2016-01-01から1年間の記事一覧
1 といいつつ、全然関係ないことを書きます。 …… 人類が住みにくさがいやで逃げだすような存在であったのなら、「人類拡散」は起きていない。むしろ、住みやすさに倦んで拡散していったのだ。それは、より住みにくい土地より住みにくい土地へと移動し住み着…
1 誰だって、この世界には「魅力的な人」が存在する、ということに対する「負い目」や「遠い憧れ」を抱いている。 金を稼いで欲しいものを手に入れる能力を持つことだろうと、幸せな恋愛や結婚に満足することだろうと、知的であるために頑張って勉強すると…
1 ほんとに、「人間嫌い」になってしまいそうな世の中ではないか。 だから、そうなってしまうのがつらくて『この世界の片隅に』というような映画が流行るのだろう。 いやな世の中だけど、それでも魅力的な人がこの世のどこかに生きていてくれることは、われ…
最近『この世界の片隅に』というアニメ映画が評判になっているらしい。 戦時中に広島から呉に嫁に来た女性の日々の暮らしの話。 僕も観てきたが、泣けるというよりは、いろいろ考えさせられる映画だった。さりげないというか、つねに抑制された語り口で、「…
1 どんな世の中だろうと、生きてあることはなんだか居心地が悪い。 人の一生というのは、いったいなんなのだ、と思う。 戦時下に咲く恋や友情もあれば、平和な世の中の停滞した関係や憎しみ合いもある。幸せで長生きする人生が、苦しくはかない人生よりも充…
1 『ネアンデルタール人は私たちと交配した(スヴァンテ・ペーポ著・文芸春秋)』という本の感想をちょっと書いておこうと思います。 ネアンデルタール人のゲノム遺伝子の解読に成功した人の苦労話が書いてある本で、僕はべつに科学者でもなんでもないから…
1 人は、正義に淫して心を病んでゆく。 戦後の核家族においては、親が、マスコミから発信されてくる「ホームドラマ=家族賛歌」という正義に淫して、子供の心に覆い被さっていった。「家族賛歌」が「家族崩壊」の元凶にもなっている。家族なんか「仮の宿り…
1 ネアンデルタール人の社会は、フリーセックスの社会だった。 人間性の基礎はフリーセックスにある……といってしまっていいような気もする。人類の歴史は、そこからはじまった。 フリーセックスの文化は、新しいものに気づきときめいてゆく文化でもある。セ…
1 ネアンデルタール人の洞窟集団においては、毎晩のように新しいパートナーと抱き合ってセックスし、眠りに就いていた。そういう「フリーセックス」の集団だった。しかしフリーセックスといっても、乱交パーティのようなことをしていたのではない。氷河期の…
1 人類の起源が二本の足で立ち上がったことにあるとすれば、それは、集団がフリーセックスの関係になってゆく体験でもあった。そうして、そこに住み着いてゆくものたちはフリーセックスの関係をやめて結束してゆき、そこからはぐれ出て拡散していったものた…
1 われわれを生かしているのはこの世界の輝きにときめき感動する体験であって、自分が存在することの正当性や貴重であることの実感なんかではない。自分なんかしょうもない存在だし、生きてある権利や資格があるとも思えない。そんなことはたぶん、他人から…
1 べつにセックスが生きる上でのいちばん大事なことだというわけでもなかろうが、人間性の基礎は、フリーセックスの関係性の上に成り立っているのではないだろうか。 原初の人類の集団は、一年中発情しながらフリーセックスの関係になってゆくことによって…
1 「氷河期の北ヨーロッパのネアンデルタール人は体力だけでその苛酷な寒さに耐えていた」だなんて、集団的置換説の学者たちはどうしてそんな愚劣なことをいいたがるのだろう。イギリスのストリンガーをはじめ、世界的な権威といわれる学者たちがそういって…
文明人は、生きてあることというか、生きてある自分に執着して、自分=観念が生き延びる先の「天国」や「極楽浄土」や「生まれ変わり」といった概念を生み出してきた。それはまあ人類が、「万物の霊長」として、地球上の生態系の頂点に立ったからだろうか。…
大人になると「体ごと反応する」ということができなくなってくる。 「最近の歌は歌詞がよく聞き取れない」などと大人たちはいう。それは、歌詞の「意味」をとらえようとする意識ばかりが先行して、「音」そのものを聞こうとする態度があいまいになってしまっ…
