都市の起源(その十七)・ネアンデルタール人論168

その十七・一神教多神教

古事記は民衆の世界観や生命観から生まれてきた歴史物語(伝承説話)を採録したものであり、それを権力者の都合がいいように脚色していったのが日本書紀だといわれている。
古事記であれ日本書記であれ、そこにどんな史実が隠されているかということはさしあたりどうでもいい。前半は完全なつくり話で、後半の天皇家の歴史だって、実在が確認されていない天皇の話などほとんどがただのつくり話に決まっている。ともあれそこには、古代人の世界観や生命観が表現されている。
伝承説話などというものは、歴史の事実を保存しているのではなく、聞いて面白い話が残ってゆくだけであり、つまり、人々の世界観や生命観に訴える話が残ってゆくのだ。
少なくとも古事記の神々の話から歴史の事実を導き出すことはできないし、神が定めた「規範=戒律」も説かれていない。おそらくそのころの民衆は、生き延びようとする欲望や正義によって生きていたのではなかった。古事記の神はたいていあっけなく死んでゆくし、けっこういいかげんな振る舞いをしていて、そこが面白かったりする。まあ前半の純粋な「神」の話はこの世界の森羅万象の起源としての聞いて面白い話が集められてあるだけで、祭りのときに「語り部」がそういう話をみんなに語って聞かせていたのかもしれない。「祭りの賑わい」を盛り上げるひとつのイベントとして。
古代以前の奈良盆地に出現した都市集落の民衆を生かしていたのは、この世界の秩序としての「精霊信仰」でも、生き延びるための「呪術信仰」でもなく、純粋な「祭りの賑わい」にあった。それは、世界の秩序も生き延びることもどうでもいいというところから生まれてくる。大和朝廷という都市国家の歴史は、ひとまずそこからはじまっていたのであり、「神武東征」のことなんかは、聞いて面白いただのつくり話だったに決まっている。
まあそのころの奈良盆地は日本中から人が集まってくる祭りの聖地だったわけで、日本中の情報が集まっていたから、日本中を舞台にした物語を生み出すことができた。
「祭りの賑わい」に引き寄せられてどこからともなく人が集まってきて大きな集団になってゆくというなりゆきはもう、世界中の都市の発生の普遍的な現象なのだ。


人を根源において生かし、人の集団のダイナミズムを生み出しているのは、生き延びようとする欲望でも世界の秩序でもなく、人も含めたこの世界の森羅万象の「出現=輝き」に対する出会いのときめきであり、古代の日本列島の住民は、そんな「祭りの賑わい」の体験を象徴するものとして「かみ」と呼ぶようになっていっただけのこと。
「かみ」は、「かむ」の体言。「噛(か)む」ことは、食い物の味に気づいて「美味しい」とときめくこと。「交(か」む」は、「交わる」こと、すなわち人と人が出会ってときめき合ってゆくこと。そういう「祭りの賑わい」のことを「かみ」といった。
だから古事記の神々の話は、賑やかで荒唐無稽なのだろう。この生やこの世界の秩序のことなんか、まったく頭になかった。
「混沌」こそ古事記という物語の主題だったのであり、それは「都市」の物語だった。そこに表現されているのは「生き延びる」ための「呪術」でも「規範」でもなく、奈良盆地の都市集落で暮らす人々の「もう死んでもいい」という勢いの「ときめき=祭りの賑わい」とともに語り継がれてきた物語だった。
古事記の神々をもとにしてこの国の神道が生まれ育っていった。それは、外来の仏教に対するカウンターカルチャーとして生まれてきたのであり、そのとき奈良盆地の人々は、仏教が持つ生き延びるための呪術性や規範性よりも、「もう死んでもいい」という勢いの「ときめき=祭りの賑わい」を守ろうとしていった。そういう意味で神道縄文時代以来の日本列島の伝統であるのだが、その「多神教」というスタイルは、「創造主」という絶対の神を想定する「一神教」をデフォルメするものだった。


まあ一般的には、多神教のほうが原初的だといわれているが、おそらくそうではない。最初から一度にたくさんの神をを思い浮かべるなんて、あたりまえに考えて変ではないか。最初は、「何かひとつ」を思い浮かべたに決まっている。つまり「絶対的なひとつ」として「創造主」を思い浮かべたのだ。そのとき人は、「この世界の仕組み」が知りたかったのであり、その仕組みをつくったものとして「神」という概念が生まれてきた。
太陽が神だとか、森が神だとか、そうやって発想できるのはすでに「神」という概念を知っているからであり、知らなければ神だと思いようがない。そして太陽が神だということは、太陽をつくった「創造主」のことは考えていない。つまり、「神」という概念だけ知っていて、「創造主」という認識はない。その神は太陽に「なった」のであって、太陽を「つくった」のではない。「つくる」という発想がない。そのとき人は、太陽がこの生やこの世界を支配している、と考えた。「(権力による)支配」という形態が未熟な社会からは、「神」という概念は生まれてこない。つまり、まず「(権力による)支配」が成熟した社会で「神=創造主」という一神教が生まれ、それが未熟な社会に伝わってゆき、光をつくる神、風をつくる神、雨をつくる神等々がイメージされていった。「つくる=支配する」という発想は、共同体の制度が成熟することによって生まれてくる。
メソポタミアは、最初から一神教だった。一神教を発想してしまえばもう多神教を発想しようがないし、神という概念を知らなければ多神教は発想できない。
共同体の制度が成熟して「つくる=支配する」ということを知ったことによって、神が発想されていった。人類にとっての神はまず、この世界をつくったものとして生まれてきた。


