見られることの怖れ・「天皇の起源」37


<承前>
人間の二本の足で立つ姿勢は、見られていることの怖れ、すなわち他者の視線が圧力になって安定している。
猿が二本の足で立つときは、心持ち前かがみになっている。それはまわりに対する警戒心がはたらいているからで、いつでも四足歩行に戻れる態勢を残している。
それに対して人間は、まっすぐに立っている。猿はこの、まっすぐに立つということができない。それは、警戒心を捨てている姿勢である。まっすぐに立つことは、より不安定になり、しかも胸・腹・性器との急所をあからさまにさらしてより危険になる姿勢でもある。怖れがないはずはない。怖れながらも、警戒していない姿勢である。警戒していないからまっすぐ立っていられるし、圧力を感じて怖れているからまっすぐ立っていられる。
怖れながら、警戒していない。これが、人間の世界や他者に対する存在の仕方である。
人間にとっては、二本の足で立っているということそれ自体がすでに他者に見られている姿勢である。相手が前に立っていなくても、すでに前に立って見られている心地になっている。
そして、見られることに対して警戒を捨てつつ怖れている。怖れつつ、無防備にときめいていっている。
怖れなければ、まっすぐ立っていられない。ときめき合って攻撃する意思を放棄し合っていなければ、おたがいまっすぐ立っていられない。
見られていると自覚しなければ、まっすぐ立っていられない。そしてそう自覚するということは、自分が見つめている存在だからだ。それは、向き合い見つめ合う関係の上に成り立っている姿勢である。
自分は、世界を見つめている。と同時に、世界から見つめられることに怖れている。
自分は世界や他者を祝福しているが、世界や他者から祝福されているとは思っていない。祝福されている、と思ったら、二本の足で立っていられない。
人と人の関係は一方通行である。一方通行でなければ関係は成り立たない。一方通行だからこそ、人間的な味わい深い関係が生まれてくる。
共生とか共認とか、コミュニケーションとか、身体と身体が共鳴するとか一体化するとか、そういう関係は、制度的な「支配」の関係にすぎない。



あなたは、人にほめられたらうれしいか?
そのときこそ、人間としての危機であるのかもしれない。
人間は、他者に見られることに対する「怖れ」を抱いているときにはじめて人間たりうる。
ネアンデルタールは、氷河期の極北の地に住み着いていた。そこでの世界は人間を祝福していなかったはずである。人間は世界に対する「怖れ」とともに暮らしていた。そして「怖れ」とともに暮らすことによって、より人間的になっていった。そこから、人間的な文化が生まれ育ってきた。
温暖な地なら、気温のことなんか忘れていられる。しかしその極寒の空の下では、たえず寒さを意識していなければならない。それはつまり、世界から見つめられているということであり、世界を怖れているということだ。実際、寒さのために人間が次々に死んでゆく世界で、とくに乳幼児は半数以上が生き残れなかった。
しかしその「怖れ」こそが彼らを人間にさせていた。
ろくな文明を持たない原始人がそんなところまで拡散してきてしまったこと、そしてそこから南下しようとせずにその地に住み着いていったことは、人間は見られることの「怖れ」ともに存在することによってはじめて人間であることができる、ということを意味する。
人間は、見られることの「怖れ」とともに生きようとする。それがないと二本の足で立っていられないし、その「怖れ」から人間的な文化が生まれてくる。つまり、そこでこそ「快楽」という生きてあることの醍醐味が汲み上げられている。
人間は、一方的に世界や他者を祝福しつつ、一方的に世界や他者に見られることを怖れている。
原始人は、存在そのものにおいて、すでに世界や他者に見られることの怖れを抱いていた。その怖れが、彼らを人間たらしめていた。だから、知らず知らず住みにくいところ住みにくいところへと拡散していった。
見られることの怖れを失ったら、人間であることができないというか、二本の足でうまく立っていられなくなる。つまり、ほめられてもなお怖れるのが人間なのだ。



