2013-04-01から1ヶ月間の記事一覧
1 天皇は、弥生時代の奈良盆地で、内乱が起きないための装置として生まれてきた。 べつに内乱が起きそうになっていたからというのではなく、内乱が起きないような状況だったから天皇が祀り上げられていった、ということだ。 つまり、みんなして同じ美意識が…
1 人間の本性は邪悪でも凶悪でもない。二本の足で立ち上がったときに、猿の時代に持っていたそうした傾向を失った。そうして他愛なく世界や他者にときめいていった。その代わりこの生や身体に対する「嘆き」が深い存在になった。 嘆きが深くなったから、他…
1 生きてゆくことは汚れてゆくことだ。この生の「穢れ」がたまってゆくことだ。 かなしいとかつらいとかなさけないとか、人は、ネガティブな感情を持ってしまう。そんな感情は猿にだってあるのだろうが、人はもっと深くそういう心地に浸されてしまう。それ…
1 人間の美意識を芸術だけの問題として考えるべきではない。 意識はどうしてものが美しく見えるのだろう? 生きるためか?僕はそういう足し算の思考が嫌いなのだ。それは、自分(=身体)を忘れてときめいている瞬間であり、であればとうぜん生きてあること…
1 美意識とは、死に対する視線のことだろうか。人間とは死を知ってしまった存在であり、じつは美意識が人間を動かしている。 美意識を共有してゆくことによって社会が成り立っている。 美意識を共有していないと同じ地域や同じ屋根の下で一緒に暮らせないし…
<はじめに> 御訪問、ありがとうございます。 僕は、ふつうに社会人生活をしていれば、定年を迎えてひと仕事すませた気分になれるような年まで生きてきてしまいました。それなのに、どこをどう間違ったのか、自他ともに人並みと認められるような生活とは、…
1 戦後の日本列島の住民が「人間宣言」をした天皇をそれでもまだ祀り上げてきたということはおおいに興味深いことだ。 神でなくなっても、天皇はまだ天皇だった。 天皇は、神でなくてもよかった。 しかし、天皇は天皇であらねばない。われわれは、天皇では…
1 何も知らない生まれたばかりの子供のような心で新しい「いまここ」に体ごと反応してゆけばいいだけだ、というのが中世の無常観だった。そしてそれが直立二足歩行以来の人類の伝統であり自然であり、究極の知性のかたちでもある。 それは、未知それ自体を…
1 日本列島の住民は「神」というファンタジーを持っていない。だからニヒルで現実的かというと、そうともいえない。われわれにとっては現実そのものがファンタジーである。それが無常観であり、神の世界や死後の世界のファンタジーは知らないが、生きてある…
1 共同体(国家)の発生以前には、この世界を支配する「神」という概念などなかった。原始社会の人々に、「支配」という意識は希薄だった。そういう階層的な人と人の関係は存在しなかった。 そんな関係になるような大きな集団が存在しなかったというのでは…
1 「見られることの怖れ」は、すべての生き物にあるのだろう。 田んぼの害鳥よけには、案山子よりも目玉のように見える風船を吊るしておく方が効果があるらしい。 クジャクのオスの広げた羽にもたくさんの目玉の模様がついている。あれでメスを動けなくさせ…
1 <承前> 人間の二本の足で立つ姿勢は、見られていることの怖れ、すなわち他者の視線が圧力になって安定している。 猿が二本の足で立つときは、心持ち前かがみになっている。それはまわりに対する警戒心がはたらいているからで、いつでも四足歩行に戻れる…
1 人間は「祀り上げる」ということをする存在である。 弥生時代の奈良盆地の巫女は何をしていたかということ以前に、なぜ彼女らは人々に祀り上げられていったかという問題がある。 呪術をして利益をもたらしてくれるから祀り上げられていったのか。 そうじ…