都市の起源(その十二)・ネアンデルタール人論163

その十二・水のように淡い関係の中で

「連携」とは、ときめき合うこと。ときめくことができてときめかれる魅力を持った人でなければ、豊かな「連携」という関係はつくれない。つまりそれは、都市的な「サービス」の文化なのだ。まあ飲み屋での会話だってひとつの「連携」であり、人類史におけるその関係は、「祭りの賑わい」の「混沌」の中でときめき合ってゆくという生態から生まれ育ってきた。それは、他者を生かすこと、他者から生かされること。人は根源において生きることができない弱い存在であり、人間的なこの生は、そういう関係の上に成り立っている。
生き延びる能力を持った強いものが生きられない弱いものを助けるということは、「連携」とはいわない。生きられない弱いものどうしが助け合うというか生かし合うことを「連携」という。
「ときめく」とは、他者を生かそうとする衝動であって、自分が生き延びようとする欲望から生まれてくるのではない。
人は、「生きられない存在」の赤ん坊として生まれ、まわりの介護によって生きながらえてゆく。「生きられない存在」として生きようとするのは人の本能のようなもので、つまり、この生の前提として、「人は生きられない存在である」という認識を持っている。
人は「生きられない」存在であり、他者を生かすことをしなければ、他者はこの世に存在することができない。他者にときめくことは他者の存在の輝きに気づくことであり、他者がこの世に存在することを願うなら他者を生かすしかない。人が他者にときめく心を持っているということは、他者を生かそうとする衝動を持っているということだ。他者にときめくことは、他者の「生きられなさ」に気づくことだ。その悲劇性に憑依してときめいてゆく。つまり、人の心は、この生の外の「非日常」の世界に対する「遠い憧れ」を持っており、その「生きられない」気配にときめいてゆく。
人の世は、普遍的に「悲劇=非日常性」を愛している。人は、「生きられなさ」すなわち「混沌」の中で存在している。人が「旅に出る」ということは、「生きられなさ=混沌=悲劇=非日常性」に引き寄せられてゆくということであり、そうやって「都市」に集まってくる。
終戦直後の東京は「生きられなさ=混沌=悲劇=非日常性」がもっとも豊かに生成している場所だったのであり、人々はそこから「生き延びようとする欲望」をたぎらせていったのではなく、ひたすら「娯楽=ときめき」の文化を盛り上げていった。「もう死んでもいい」という勢いの「ときめき」、そうやって「生きられなさ」それ自体を生きていたのであり、その「混沌=悲劇=非日常性」から生まれてくる「娯楽=ときめき」すなわち「祭りの賑わい」に引き寄せられてさらに人が集まってきた。その「混沌=悲劇=非日常性」を生きることによって、戦後復興のダイナミズムが生まれてきた。
東日本大震災に遭った人々やチェルノブイリの人々が地元に帰ってこようとすることだって、人は「生きられなさ」という「混沌=悲劇」に引き寄せられてゆく存在だからだろう。
故郷が「安定と秩序」の場所なら、帰ろうとは思わない。故郷の「悲劇性」こそが、その帰心を深く止みがたいものにしている。彼らは、そこが「生きられない場所」であることを承知で帰ってくる。その「生きられなさ」に引き寄せられてしまう。「もう死んでもいい」と思える場所こそ人にとっての「終(つい)の棲家」であり、そこでこそ心は華やぎときめいてゆく。
人の集団は、根源において、生きられなさの「混沌」の中でときめき合い生かし合うことの上に成り立っている。そうやって人類史における「都市」という集団が生まれ育ってきた。


集団からはぐれ出てゆく心を持っているものこそが、もっとも豊かにときめき合う関係や連携し合う関係をつくることができる。まあ、そうやって人類は拡散してゆくにつれて豊かな集団性を獲得していったわけで、たとえば5万年前の、人類発祥の地にとどまる歴史を歩んできたアフリカのホモ・サピエンスと拡散の果ての地である北ヨーロッパで暮らしていたネアンデルタール人とどちらが豊かな集団性を持っていたかといえば、「集団からはぐれ出てゆく」歴史を歩んできた後者の方に決まっている。
