2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

閑話休題・日本列島は「辺境」か?

どうせ不愉快になるだけだから読むまいと思っていたのだが、とうとう内田樹先生の「日本辺境論」を読んでしまった。 日本列島は辺境である……といわれれば、ひとまず誰もがうなずくほかない。しかしこの「辺境」という言葉の意味をどう解釈するか。 内田先生…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」22

「もの」と「こと」は、二項対立として生まれてきたことばではない。 人間の意識におけるデジタルな二項対立の根源のひとつとして、「自己」と「他者」、という意識がある。 それは、「異質な他者=異民族」との出会いから生まれてきた。 しかし日本列島には…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」21

人は、根源的に「けがれ」を負って存在している。 そういうかたちを共有してゆくことによって、原初の直立二足歩行が実現していった。 そのとき原初の人類にそういう自覚はなかっただろうが、無意識のところでそうした二本の足で立っていることの居心地の悪…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」20

西洋の都市は、中央に広場があって、そこに寺院などが建てられ、祝祭の空間になっている。人間の意識は、「空間」に向かう。町の中央に広場=空間があるということは、人々の意識をそこに集めて町として自己完結してゆこうとしているからだ。 自己完結しよう…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」19

動物の中でも、正面から抱きあってセックスするのは人間くらいのものだろう。 人間のセックスは、正常位にはじまり、正常位に極まる。 人間が二本の足で立っている姿勢は、胸・腹・性器等の急所を外にさらしており、体の正面に居心地の悪さがたまっている。…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」18戦争の起源

人類の歴史において、いつから人殺しや戦争がはじまったのか。 人間だって生きものなのだから、はじめからそんなことをしていたわけでもあるまい。 そういう習性を持ってしまう何か具体的な契機があったにちがいない。 しかし根源的な契機とは何かといえば、…

閑話休題・耳障りな家族論

内田樹先生が、またまた「家族」について、ものすごく欺瞞的なことをおっしゃっておられた。 先生いわく、家族は人間の歴史のはじめから存在したもっとも本質的根源的な単位で、もともと誰でもいとなむことができるように「制度設計」されている、家族をいと…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」17

たとえば、先行の文献を引用して自分の論を補強してゆく、あるいは先行の文献を検証しながらその上に自分の論を立ててゆく、これが、論文を書くときのセオリーなんだってさ。 こういう書き方は、ヨーロッパの伝統なのだろう。つまり、自分は先行研究に「蹂躙…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」16

「あなたはキリストの復活を信じるか?」、と試すように聞かれたことがある。 そんなことわかりません、と答えた。 僕にとって、そんなことはどうでもいい。信じるといっても、信じないといっても、同じ穴のムジナだと思う。 問題は、ヨーロッパの歴史にどう…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」15

人間は誰もがどこかしらに醜い部分を抱えている……などとしたり顔していわれると、うんざりさせられる。それが人間なのだから、それでいいのだよ……とかいうなよ。 いいわけないだろう。自分の中のそういう部分に気づいたら、情けないだろう、自分がいやになる…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」14

古代の日本列島の住民は、海に閉じ込められたこの地に立って、自分たちのまわりの見える景色がこの世界のすべてと思い定めて暮らしていた。 水平線の向こうにもうひとつの世界など何もないし、この生の向こうに天国や極楽浄土も何もない、すべてはこの生この…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」13

日本列島において、「もの」と「こと」ということばがなぜ生まれてきたかというと、人々が、生きてあることの嘆き(=もの)と、世界や他者に気づいてゆくことのときめき(=こと)とのバイブレーションを豊かに体験しながら暮らしていたからだ。 そこから世…

祝福論(やまとことばの語源)・「もの」と「こと」12言葉の力

内田先生が、「言葉の力」といっておられた。 先生の説く「言葉の力」とはどういうものかというと、 ______________________________ 「言葉の力」とは、私たちが現にそれを用いて自分の思考や感情を述べているときの言葉の不…

祝福論(やまとことばの語原)・ひとつの日本文化論

梅棹忠夫という人の次のような説に、内田樹先生が「日本辺境論」の中で賛意を表しておられる。 _________________________________ 「…日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとって…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」11

「ことほどさように……」という。 意味の解釈に戸惑うことばだ。 「ことほど」とは、その事態の出現に驚いたりあきれたりしている感慨の表出で、「まったく」というようなニュアンスだろうか。「ことほどさように」とは「まったくそのように」といっているの…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」10

西洋人は、「説得する」ということに対するうしろめたさがない。美徳か何かのようなつもりでいる。それこそが彼らの制度性あるということに気づかずに。 そんな詐欺師根性のどこが美しいのか。 日本列島の古代人や原始人の美意識、すなわちやまとことばは、…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」9

仏教の話のようで、仏教の話ではないのだが。 「契機」とは、「仏になる誓願を立てる」ことではない。 そんなことは、自意識過剰の俗物のすることだ。 シュバイツァーとかマザーテレサになりたいということだって、一種の「誓願」だろう。 人は「自分」とい…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」8

小林秀雄は、「語(かた)らふ」の「かた」は「ことのは」の「こと」だ、というようなことをいっていた。 つまり、「ことらふ」が「かたらふ」になった、と。 しかしこの説は、納得できない。 やまとことばは、一音一音ていねいにたどたどしく発音する。一音…

閑話休題・いらだち

ただの気まぐれの走り書きです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 生きてあるのは、うっとうしくいたたまれないことだ。われわれは、しょうがなく生きているだけだ。そう思うからこそ、世界や他者に対するときめきも生まれてくるのであり、現代人はそ…