人間の二本の足で立つ姿勢は、胸・腹・性器等の急所を外にさらして他者というよりも世界そのものからすでに「見られている」というかたちになっている。そしてその「見られている」ことの「怖れ」がたしかにはたらいているところでこそ、群れはより活性化する。そうやって住みにくいところ住みにくいところへと群れが拡散していった。
見られることの怖れが、人間的ないとなみの基底になっている。
まあ、その怖れ=ストレスによって体毛が退化していったのだ。常識的に考えて、極寒の地に住む人類の体毛が退化するはずがないのにそれでも退化していったのは、そういうところでこそより強く「世界から見られることの怖れ」がはたらいていたからだろう。
二本の足で立っている人間は、敵がどうのという以前に、世界そのものから逃げ隠れして歴史を歩んできたのだ。
それは攻撃されたらひとたまりもない姿勢なのだから、人と人は攻撃の意志を捨ててときめき合っていなければならない。攻撃しろといわんばかりの姿勢なのだから、ときめいていないと攻撃の意志は捨てられない。
ではときめかれて安心すればそれでいいかといえば、そうはいかない。安心してしまえば、うまく立っていられない。その姿勢は、見られているというプレッシャーを受けてはじめて安定する。見られることに怖れていなければ、うまく立てない。
日本列島の文化は、「姿」の美しさを止揚する。その基本は安定して二本の足で立っているということであり、「見られることの怖れ」を抱いている身体が美しい「姿」になる。
日本列島の文化は「見られることの怖れ」の上に成り立っている。それが、日本列島の原始性であると同時に普遍性でもある。人類はそのことをテーマに歴史を歩んできた。すなわち二本の足で立つことをいかにして安定させるかということこそ、人間が人間であることのもっとも原初的なテーマであると同時に究極のテーマでもある。それが、人間の美意識の基底なのだ。そして美意識こそ、人間の行動習性の基底である。
美は、「見られることの怖れ」の上に成り立っている。それは、基本的には個体としての実存のレベルの問題であって、共同体の制度的な合意とはまた別の次元にある。
「見られることの怖れ」は一方的な個人的な感慨であって、他者が敵意を持っているからではない。それでも怖れていなければ二本の足で立つ姿勢は安定しないし、美しい「姿」にならない。
個体としての実存のレベルで見られることに怖れていなければ美意識は育たない。
人と人は「共生」するとか「共認」するとか身体と身体は「共鳴」するとか「コミュニケーション」するとかというような共同体の制度の前提の上に立ってその集団的な合意を拾い上げ収集しコピペしてゆくだけでは美意識は育たないのだ。
美はあくまで個体としての実存の「見られることの怖れ」とともにあり、「見られることの怖れ」を持っていなければ人間は人間であることができない。
人間が美意識を持っているということは、人と人の関係の根源は一方的なものだということを意味している。
美しいものを見てしまった人は、ほめられてもかんたんにうれしがったりしないし、ほめられようともしない。それでも、「見られることの怖れ」とともに生きている。なぜなら美はそこにしか存在しないし、二本の足で立っているというみずからの生のかたちを保つことができないからだ。



日本列島の伝統的な集団性は美意識の上に成り立っている。
弥生時代になってようやく大きな集団で農業をするということをはじめた人々は、「見られることの怖れ=嘆き」を共有しながら集団運営をやりくりしていった。そしてその「怖れ=嘆き」とともに日本的な美意識がさらに洗練されていった。
美しい姿は、「見られることの怖れ」とともにある。
思春期になって身体が急激に成長してゆくとき、そのぶん身体の世界から受けるプレッシャーも大きくなる。たとえば歩くときの一歩の歩幅が50センチから60センチになれば、そのぶん空間移動における身体の圧力も大きくなる。風圧の感じ方そのものも変わってくる。同じ身体能力では、同じ体の動きができなくなる。世界からのプレッシャー、すなわち世界から「見られることの怖れ」がどんどん募ってくる時期である。
誰から見られているというのでもない、身体の存在そのものおいてすでに「見られている」のだ。
そしてこの「見られていることの怖れ」は、成長とともに筋力や骨格も発達する男よりも、筋力や骨格はそのままで体の輪郭だけがふくらんでくる女の方が、より強く感じるようになる。
そのとき思春期の娘は、以前ほど体をうまく動かすことができなくなってきて、日常の動作もだんだん物憂い気配になってくる。だからこそ彼女らは、「踊る」という行為に対する関心もふくらんでくる。
彼女らは、人間集団の中で、もっとも「見られることの怖れ」を深く抱いている世代である。
「見られることの怖れ」すなわち「穢れ」の自覚、彼女らの踊りというか身のこなしは、その「穢れ」をそそいで身体の「自立性=孤立性」を取り戻そうとしている。その「見られることの怖れ」とともにある身体の「自立性=孤立性」が、彼女らの舞や身のこなしの美しい「姿」になっている。