集団的置換説の論者たちがいうように、そのころのアフリカのホモ・サピエンス北ヨーロッパネアンデルタール人よりも集団性が発達していたのなら、現在のアフリカで国家の建設が遅々として進まないということなど起きるはずがない。悲しいかなアフリカの黒人社会は、ヨーロッパ社会よりも集団性においてはるかに遅れている。彼らは、集団性よりもミーイズムで歴史を歩んできたのであり、そのミーイズムが「部族」という幻想の集団を生み出したわけだが、それゆえにこそ彼らは、ついに都市や国家を持つことができなかった。彼らにとっての「部族」は、それぞれが家族的小集団で暮らしてゆくためのひとつのネットワークの機能を果たしていた。彼らは、家族的小集団からはぐれてゆくということはついにしなかった。
それに対してネアンデルタール人の洞窟集団はたえず離合集散が起きており、集団からはぐれてゆくその生態は、そのまま新しい集団を生み出してゆく生態でもあった。
たとえば、毎年ある時期になると必ず大型草食獣の大群がそこを通過するという絶好の狩場があったとする。で、その時期になると、どこからともなく人が集まってきて大集団で狩りをするということをしていたはずだ。彼らにとってそれは、ひとつの「祭り」だった。
大型草食獣の狩りは、鉄砲を持たない原始人がひとりでできることではなかった。だが集団ですれば、群れごと窪地に追い込んだりして、一度にたくさん捕獲することができた。そういうネアンデルタール人に関する考古学の証拠がある。
ネアンデルタール人の集団性は、同じ洞窟の住民というだけで完結しているものではなかった。したがって、集団どうしのネットワークがあったのでもない。その狩りにおける集団プレイは、あくまでそのときその場に「どこからともなく人が集まってくる」という一回きりの「祭り」だった。つまり、これが「都市の起源」としての集団性だったのだ。
集団の離合集散を繰り返していたネアンデルタール人には「集団のアイデンティティ」などという意識はなかった。だからこそ、そのときその場のなりゆきで、たとえ見知らぬものどうしでも他愛なくときめき合いながら新しい集団になってゆくことができた。というわけで現在のユーロ連合も、まあそのような伝統なのだろう。彼らは、孤立性と集団性の両方を併せ持っている。人類の都市は、そういう二律背反を抱えながら生成している。
ネアンデルタール人が暮らしていた極寒の地では、人と人が寄り集まっていないと生きられなかったが、だからこそ既成の集団にこだわってはいられなかった。集団が大きくなりすぎれば出てゆくものが生まれてくるし、小さくなってゆけば他の集団と合流してゆくこともいとわなかった。彼らには、集団どうしのネットワークによってみずからの集団のアイデンティティを守るという「部族意識」などはなかった。


ヨーロッパに「部族意識」の伝統があったのなら、古代ギリシャ都市国家群だって、戦争ばかりしないでひとつの大きな国家になっていった。
彼らの「市民意識」は、奴隷制度の上に成り立っていた。日常生活の労働は奴隷にやらせていた。それらの都市国家群が命のやりとりである戦争ばかりしていたということは、生き延びること=日常生活に対する執着があまりなかったということを意味する。つまり、国家が滅んでもかまわなかったのだ。国家の「秩序と安定」のために国家どうしのネットワークをつくるという意識はなかった。「国家」は「都市」であり、「混沌」であるべきだった。彼らは「国民」ではなく「市民」だった。良くも悪くも、国家という集団全体に対する愛着はなかった。彼らはもう、ひたすら市民どうしの「祭りの賑わい」を追求していたのであって、国家という集団に対する忠誠心などなく、その集団が奴隷と市民という二重構造になっていることに平気だった。忠誠心などというものは奴隷に持たせておけばよかった。人は集団に対する愛着と鬱陶しさの両方を持っている。その鬱陶しさから自由であるためには奴隷が必要だった。ギリシャ人は、今でも国家という集団の安定と秩序に対する義務=アイデンティティの意識(=忠誠心)は薄く、あくまで「市民」であろうとする。だから、ユーロというネットワークから脱落してしまう。
