反応」してゆくというかたちで成り立っている。それは、身体が環境世界の一部であると同時に、環境世界から孤立しているということでもある。「反応する」ということは、環境世界の外に立って環境世界と向き合っている、ということでもある。
われわれは、環境世界の一部でありながら、環境世界の一部になることの不可能性を生きている。
死ぬことによって、はじめて環境世界の一部になってゆく。
誰だってこの環境世界と調和して生きていたいと思うが、調和してしまったら「反応」という命のはたらきは起きない。人の心や行動は、知らず知らず環境世界からはぐれていってしまう。そうやって人類は、住みにくいところ住みにくいところへと拡散していった。
イスラム教徒は、神との一体感を生きている。それは、環境世界との調和を生きているということであり、その調和は、彼らの外の世界を攻撃し排除してゆくことの上に成り立っている。彼らは、拡散しないでそこに居座って歴史を歩んできた。そうやって「結束」の集団性を高めてきたことによって、人類でいち早く文明国家を築き上げた。
彼らは、外の世界を攻撃・排除することをジハード(聖戦)という。そうやって彼らは、他者を裁く。6000年前につくられたというバビロニアハムラビ法典が示すように、彼らは人類で最初に他者を裁くことに目覚めた人々であり、他者を裁くことはひとつのサディズムなのだ。その「正義」という大義名分によって、みずからの世界の正当性とみずからの世界と一体化してあることを確認してゆく。
彼らは「はぐれてゆく」ということを知らない。はぐれてゆくことができない強迫観念とともにサディズムが育ってゆく。
彼らにとって死は神と一体化してゆくことかもしれないが、われわれはどうしてもそれはこの世界からはぐれてゆくことだという思いから逃れることはできない。人間なのだもの、生きものなのだもの、生きるいとなみそのものが、すでに環境世界からはぐれながら環境世界と向き合い「反応」してゆくというかたちになっている。われわれは、「はぐれる」ということそれ自体を生きて死んでゆくしかない。彼らのようにわがままでサディスティックな思考はできない。

われわれは、この世界や他者を「裁く」ことができない。まずは「何だろう?」と問うてゆくしかない。はぐれているものは、そういう「反応」の仕方しかできないし、そこにこそ普遍的な人間性の基礎があるのではないだろうか。
人の心の「ときめき」や「かなしみ」は、「何だろう?」と問うてゆく体験として生まれる。
人類は、「何だろう?」と問いながら地球の隅々まで拡散していった。その新しい土地のことを知っていたわけではないし、そこがもとの土地よりも住みにくくても、「ここはだめだ」と「裁く」ことをせずに、「何だろう?」問うていったから住み着いてゆくことができたのだ。
わかったつもりになって「裁く」ことなど、猿でもできる。人類の知性や感性、すなわち知能は、「何だろう?」という問いとともに進化発展してきたのだ。その問いがなければ「発見」もない。つまり拡散すればするほど知能が進化発展してきたのであり、であれば数万年前のヨーロッパのネアンデルタール人とアフリカのホモ・サピエンスのどちらの知能が発達していたかというなら、集団的置換説の論者たちが主張するような「アフリカのホモ・サピエンスのほうが発達していた」ということなどいえない。
知能といったって、石器のレベルがどうのというような問題だけで判断することはできない。彼らがどのようにして生きていたかというその生態を検証する必要がある。少なくとも氷河期においては、アフリカよりも北ヨーロッパのほうがはるかに生きにくかったわけで、その艱難辛苦を潜り抜けてくるのにその生活の工夫や人と人の関係の仕方や環境世界に対する感慨や思考に、どれだけ頭を使ったことか。しかも彼らは、「ここはだめだから暖かい土地に移動しよう」などと思わずに、ひたすら「何だろう?」と問いながらときめいたりかなしんだりしながら生きていたのであり、そういう生き方をするような拡散の歴史を背負ってその地に住み着いていたのだ。
もう一度いう、わかったつもりになって「裁く」ことなど猿でもできる。ネアンデルタール人の脳容量が異様に大きかったのは、たんなる寒さのストレスというだけでなく、それだけたくさんのことに「何だろう?」と問うていったからかもしれない。ときめくにせよかなしむにせよ、その「問い」こそが人類の脳を大きくさせていったのだ。たくさんのことが分かったからではない、たくさんのことを問うていったからだ。「わかる」ことよりも「問う」ことのほうが、はるかに脳に負荷がかかる。おそらくそうやってネアンデルタール人の脳は発達したのだし、それが数百万年の人類拡散の歴史だった。
人類は二本の足で立ち上がったときからすでに拡散をはじめていたのであり、そもそも「なんだろう?」という問いを携えて立ち上がっていったのだ。それがなければ立ち上がれるはずがないし、その姿勢を常態にすることによってどんなメリットがあるかということもどんなリスクがあるかということも、何も知らなかった。そして、新しい土地のことなど何も知らないまま拡散していったのだ。知っていたら、そんなより住みにくい土地に移動してゆくことなどできるはずがない。
古代のメソポタミアは、この世界や他者を裁く装置としての共同体の制度性を確立しつつ、いち早く文明国家を生み出していった。まあそうした制度性はその後世界中に広まっていったわけだが、それでもわれわれは、そこからはぐれたひとりの人間に立ち返ればそんなことはできない。あくまで「何だろう?」と問うてゆくしかない。
アラブ世界は、人類の共同体の制度性の基礎をつくった。それは、人類の理想か?そうではあるまい。それは「はぐれる=問う」ということができない強迫観念なのだ。そういう病理が、アラブ以外のわれわれの社会にも広がりつつある。
それでも人は、はぐれてしまった存在として「何だろう?」と問うてゆく。そこにこそ人類の知能の本質があり、それは、ときめいたりかなしんだりする心模様のかたちでもある。