日本史における弥生時代とは、それまで大きな集団をいとなんだことのない人々が大きな集団をつくって農業をはじめていった時代である。
大陸では数千年をかけて少しずつ大きな集団になっていったのだが、日本列島では、数百年で急激にそのような変化が起きた。そのことの戸惑いがなかったはずがない。
それはまあ、思春期の少女の身体の変化のようなものだ。
人々がどんなに仲良くしていても、「見られることの怖れ」はついてまわる。大きな集団そのものに対する怖れがあった。つまり、世界から見られている、という意識とどのように折り合いをつけてゆくかというかたちで弥生時代の歴史がはじまった。その折り合いをつけることができなければ、生きることははじまらなかった。
思春期の少女だって、その折り合いをつけることこそ第一義の問題として存在しているのであって、「生き延びる」などというテーマに執着しているのではない。彼女らは、ときに平気で自殺してしまう人種なのだ。
人類の歴史であれ、個人の人生であれ、人間が「生き延びる」というテーマで存在していると決めつけるべきではない。人間はほんらい、あなたたちほど鈍感な存在ではない。人間は、「生き延びる」ことよりももっと切実なテーマを抱えて歴史を歩んできた。
生き延びようと発想する前に、どのようにして生きてあることと和解するか、という問題がある。その問題が解決されていないことには、生き延びようとなんか発想できないのだ。
人間が人間であるということは、どのようにして生きてあることと和解するか、というテーマで存在しているということであり、二本の足で立ち上がった瞬間から人間はそういう美意識を持ってしまったのだ。



人間の「文化」は、「見られる」ことに対する「怖れ」の上に成り立っている。
これは、戦後社会の現在の問題でもあるのかもしれない。
戦後社会の経済成長は、人間性の普遍を達成したか?
われわれの美意識は豊かになったか?
たとえば、食文化、などという。それは、戦後の経済成長とともにもっとも盛んになってきた庶民文化のひとつだろう。テレビには食い物の番組が手を変え品を変えうんざりするほどはびこっているし、食い物のエッセイやマンガなどの本もあふれている。
食文化花盛りの時代である。しかしそれは、ほんとうに「文化」といえるのだろうか。
ものを食うことは生き物の本能であるというならまあそうかもしれないが、テレビのタレントたちは、自分がものを食っている姿を映されることに対する「怖れ」はないのだろうか。それだけで一挙にお育ちがしれてしまうし、人間ならどこかしらでものを食っている姿を見られることの恥ずかしさはある。それが、文化というものだろう。
食文化は、食うことに対する「怖れ」の上に成り立っている。だから優雅な食べる作法が追求されてきたし、おいしく料理しきれいに盛りつけようとする。それは、「姿」の文化であり、食うがわも料理をするがわも、その「見られることの怖れ」を基礎にして関係をつくりながらたがいの作法を洗練させてきた。
食うことは文化だといって居直ること自体が、文化として貧弱なのだ。
誰だって、自分が食っている姿をまじまじと見られたら恥ずかしいだろう。そういうことに鈍感になっていったのが高度経済成長の時代であり、バブル景気でそれが極まったのかもしれない。
人類の食文化は、経済によって洗練してきたのではない。少なくとも日本列島においては「見られることの恥ずかしさ¬=怖れ」とともに洗練してきたのだ。
料理などというものは、見せびらかして食べるものではないし、ぶざまな格好では食べられない。人間は見られることを怖れる存在だから、ぶざまな食べ方ほど目についてしまう。
見られることの「恥ずかしさ=怖れ」が、美しく食べる作法を洗練させてきた。
テレビの食い物番組が氾濫しているのは、それじたい食文化の衰弱であり退廃である。