ギリシャ人だけでなく、ヨーロッパ人の「市民意識」は「孤独」の深さとともにある。その「孤独」を基礎にして彼らの豊かな集団性が成り立っており、その「孤独」とともにいまだに集団の離合集散を繰り返す歴史を歩んでいる。
ヨーロッパ人の集団性は、他者と「同一化」してゆくのではなく、ひとりひとりの孤独(=孤立性)の上にダイナミックな「連携」をつくってゆくことにある。まあ古代ギリシャの軍隊は、それによって「同一化」がコンセプトのメソポタミアやエジプトのそれを凌駕していった。
おそらくそれは、ネアンデルタール人以来の伝統だ。生き延びることが困難な環境を生きていれば、誰だって死を意識して孤独になってゆくし、その孤独を基礎にして世界やや他者にときめいてゆく。また人は、生きられないものを生きさせようとする衝動を持っている。誰もが「生きられなさ」という「孤立性」を漂わせ、誰もがそのセックスアピールにときめいていった。
人間的な「連携」とは、孤独なものどうしが他者を生かし他者から生かされる関係になってゆく集団性のことであって、同一化してゆくことではない。ネアンデルタール人は、そういう「連携」によって、大型草食獣の群れを窪地に追い込んで一網打尽にする狩りをしていた。


死んでゆくものは、みんな孤独だ。いわゆる「群衆(集団)の中の孤独」は、ネアンデルタール人によって見い出されていった。それは、集団からはぐれ出てきたものたちがつくっている集団だった。彼らの集団性は、集団に対する忠誠心ではなく、人と人の豊かな「連携」の上に成り立っていた。
ネアンデルタール人の末裔である古代ギリシャ人には、エジプト・メソポタミアのような「神に対する忠誠心」は希薄で、だから多神教になっていったのだろうが、今でもヨーロッパ人は、ユダヤ教徒イスラム教徒の「神の規範」に対する過剰な忠誠心に対して違和感と不信感を抱いている。
人類史の「神」という概念はエジプト・メソポタミアで生まれ、ギリシャはそれを展開して解釈しながら、多神教を生み出していったのだろう。
一般的には多神教が最初でそのあとに一神教が生まれてきたといわれているが、そうではない。古代ギリシャ多神教よりも、ユダヤメソポタミア一神教のほうが先にあったのだ。アラブ世界にはもともと部族ごとにたくさんの一神教があって、それをまとめてイスラム教が生まれてきた。
ギリシャ人にとってのそうした多数の神々は、この世の森羅万象を体現する存在としての「憧れ」の対象であり、人間を「規範=戒律」によって縛る存在ではなかった。よくいわれているように。彼らはひたすら「人間とは何か」ということを追求していった。
ユダヤ教であれイスラム教であれ、「人間とは何か」ということよりも、「人間はいかにあるべきか」ということを説いている。
人類史における「神」という概念は、この生の「規範」として生まれ、それによって「都市」が「都市国家」になっていった。
都市は、「規範」が希薄な場所であるがゆえに、「規範」に縛られやすいというか、都市住民は「規範」に対してナイーブなところがある。そうやってさまざまな都市的な病理が生まれてくるし、だからこそ人と人の関係を淡いものにしておこうともする作法を持っている。人と人が「規範」で縛り合う関係になったら、こんなにもたくさん人がいる都市では暮らせない。
すでに「規範」が機能している田舎の人の方が、「規範」に対してしたたかなところがある。
戦後の東京は、そういう「規範」に対してしたたかな人がたくさん流入して中心的存在になっていったことによって活性化したと同時に、住みにくくもなった。
現代社会は「お金(貨幣)」という「神=規範」に支配されたものになってしまっており、それによって活性化し「安定と秩序」をもたらしてもいるのだろうが、それによって心が停滞し病んでいったりもしている。
「神=規範」は、人と人を監視し合い縛り合う関係にしてしまう。それによって共同体が成り立っているし、そういう暑苦しい関係だけではとうぜん人は生きられない。この問題の構造は、なんともややこしくやっかいだ。
