祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」19

小林秀雄は、「語(かた)らふ」の「かた」は「こと=言」から来ている、というようようなことをいっているが、それはたぶん違うと思う。
「かた」は「かた」だ。「ことらふ」が「かたらふ」に変容してゆくことの必然性は考えにくい。やまとことばの住民は、「こと」という音声に深くなじんでいる。「こと」と「もの」の「こと」。だから、「ことらふ」という言い方に対するもどかしさはないのであり、「ことらふ」といっていたのなら、それがそのまま定着していったはずだ。
「ことらふ」が「かたらふ」になったのなら、たとえば「ことわり」も「かたわり」になっていていいはずだ。
一音一音の発声を大切にするやまとことばの住民は、「か」と「こ」の違い、「た」と「と」の違いを、そんないいかげんには扱わない。「ことらふ」が「かたらふ」になったのなら、「かた」といったほうがそのことばのニュアンスが正確になるからだ。つまりそれは、最初から「かたらふ」だったのであり、「こと」ではなく「かた」という音声のニュアンスが問われなければならない。
「こと」と「かた」は違う。「かた」は「かた」だ。「かた」というしかないニュアンスがある。
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「かたらふ」の「か」は、「かっとなる」の「か」。気持ちが点火すること。別の新しいことが起きること。だから、くっついているものが離れるという「新しい事態になる」ことを、古代人は「離(か)る」「刈(か)る」といった。
「た」は、「立(た)つ」「足(た)る」の「た」。かたちになること。すなわち、表現すること。
「かた」とは、新しいはじまりが現れ出ること。
「干潟(ひがた)」の「かた」は、水が干上がって新しい事態が現れ出たことをあらわしている。
弥生時代から古墳時代にかけての奈良盆地の稲作農耕は、まさにそうした「潟(かた)」をつくってゆくところからはじまっていた。
原初の奈良盆地は大湿地帯だったが、弥生時代に入って地球気候がやや寒冷乾燥化し、少しずつ干潟が現れはじめた。人々は、まず干潟に住み着き、さらに干拓して干潟を増やしていった。
 纏向遺跡は、弥生時代において、奈良盆地の土木技術がもっとも発達していたことを証明している。その連続性において、巨大古墳の時代に入っていったのだ。そして、奈良時代から中世にかけて、行基空海をはじめとする宗教者の指導による列島各地に道路やため池や港をつくるという土木事業が展開されていったことも、すべて民衆自身がやっていたことだった。
日本列島の土木事業は、民衆自身がやるという伝統だった。奈良盆地の湿地帯を埋め立てたのも巨大古墳を造ったのも、支配者の権力によるのではなく、民衆自身がやったことなのだ。
したがってそのころの奈良盆地の人々には、「かた」ということばに対する並々ならぬ愛着があったにちがいない。
そこから何かがはじまるというときめき、それが、「かた」ということばにこめられた感慨である。
「かたや」の「かた(片)」は、出会っている一方のがわのことをいう。その「出会いのときめき」を、「かた」という。
そこから何かがはじまるというときめき。
「肩(かた)」は、手のはじまりであり、胴体のはじまりであり、頭や顔や首のはじまりである。だから「かた」という。
何かがはじまる原型、それを「かた(型・形)」という。
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「かたらふ」は「かたりあふ」が詰まったことば、それはきっとそうだろう。大切なのは「かた」という音声であって「りあ」が「ら」になってもさして問題はない。
そして「あふ(合ふ・会ふ)」は、「重なる」という意味だが、「ふ」という音声がすでに「あふ=重なる」というニュアンスを持っている。
「あふ=重なる」というニュアンスを持った動詞の語尾は、すべて「ふ」になっている。「吸ふ」「食ふ」「払ふ」……すべて対象世界と関係してゆく(=重なる)行為である。
それに対して「る=ら行」が動詞の語尾になっているときは、「場」のニュアンスをあらわしている。「走る」「来る」「取る」「生まれる」の「る」。
「語る」という行為が現れる「場」がある。