太陽を見て、いきなり太陽をつくったものなど発想しようがない。「つくる=支配する」ということを知っているものがそういう発想をする。メソポタミア都市国家は、人類で最初に農業を生み出し、「つくる=支配する」ということをよく知っていた。
ギリシャメソポタミアのすぐ隣だから、真っ先にその影響を受けた。だがそのとき共同体の制度(=都市国家)がまだ成熟していなかったから、世界の「創造主」をうまくイメージすることができなかった。だから、具体的な雨や風や光に対する驚きやときめきの中にそれを移し替えてイメージしていった。一神教を基にすることによってしか多神教が生まれてくる契機はないし、一神教それ自体は多神教にはなってゆかない。また。多神教一神教に収束してゆくということもない。収束してゆくなら、今ごろは、この世に一神教しかないだろう。
なんのかのといっても多神教の方が話として面白いし、話(=語り伝え)として残ってゆく。
子供がいきなり「この世界の創造主」を思い浮かべることはできないが、「創造主=つくる=支配する」ということを知らなければ、具体的な雨や風や光に対する驚きやときめきをそうした「神」のイメージに翻訳してゆくこともできない。
一神教は共同体の制度性が成熟した社会のこの生やこの世界を「つくる=支配する」という思考から生まれてきて、それが未開社会に伝わり、人々の森羅万象に対する「驚き=ときめき」すなわち「祭りの賑わい」を基礎にした多神教にアレンジされていった。
世界中どこでも、一神教をアレンジ=デフォルメして多神教が生まれてきたのだ。
日本列島の神道だろうと、現在のアフリカやアマゾン奥地の未開の民族の精霊信仰だろうと、つまりはメソポタミア文明で生まれた「創造主」を想定した一神教をひとまず受け入れつつアレンジ=デフォルメしながら生まれ育ってきたのだ。


一神教は大人の宗教で、多神教は子供の宗教だともいえる。しかしだからといって、子供の宗教が先だとはいえない。大人に教育されて子供に宗教心が芽生えてゆく。
大人の一神教に囲い込まれた子供のアドバンテージとハンディキャップというのがある。その「つくる=支配する」という「規範=戒律」に縛られることによって、たえず世界に対する警戒心と緊張感とともに他者を支配したり他者に支配されたりする「安定と秩序」の恍惚の中に身を置いていようとし、まあその自我意識が世渡りの技術を上達させもするが、同時にそれによって世界の輝きに対する驚きやときめきをどんどん失ってゆく。
今どきのアスペルガー症候群統合失調症をはじめとする発達障害のほとんどは、自分の中に「創造主」の「神」を持ってしまっているのであり、誰が悪いというのでもないが、そうやって生まれ育った環境から「一神教」に囲い込まれているのだ。
現代人の心の病のほとんどはそうした自我意識の肥大化によってもたらされているのであり、それはメソポタミア文明を水源にしている。だからユダヤ人は心を病む人が多く、多くの優秀な心理学者を輩出してもいる。彼らは、世界に対する警戒心と緊張感で歴史を歩んできた。だから、心を病み、同時に世渡りの技術もおそろしく発達している。その自我意識で社会的に成功したり心を病んだりしている。
まあ現在の心理学は、ユダヤ人にリードされながら、「自我の確立」が心の成長発達の基礎とか本質であるかのように合意されているわけだが、意識は「自己と世界との関係」として世界を認識するのではなく、自己を消去して世界に憑依してゆくというかたちで認識し、ときめいているのだ。
人類の言葉は、思わず発してしまうさまざまなニュアンスの音声として生まれてきたのであり、その音声にこめられた「自己と世界の関係」はそのあとに気づかされる。そこに「自己と世界との関係」がはたらいているとしても、「自己意識=自我」などはたらいていない。そのときの自分に「自我」はからっぽなのだ。「自我」がらっぽの意識から言葉が生まれてきた。
自我をからっぽにしてときめいてゆくことこそ、心の成長発達なのだ。そういう体験をしそこなって発達障害になるし、しそこなっていることを武器に社会的な成功をおさめていったりする。
自我がからっぽなんて愚かな証拠だけど、一流の科学者や芸術家だって自我はからっぽなのだ。二流三流ばかりが自我に凝り固まっている。
多神教の他愛ないときめきを体験しそこなって発達障害を起こすし、それを武器に偏差値を高くしていったり社会的に成功していったりする。
しかし人類は自我をからっぽにした「驚き・ときめき」とともに文化のイノベーションを生み出してきたのであり、その歴史の無意識は、一神教の規範と戒律に囲まれてしまうことの閉塞感のクッションとして多神教を生み出した。
日本列島の古事記という荒唐無稽な神々の物語は、まさにそうした「自我をからっぽにした驚き・ときめき」とともに語り継がれてきたのだ。そのとき奈良盆地の都市集落の人々は、大和朝廷という共同体から仏教とともに下ろされてくる「規範=戒律」からの解放として古事記という神々の物語を語り合っていた。日本列島は「神の国」でもなんでもない、神の後進国なのだ。
多神教は、一神教の「規範=戒律」の束縛からの解放として生まれてきた。それはもう、日本列島の古事記だけでなく、世界中どこでもそうだ。多神教一神教に収束・変質してゆくということは、論理的にありえない。もともと一神教カウンターカルチャーとして生まれてきたのだから。
「祭りの賑わい=混沌」がなければ人は生きられない。若者が愚かであることも、「かわいい」とときめくことも、大人たちが支配する平和で豊かな社会の閉塞状況に対するカウンターカルチャーであり、多神教なのだ。