祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」13

日本列島において、「もの」と「こと」ということばがなぜ生まれてきたかというと、人々が、生きてあることの嘆き(=もの)と、世界や他者に気づいてゆくことのときめき(=こと)とのバイブレーションを豊かに体験しながら暮らしていたからだ。
そこから世界や他者をすでにわかっているものとして規定し、生きてあることの嘆きを消去してゆく装置として「共同体」が生まれてきた。
「世界は神がつくりたもうた」「神はみずからの姿に似せて人をつくりたもうた」、とりあえずそういってしまえば、問題は解決する。
そのようにして、うわべでは「決定不能性」だのなんだのといいながら根源的なところではあっさり問題を解決してしまっているのが制度的思考であり、西洋人の思考であり、現代人の思考である。
言葉の「伝達不能性」を嘆いて見せていい気になっている学者がいる。それは、言葉とは伝達する道具である、と問題をあっさり解決してしまっているからだ。
古代人は、ことばの根源的な機能が「伝達する道具」にあるとは思っていなかった。そんなところであっさり問題を解決していなかった。
古代人は、神が存在するとか神が世界をつくったなどといって、あっさり問題を解決してしまうような横着なことをしなかった。
古事記によれば、神はこの世界の混沌から出現したのであって、この世界をつくったとはいってない。この世界の混沌から日本列島をつくった、といっているだけだ。
日本列島においては、神は「成(な)る=出現する」対象であって、すでに「存在」するのではない。彼らは、神がすでに存在するものとして問題を解決してしまうようなことはしなかった。
制度的な思考は、根源的なところですでに問題を解決してしまっている。そして、すでに問題を解決してしまっているところに立って、解決不能性などといって嘆いてみせる。根源における解決不能性に身もだえする度胸も想像力もないから、それを隠蔽するためにあれこれレトリックを振り回して嘆いているポーズをとってくる。西洋の思考にはそういう横着さがあり、内田先生をはじめとするこの国の知識人たちも、それを見習って常套手段にしている。
古代人は、現代人より知能が劣っていたのではない。現代人ほど横着ではなかっただけだ。彼らは、たとえば「われわれはどこから来てどこに行こうとしているのか」というような根源的な問題を「神」という概念によって解決してしまうということはしなかった。
そりゃあ、神によってつくられ神のいる天国に行く、と思ってしまえれば楽だろう。しかし日本列島の古代人は、「われわれは何もないところから現われてきて、何もないものとして消えてゆくだけだ」と思っていた。それが、やまとことばの「なる」という思考である。
問題を解決していなかったから、「もの」と「こと」ということばが生まれてきたのだ。存在することのいたたまれなさ、すなわち「どこから来たのかわからない」という不安といたたまれなさをそのまま受け止めて「もの」といい、その不安といたたまれなさを携えながら世界や他者の出現にときめいてゆく体験から「こと」ということばが生まれてきた。
日本列島の古代人はまだ、制度的な意識は希薄だった。
やまとことばは、制度的な意識から生まれてきたのではない。
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一神教という制度的思考を人類で最初に生み出したのは、どうやらユダヤ人らしい。
ユダヤ人という民族は、古代のメソポタミアから生まれてきた。
メソポタミアは、1万3千年前の氷河期明け以来、世界でもっとも人の往来が頻繁な地域であった。そういう風土から、世界最初の文明や国家が生まれてきた。
ユダヤ人は、チグリス・ユーフラテス川上流あたりに住んでいた「セム族」から派生してきたのだろうといわれている。
そのあたりこそ、もっとも人の往来が頻繁な地域だったのであり、「セム族」といっても、もともとはその周辺から集まってきた人々だった。氷河期明けのころは現在のトルコからイスラエル・エジプトあたりまでの地中海沿岸域が世界でいちばん人口密度が高い地域で、農耕の発達ともにそれらの地域から小麦が自生するチグリス・ユーフラテス川の流域に集まってきて、やがてもっとも土地が肥沃だった下流域に人類最初の都市国家群が築かれていった。
上流域は、5、6千年前から過剰な森林伐採の影響ですでに砂漠化がはじまっていたといわれている。そうなるともう、その地域は、人が集まってくるというより、東のメソポタミア都市国家群と西の地中海沿岸地域とのあいだで、人が通り過ぎるだけの場所になってしまう。
そこでは、つねに異民族の文化や産物がもたらされたり、異民族から踏み荒らされたりしていた。
彼らはつねに、異民族との出会いと別れを繰り返していた。
異民族という「異質な他者」。ユダヤ人や西洋人が他者性の根源にこのことばを据えたがる思考は、おそらくここからはじまっている。そして一神教は、おそらくこのような風土から生まれてきた。
彼らは、不断に、異民族と関係を持つトレーニングをしていた。異民族と一緒に暮らすのではない、出会って別れるまでのあいだのその場かぎりの駆け引きをするのだ。そういうトレーニングから、ユダヤ人特有の「自我」の強さが育ってきた。戦争にせよ、交易にせよ、彼らは、しっかり自我を持っていないと異民族にしてやられる日々を送っていたのだ。
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その「自我」が、神との一対一の関係を見出していった。そして、神との一対一の関係を結ぶことによって、「自我の確立」という制度的な物語が定着していった。
彼らは、異民族との死に物狂いの関係から、自我を保障する存在としての「神」を見出していった。
自我を確立する機能としての「神」。われわれの多神教の神には、そんな機能はない。自分というものをちゃんと持っていないのだから、他者が「異質」かどうかもわからない。