「かたらふ」の「らふ」は、そういう「場」において「関係」がつくられている、というニュアンスをあらわしている。
「かたらふ」の「ふ」は、心と心が重なり合うこと。「ふ」は、はじめから「あふ」の「ふ」であり、「ふ」を強調することばとして「あふ」が生まれてきたのかもしれない。「伏(ふ)す」も「降(ふ)る」も「拭(ふ)く」も、すべて「重なり合う」というニュアンスを持っている。
したがって、「かたりあふ」が「かたらふ」になったのではなく、最初から「かたらふ」だったのかもしれない、ということも考えられる。「ふ」が、すでに「あふ」というニュアンスを持っている。「かたらふ」場において心が重なってゆく、そういうニュアンスで「らふ」という。
どんな心かといえば、ここから何かがはじまるという「かた=出会いのときめき」である。
向き合って黙っていれば、気まずくなる。語り出せば、その気まずさは解消される。「かたらふ」ことは、出会いのときめきの表現であり、「かたらふ」ことによって出会いのときめきが生まれる。そういう「はじまり」のことを「かた」という。
「かたらふ」の「かた」を「こと」といってしまうと、「出会いのときめき」に心を躍らせていた奈良盆地の人々の語らいの場のダイナミズムが消えてしまう。
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「かたらふ」の「かた」とは、「出会いのときめき」であり、「思いついたことを表現すること」である。「かた」とは、「はじまり」のこと。
「借金のかた」というときの「かた」は、それによって返済が「はじまる」ことを約束している。
「うたふ」ことが最終的な感慨を共有してゆくことだとすれば、「かたらふ」ことは、今起きた感慨やアイデアを表現し合うことにある。
「心が定まる」ことと、「心が動き始める」こと。
「終わり」と、「はじまり」。
だから、「歌」は変ることなく引き継がれてゆくが、「かたらふ」ところから生まれてくる「神話」は、文字にして残しておかないかぎり、どんどん変容してゆく。
「かたらふ」ことによって、心が動き始める。
「かたらふ」ことは、停滞していた心が動き始めることののカタルシスをもたらす。そういう機能として、「神話」を語り合う場が生まれてきた。
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男と女が、一緒にエッチしようという最終的な感慨を共有してゆくことが「歌垣」における「歌謡」の機能であったとすれば、「神話」は、停滞している人々の心が動きはじめる契機として機能していた。
奈良盆地の人々は、心が解放されていたから「神話」を生み出したのではない。小集落の中でひしめき合って暮らしながら心が停滞してしまう「嘆き」を抱えていたから、そういう停滞から解放され、「嘆き」が「カタルシス」に昇華してゆく機能として神話が生まれてきたのだ。
解放されてあることのカタルシスが神話を生み出したのではない、解放されてゆく機能として神話が生まれてきたのであり、解放されていない「嘆き」が神話を生み出したのだ。
解放されているのなら、神話など生み出す必要はない。
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現代社会にも、お台場のガンダム村上春樹の小説をはじめとして、「神話」があふれている。それは、われわれもまた、人がひしめき合った空間の中に置かれて解放されていない「嘆き」を抱えて暮らしているからだ。
神話は、人がひしめき合っている「都市」から生まれてくる。農村では、伝説が伝説のまま残されてゆく。都市では、情報が駆け巡ってどんどん変質してゆく。農村では情報が固定化されてゆく。そういう意味で、弥生時代奈良盆地も、すでに「都市」であったのかもしれない。
なぜ情報を変質させてしまうのか。それは、心が停滞して動きはじめる契機を欲しがっているからだろう。
都市には刺激があふれているという以前に、都市で暮らしていると刺激が欲しくなる、という問題がある。
それほどに都市の住民の心は、閉塞感にとらわれて身動きできなくなってしまっている。
町に出て人と会って心が動きすぎて疲れた、というのは、刺激を欲しがっている心が過剰に反応してしまったことを意味する。
反応できなくなってしまっているから反応してしまう、というパラドックスがある。