1 承前 人類の歴史は、生き延びるため、すなわちこの生に意味や価値を見出しこの生に執着してゆくことによってつくられてきたのではない。人間性の本質は、そういう生き延びるためのシステムとしての政治・経済の問題にあるのではない。 現代社会においては…
1 承前 ピコ太郎は、世界中の子供や若者たちの圧倒的な支持を受けた。子供や若者は、今どきの平和で豊かな社会の大人たちが抱え込んでいるこの生やこの生活の「意味」や「価値」に執着した「ゆるーい幸せ」なんかに興味はない。 ピコ太郎は、「非生活者」で…
承前 「ピコ太郎」が世界中にネット配信しているお笑いパフォーマンス芸は、「この生の裂け目」を表現している。 なんだか知れないけど面白い……彼は、そうやって「この生の裂け目」を切り開いてみせてくれた。そうしてその向こうにこの生の外の「非日常」の…
1 70年前の敗戦後日本の復興のエネルギーになったのは、スポーツや芸能等の「娯楽」産業の盛り上がりにあった。そのころの日本人は、衣食住そっちのけで「娯楽」を欲しがった。まあ日本列島の歴史風土にはそういう「お祭り好き」の伝統があるし、人間なん…
人という生きものは、感動して泣く。 嬉しかろうとかなしかろうと、とにかく感極まって泣く。 男よりも女のほうがよく泣く。ときめくとか感動するという心の動きは、女のほうが豊かにそなえている。心が「非日常」の世界に超出してゆく能力、と言い換えても…
1 死んでゆくことは、未来を喪失することであり、「今ここ」に「消えてゆく」ことだ。人が死を意識して死に対する親密な感慨を持っている存在であるということは、そのような「喪失感」を抱きすくめながら「消えてゆく」心地を汲み上げてゆくことに快楽を覚…
1 人に対してであれ景色に対してであれ、この世界に「体ごと反応する」ということは、やっぱりあるわけですよ。 脳の「ブローカ野」という部分の名称で知られているブローカという学者は、「人は言葉を記憶しているのではない、言葉の運動を記憶しているの…
1 この国の古人類学の主流であるらしい「集団的置換説」においては、4〜3万年前のヨーロッパにアフリカ人(ホモ・サピエンス)の大集団がやってきて先住民であるネアンデルタール人の集団を呑みこんでしまっったということになっている。 しかしアフリカ…
「フラッシュモブ」という集団パフォーマンスがあることを、恥ずかしながら今日初めて知りました。 欧米で始まったらしく、今や世界中に広まりつつあるのだとか。それは街の広場などで催されることが多く、最初のひとりまたは少人数の歌や演奏や踊りがしだい…
1 日本人の自我意識の薄さということは、考えるに値する問題だと思う。 それが日本人の限界だとは思わない。 むしろ可能性ではないだろうか。 社会的に成功して自意識過剰のまま生きていられればそれがいちばんの幸せかといえば、きっとそうなのだろうが、…
生きてあることなんかうんざりなのに、それでも人は生きてしまう。 ろくでもない世の中だけど、それでも人と出会えばときめいてしまう。 何より自分自身がろくでもない存在で、だからこそ他者の存在が輝いて立ちあらわれる。 人の心は、「出会いのときめき」…
1 人は住みにくさを厭わず住み着いてゆくことができる存在だから、地球の隅々まで拡散してゆくことができた。 故郷の景色は懐かしい。故郷のほうが住みよかった。故郷から離れることによって、いっそう故郷の景色の懐かしさが胸にしみてくる。 まあ、故郷に…
1 小林秀雄はこういった。 「思想は実生活から生まれてきて、実生活と決別することによって思想になる」と。 そうだろうな、と思う。 人はこの生からはぐれている存在であり、それによって人間的な知性や感性が育ってくる。 知性や感性とは、この生からはぐ…
1 いっとくけど、ネアンデルタール人が氷河期の北ヨーロッパに住み着いていたということは、誰もが「生きられないこの世のもっとも弱いもの」として生きていたということなのですよ。世の多くの人類学者たちが合唱しているような、その頑健な身体能力だけで…
1 じつは、僕の親しい友人がガンになって、余命半年と宣告されている。あちこちに転移してしまってすでに手の施しようがないのだとか。 しかし彼は、少しもうろたえることなく、「仕方ないさ。見るべきものはすべて見た。もういいよ」という。 そのすがすが…