日本列島の古代人は、他者の異質性をあれこれ吟味することをしなかった。この狭い島国で、そんなことをいちいち地吟味しなければならないような「異質な他者」との確執などとは無縁に暮らしていた。彼らは、他者の存在そのものにときめいていた。良くも悪くも、日本列島の住民には、そういうナイーブな幼児性がある。死に物狂いで異質な他者との確執を生きてきたユダヤ人とは、ある意味で正反対の民族なのだ。
ユダヤ人とは、世界でもっとも早く異質な他者との関係を頻繁に体験していった人々であり、もっとも早く「自我の確立」に目覚めていった人々である。
彼らにとっての自我の確立は、異質な他者との関係に耐えるためにやむなく育ってきたものであるが、やがてそれ自体が目的化され、ユダヤ教という一神教が生まれてきた。
彼らの「離散(ディアスポラ)」したがる習性は、そういうところからきている。彼らは、「異質な他者」との対立的な関係から自我を確立してゆくというかたちで生きてゆこうとする。
彼らは、追放されるものであると同時に、離散したがるものでもあった。
つまり、追放されたがっているのだ。彼らは、「異質な他者=異民族」との緊張関係の中でしか生きられない。
日本列島では「郷に入らば郷に従え」というが、ユダヤ人は、どこに行っても、つねに「異質な他者」すなわちユダヤ教徒という異民族として振舞ってきた。彼らは、異質な他者の脅威の中に身を置くことによって、アイデンティティを確立してゆく。彼らが自虐的なジョークを好むのは、危機の中で自我を確立しようとしているからだ。嫌われ者になればなるほど、神との一対一の関係がたしかに自覚されてゆく。
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人類の歴史における「一神教」という制度的な自我の確立の物語は、ユダヤ人とともにはじまった。そして彼らこそ、もっともラディカルにそれを追及していった人々であった。
自我に目覚めたものたちは、他者を異質な存在と規定する。異質な存在だと規定しなければ生きられない。だから西洋人は一人一人が孤独であるのだが、そうやって他者を異質な存在と規定するのは、一神教によるひとつの制度性であって、他者性の根源でもなんでもない。
他者が異質かどうかなど、わからないのだ。ただ「他者」として「私」の前に存在する、それだけのことだ。他者が私を攻撃しようとしているかどうかなど、わからないことだ。それなのに、攻撃してくるものと規定して、自我を確立しながら身構える。西洋人やユダヤ人の「自我の確立」という物語など、他者に蹂躙されながら育ってきた者たちが抱く、たんなるルサンチマンなのだ。
自我の強い人間には、そういう恨みがましいところがある。
一神教とは、そういう恨みがましい宗教なのだ。
蹂躙し蹂躙される関係から、一神教が生まれてきた。それは、説得し説得される関係、といっても同じだ。彼らはそういう歴史を歩んできた。そうやって共同体を強化し、そうやって言葉を変質させてきた。
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3万年前の氷河期にアフリカのホモ・サピエンスが大挙してヨーロッパに遠征して行ってネアンデルタールを全部滅ぼしてしまった、というような空々しいことをどうして信じられるのか、僕にはまったくわからない。
氷河期にヨーロッパまで行ったアフリカ人など、たぶん一人もいないのだ。
温暖な気候でしかも道のあった日本列島の古代や中世だって、旅に疲れて野垂れ死にする人がいくらでもいたのである。だったら、氷河期の原始人が道なき道の原野を大勢で旅をする、などということがあるはずないじゃないか。おまけに氷河期の極北の地を生きるすべなど何も知らない人たちが、である。
氷河期の極北の地を生きることができたのは、その地で何万年も生きてきた人たちだけに決まっている。アフリカの原始人が、何を好きこのんでそんなところに出かけてゆくものか。
だいいちアフリカの原始人は、いつも家族的小集団で行動しているだけで、大きな群れを組織できる能力などなかった。そういう能力は、極北の地のネアンデルタールだけが持っていた。彼らは、大勢のチームプレイでマンモスなどを狩猟し、大勢で身を寄せ合いながら寒さに耐えて暮らしていた。
温暖な気候のもとで暮らしていた原始人がいきなり行って住めるようなところではなかったのである。
最初にヨーロッパの地中海沿岸地域に住み着いた人々が北ヨーロッパまで拡散してゆくのに、およそ五十万年かかっている。
原始人には、旅をするのも極北の地に住み着くのも、それくらい過酷だったのである。
どいつもこいつも、人間が生きるということをなめきっている。だから、学者などという人種は信用がならないのだ。
人類が本格的に地平線の向こうまで旅をすることができるようになったのは、氷河期が明けて気候が温暖になり、文化や文明もそれなりに進展してきてからのことである。
そしてそれが最初に起きてきたのがメソポタミア地方であり、そこからユダヤ人という民族が登場してきた。大昔の氷河期から大勢で旅をし、滅んだの滅ぼしただのということをしていたのなら、その時点で一神教が生まれていたはずであり、人類の宗教は一神教からはじまったことになる。
原初の人類は、地平線の向こうに出かけてゆくなどということはせず、自分たちが見回すことのできる眺めを世界のすべてと思い定めて生きていた。そして、まわりを海に囲まれた日本列島では、氷河期が明けてもなおそんな暮らしを続けていた。というか、氷河期が明けて海に閉じ込められてしまったからこそ、そんな歴史を生きることを余儀なくされてしまった。
つまり、まわりの見える世界との濃密な関係から一神教が生まれ、見えない世界との関係から一神教が生まれてきた、ということだ。多神教である日本列島の原始神道一神教であるユダヤ教との違いはそこにある。日本=ユダヤ同祖論など、とんでもない話なのだ。むしろ両者の違いから、人類がどのようにして多神教から一神教に移行していったかということが見えてくるはずである。