たとえば、陰ではその人の悪口をさんざんいっておきながら、いざ会ったらものすごく親しげな態度をしてみせる。そんなことができるのは、すでに反応を喪失してしまっているからだろう。心の動きを押し込めて、テクニックだけで付き合っている。そうして、別れたあとに、疲れた、という。
それが、この社会で生きてゆくためのもっとも大事な処世術のひとつかもしれないが、そんなことばかりやっているうちにだんだん心が病んでゆく。すでに病んでいるから、そんなことができる、ともいえる。
そういう処世術を持てなくて追いつめられている若者は多い。
相手がどんなにぶざまで不愉快な人間であろうと、腹を立てたら負けだ。しかし、そんなふうに自分に執着していってしまうのが、都市の生活の特質でもある。
そんなときはもう、相手にときめくことのできない「今ここ」を思い切りかなしむ(嘆く)しかない。それは、都市で暮らすことのかなしみ(嘆き)だ。相手が悪いのでも自分が悪いのでもない。そういう事態に立たされていることのかなしみ(嘆き)から、何かがはじまるかもしれない。
弥生時代奈良盆地の人々は、たぶんそういうかなしみ(嘆き)を持っていたのであり、そこから「かたらふ」ことのカタルシスを汲み上げていったのだろう。
まず、かなしむ(嘆く)というかたちで心が動きはじめる。そこから、「かたらふ」ことのときめきが生まれてくる。
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弥生時代古墳時代奈良盆地の人々と、現代人の心の動きは、どこが違うのか。
彼らは「文字」を持っていなかった。しかし「文字」を持ってしまったわれわれは、「文字」によって「神話」をつむぎながら、「かたらふ」ことのときめきを喪失してしまっている。
「文字」によって成立している社会では、「かたらふ」ことのダイナミズムが希薄になってしまう。言い換えれば人は、「かたらふ」ことのときめきを失うことによって、精神を病んでゆく。
「文字」だけではない。われわれはもう、「かたらふ」ことをしないでも、いろんなかたちで「神話」と遭遇することができる。
お台場のガンダムはまさに「神話」であるし、建築もファッションもコンピューターも芸能も芸術も、あらゆる文明が「神話」として機能している。
いまや、何が「神話」かと問うこと自体が無効になっている。
月旅行は「神話」であると同時に、もはや「神話」ではない。
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ここまで考えてきて、われわれは、現在に生まれた、あるたしかなかたちを持った「神話」のことを思い出す。
秋葉原の通り魔事件のことだ。
その若者は、現代の「ヤマトタケル」になった。 
それは、「神話」になることが許されていない「神話」であり、それを「かたらふ」人々のあいだにおいてのみ「神話」であることができている。
このことは、「かたらふ」ことのときめきは「嘆き」を共有している人々のあいだから生まれてくる、ということをわれわれに教えてくれる。彼らはまさに、弥生時代古墳時代に神話を語り合った奈良盆地の人々のときめきを、そのまま追体験している。
現在のこの国においては、自分を見失った若者たちは「嘆き」を共有しようとし、大人たちは自分を肯定する「幸せ」を共有しようとしている。
大人たちは「システム」を嘆き、若者たちは、「今ここ」に生きてあるというそのことを嘆いている。
大人たちは、若者たちのそういう嘆きをすでに喪失してしまっている。そして近頃、いっとき誰もが「システム」を嘆く人になる「選挙」という季節に熱中していった。
この季節だけは、ひとまず「システム」を嘆くことが列島中を覆っていった。
しかしじつは、「システム」を嘆こうが嘆くまいが、そんなことはどうでもいいのだ。嘆いたからえらいというものでもない。弱いものは、「システム」にしがみつくしか生きてゆくすべはないのだ。
戦争に行けといわれれば、行くしかないのだ。
「今ここ」を嘆くものは、他者と「かたらふ」ことにときめくしか生きてゆくすべはないし、「今ここ」を嘆くものによってのみ、そういう現場が体験されているのだ。
秋葉原の通り魔事件を「神話」にしていった若者たちの、その「かたらふ」場を超えたときめきを、現在の大人たちのいったい誰が体験しているだろうか。