2009-09-01から1ヶ月間の記事一覧

閑話休題

今年の4月9日に、[Miki Hashimoto]というハンドルネームの人からとても丁寧なコメントををもらっていたことに今まで気づかずにいて、けっきょく返信のコメントをしないままになっていました。 もう見てもらってはいないだろうけど、ひとま…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」36

(承前) 「あの男は猿のようだ」というときの「猿」ということばは、猿そのものをさしており、「のようだ」ということばによって、この表現が比喩であることを表している。 それに対して「あの男は猿だ」というときの「猿」は、「猿そのもの」であるという…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」35

A…あの男は猿だ。 B…あの男は猿のようだ。 この二つの比喩表現でどちらが原始的かといえば、Aのほうらしい。 Aの表現を「暗喩(メタファー)」といい、Bは「直喩」という。 万葉集では、初期の歌にはAの表現が多く、後期になってBの「…のようだ」とい…

祝福論(やまとことばの語源)「神話の起源」34

「語り合う」ということそれ自体に、神話が生まれてくる契機をはらんでいる。 原初の文学は、「語り合う」あるいは「歌を交わす」という現場から生まれてきたのであって、才能ある文学者の個人的なイマジネーションから生まれてきたのではない。 イマジネー…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」33

このテーマを考えることもいいかげんもう締めくくりに入っていかなければならないのだが、なかなか着地点が見つからなくて行きはぐれています。 神話の主題は、共同体や個人の「自己確認」にある、という一般的な合意に異をとなえるところから書きはじめたの…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」32

信濃大門さんは、こういっておられた。 西洋の「憑依」と日本列島の「憑依」とは少し違う。日本列島では能動的に「神につく」のではなく、いわば受動的に「神がつく」すなわち「神がやどる」のだ、と。 「やどり木」ということばがある。神社の心柱は、神が…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」31

原始時代に迷信などなかった。 現代社会に暮らすわれわれがいかに迷信深い存在であるかということを、もっと自覚してもよいと思う。 科学が発達した社会で生きているからといって、われわれがそのまま科学的な思考の持ち主だとはかぎらない。 だいいち、科学…

祝福論(やまとことばの語源)「神話の起源」30

信濃大門さんから、「バイブルパワー」というブログのことを教えてもらった。 そこでは、主にキリスト教のことを語っているのだが、やまとことばや日本の宗教にも関心があるらしく、ときどきそんな記事も載せている。 で、信濃大門さんに教えてもらったのは…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」29

起源としての戦争が、「土地争い」とか「奴隷狩り」とかそんな経済的理由から起こってきたと考えているのはこの島国の歴史家だけで、それが純粋な「祝祭」であったということは、今やもう世界的な通説になりつつあるのだとか。 マヤ文明やインカ文明の遺跡か…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」28

「起源神話」をどう解釈すればいいのだろうか。 現在残っているものは、おおむねあとの時代になって、共同体の正当性を確保しようとする権力者の意図に沿って紡ぎ出されたものだろう。 古事記上巻の「天地(あめつち)のはじめ」の記述だって、世の歴史家は…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」27

戦争の起源についての蛇足を書いておきます。 人間は、連携する生きものである。 原初の、戦争という共同体間の「対立」は、ひとつの「連携」でもあった。 そのとき彼らは、「死の覚悟」を共有して戦っていた。 共同体の発生とともに、死が、解決不能の問題…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」26

現代社会において、大人たちは、何によって「連携」していっているのか。 お金によってか。 基本的には、まあそういうことだろう。 しかし、お金以外のところでの連携や信頼関係もある。 酒場などでは、お金なんかどうでもいい、ということがつながりになっ…

祝福論(やまとことば)の語源・「神話の起源」25

近ごろ、東京横浜間の湾岸に広がる京浜工業地帯を一種の観光スポットとして巡る小さなツアーが、都会の若者たちのあいだで静かなブームになっているらしい。 モノクロームのパイプや煙突などが無数にむき出しになって並ぶ工場の建物の景色に、彼らは「癒され…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」24

人は「自分」を守ろうとする。 懸命に守ろうとする。 もしもその人があなたを責めるとすれば、その人はそうやって「自分」を守ろうとしているのだ。 自分を守ることが習い性になっている人は、すぐに人を責めたがる。そうやって、懸命に自分を守っている。 …

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」23

大和朝廷は、遠い昔に九州から奈良盆地に東征してきた神武天皇がうちたてた……という古事記の話はあくまで伝説=神話であって、史実ではないはずです。 人々は、連携している各共同体の外の第三の地を意識していた。その第三の地を起源として共有してゆくこと…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」22

奈良盆地の人々には、ここは旅路の果てとしての最終的な地である、という感慨があった。だから、神武天皇が九州から東征してきてうち建てた都だ、という神話をつくった。 「やまと」の「やま」は、「遠いところにたどり着く」という意味。「と」は、「とまる…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源(旅)」21

人はなぜ、旅に出るのか。 「自分」を発見するため……などという答えは、近代合理主義の思想にすぎないのであって、そんなものが旅の普遍的なコンセプトではない。 たしかに語源としての「たび」ということばは「隠されたものを発見する」という感慨から生ま…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」20

この世に救われていない人間が一人でもいるかぎり、自分は救われている、などといわないのが人間としてのたしなみだと思う。 僕はそう思っているし、救われていることがすばらしいとも思わない。 自分は救われているとか幸せだとか、そういう「物語=神話」…

祝福論(やまとことばの語源)・「辻(つじ)」と「市(いち)」

出会いのときめきは、家の外で起きる。 家と会社や学校との間の「空間=すきま」で生まれる。 だから、通勤・通学電車の中で恋が芽生えたり、痴漢に会ったりもする。 繁華街は、家と会社や学校との間の「空間=すきま」につくられる。 家も、つまるところは…

祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」19

小林秀雄は、「語(かた)らふ」の「かた」は「こと=言」から来ている、というようようなことをいっているが、それはたぶん違うと思う。 「かた」は「かた」だ。「ことらふ」が「かたらふ」に変容してゆくことの必然性は考えにくい。やまとことばの住民は、…