経済成長を続けた戦後社会は、「見られる」ことの怖れを失ってしまった。そうして、誰もが見られたがるようになった。そういう欲望が「神」という絶対的な他者をイメージしてゆくわけだが、まあ見せびらかし見られたがる文化の花盛りだということだろうか。
われわれのこの生は、神に見られ、神に支配されているのか。この世界は神がつくり神が支配しているのなら、スピリチュアルの人たちのいうような「生まれ変わり」ということも起きるのだろう。ようするに、自分たちの思いたいように思うことができる。世界をつくり支配できるのなら、なんでもありだし、なんでもわかっているつもりになることができる。自分たちの思いたいようにこの世界を決めてしまうことができるのだもの。
この世界は、神がつくっているのでも人間がつくっているのでもない。
この世界をつくり動かしているものなど存在しない。
少なくとも日本列島では、この世界はこの世界の「なりゆき」で動いているという意識で歴史を歩んできた。
われわれは、神がこの世界を動かしているというイメージを持っていない民族である。だからこそ、神がこの世界を動かしているという西洋のイメージを翻訳して、かんたんに人間がこの世界を動かしているというイメージにすり替えてしまっている。
あのバブル景気のころに西洋人が日本人を「エコノミックアニマル」などと称して日本人ほど経済競争にしゃかりきにならなかったのは、「この世界は神が動かしている」という受動性を持っていたからだろう。
しかし日本人は、「神が決めたルールに従おう」という意識などなかった。この世界は人間がつくっているのであり、すべては赦されている、神に対して責任を負う必要など何もない、という意識になっていった。
神という概念を持っていないことが、戦後の高度成長を実現させた。
日本列島に神は存在しない。「すべては赦されている」という前提の上に社会が成り立っている。しかしそれはこの世界のすべてを祀り上げてゆく意識であって、プリミティブな「見られることの怖れ」とセットになっている。
自分が「赦されている」と思うことではない。日本列島の伝統においては、自分が世界を祝福し赦してゆくのであり、自分は「見られることの怖れ」とともに「穢れ」を負っている存在であると自覚することにある。「穢れ」をそそぐことがこの国の伝統的な生きる作法になっていた。
この世界を祀り上げてゆくことが、「見られることの怖れ=穢れ」をそそぐことになる。
戦後社会は、伝統を否定しつつ、この「見られることの怖れ」を失っていった。
いまどきは、政治家も企業の幹部も、何か組織でスキャンダルがあると、平気で「知らぬ存ぜぬ」で通そうとする。それは、おそらく駆け引きではない。どうして自分が責任を負わねばならないのか、いい迷惑だ、と本気で思っている。
神がいない日本列島では、善か悪かは存在しない。神が存在しないのだから、それは誰にも決められない。すべては赦されている……ただ、美しいか否か、という感想があるだけである。
そして美しいか否かは、「見られることの怖れ」を持っているものでなければ感じることができない。
戦後社会は、そういう美意識を失ったから、大人の「姿」がブサイクになり、若者たちから幻滅されている。
大人たちが、「見られることの怖れ」を持たなくなってしまった。
民主党のあの大物政治家にしろ、部下のスキャンダルなんか知ったことではないのであり、そのような自分がどう見られているかということに対する怖れもさらさらない。まあ、彼だけなく、そういう時代の空気になってしまっている。
タレントがものを食っている姿をテレビの画面に平気でさらし、番組制作者がそれを平気で映していられるのも、同じことだ。
「見られることの怖れ」がない。そして、美意識が欠落している。
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