人は根源において孤立した存在であるからこそ、限度を超えて大きく混沌とした集団を生み出してしまう。孤立した存在であることが担保されていなければ、限度を超えて大きく混沌とした集団は成り立たない。まあ文明の発祥とともに、国家という共同体の中に「家族」という閉じられた小集団が挿入されていったわけだが、その「家族」でさえ、ひとりひとりの孤立性が担保されていなければ成り立たない。そうやって今どきの子供たちは、自分の部屋に引きこもる。


戦後の日本列島は、高度経済成長と引き換えに、水のように淡い人と人の関係を失っていった。都市では、その関係が機能していないと鬱陶しいし、さらには人が怖くなり引きこもりになってしまう。もともと人類はその問題を克服してゆくかたちで二本の足で立ち上がったわけで、都市の問題は、直立二足歩行の起源の問題でもある。都市の雑踏の中に出てゆくということは、二本の足で立って歩いてゆく、という問題でもある。
人に対して無防備にならないと、雑踏の中に出てゆくことはできない。自分の心の「安定と秩序」を欲しがりながら人を警戒し緊張してばかりいたら、都市では暮らせない。警戒し緊張しているからからこそ、なれなれしく密着した関係になりたがる。しかしそんな暑苦しい関係を欲しがっていたら都市では生きられないし、人から嫌われるだけだ。そんな関係を欲しがって、人に甘えたり人を支配しにかかったりする。そうして鬱陶しがられれる。そんな関係を欲しがっているかぎり、あなたはあなたがうぬぼれるほどには人に好かれていない。
「祭りの賑わい」は、その場かぎりのものだ。そうやって「出会い」と「別れ」を繰り返してゆくのが都市の暮らしであり、「いつ別れてもいい」と思い定めてその場かぎりの即興性を生きようとするのが都市での人と人の関係の流儀だ。
現在の日本人は、そういう水のような淡い関係を生きることができているだろうか?
家族をはじめとして人と人の関係が壊れているといっても、むやみに密着した関係になってしまっているから壊れているのではないだろうか。
キスしたくらいで自分の恋人だと思ってもらっては困る。いや、今どきはもう、セックスだってただのあいさつ代わりだという場合も多い。そんな暑苦しい思い込みはやめてくれ。
都市住民は、人に対して無防備だからこそ、水のような淡い関係でないと耐えられない。水のような淡い関係でないと、無防備にはなれない。
「出会いのときめき」はその場かぎりものだし、つねにその場かぎりのものだと思い定めた淡い関係でないと、ときめくことはできない。
「いつ別れてもいい」とは、つまるところ「いつ死んでもいい」ということであり、心はそこから華やいでゆく。そうやって「無防備」になってゆくことによって、人の世に「祭りの賑わい=ときめき」が生まれている。
これは、憲法第九条の問題でもあるのだろうか。それによって「よりよい未来」を実現できるなんて幻想だ。未来のことなんかわからない、ということの上にそれが成り立っている。未来のことなんか忘れて「無防備」になりながら即興的な人と人の「関係=連携」の中に飛び込んでゆくことができるか、という問題なのではないだろうか。
憲法第九条によって国が守れるかといえば、守れるはずがないのだ。それでも日本人は、憲法第九条が好きだ。日本人はなぜそれが好きなのだろう、という問題がある。
国家の滅亡や人類滅亡を否定して怖がっていたら、憲法第九条なんか成り立たない。まあ、ネアンデルタール人はそんなことなど怖がっていなかったし、彼らがフリーセックスの社会をつくっていたからといって、人と人がなれなれしい関係になっていたわけではない。「今ここ」しかないという切実さとともに、未来の妙な約束などしなかった、未来に対する妙な幻想など持っていなかった、というだけのこと。それは、「今ここ」の即興的な「連携」だった。「もう死んでもいい」という勢いで生きていた人たちだったのだもの、人と人の別れは案の内であり、そういう淡い関係だったからこそフリーセックスが成り立ったのだ。
ときめき合わなければ、「連携」など生まれてこない。「祭りの賑わい」の歴史が人間的な「連携」の関係を進化発展させてきた。「祭りの賑わい」はその場かぎりのものであり、「連携」は、そのつど変化する即興的な関係だ。未来のことなんか、勘定に入っていない。