ひとりぼっちということ・ネアンデルタール人論229

この国の古人類学の主流であるらしい「集団的置換説」においては、4〜3万年前のヨーロッパにアフリカ人(ホモ・サピエンス)の大集団がやってきて先住民であるネアンデルタール人の集団を呑みこんでしまっったということになっている。
しかしアフリカ人が大きな集団を組織することが苦手な民族であることは、その後の歴史が証明しているところであり、彼らの集団は部族意識の同質性で結束し、大きな集団にはなりにくい。小さければ小さいほど、同質性がたしかに自覚できる。そうやって家族的小集団で暮らしながら、ミーイズムを強くしてきた。大集団になれないから、ヨーロッパ人による奴隷狩りに抵抗できなかった。そんな人たちが、4万年前にはヨーロッパ人を凌駕するほどの大きな集団を組織できる能力をそなえていたなんて、あるはずがない。
大きな集団を組織できる能力なら、ネアンデルタール人のほうがずっと豊かにそなえていた。彼らの集団は、つねに離合集散を繰り返していた。つまり、ひとりひとりの集団に対する帰属意識は薄かった。だからこそ、どんな大きな集団になっても耐えることができる。ひとりひとりの関係位が緩やかになって、見知らぬものが混じっていても気にならない。それに対してアフリカの「部族」の場合は、大きくなりすぎると集団に対する帰属意識を保てなくなるし、見知らぬものが混じっていることに耐えられない。彼らは、「部族」という幻想のネットワークを形成しながら、じっさいには家族的小集団で暮らす生態の歴史を歩んできた。
しかしネアンデルタール人の洞窟集団は、家族という単位で固まっていたら成り立たなかった。
「結束力」の上に成り立った集団は、大きくなれない。「同質性」や「結束力」を持たない緩やかな関係の集団のほうが大きくなれる。見知らぬものが混じっていることに耐えられるし、見知らぬものと関係を結んでゆく文化を持っている。そうやってネアンデルタール人の洞窟集団は、見知らぬ旅人の来訪を歓待していたし、集団から旅立ってゆくものを見送ることもできた。それはまあ、氷河期の北ヨーロッパという死と背中合わせの苛酷な環境の中で育ってきた文化であり、そこでは、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」が豊かに生成していた。ヨーロッパ人の「孤独」の伝統は、おそらくここからはじまっている。
ネアンデルタール人の社会には、アフリカの部族集団のような「同質性」や「結束力」はなかった。誰もが集団からはぐれて孤立しており、その孤立感とともに出会ったり別れたりしていた。人類の集団はまあ、そういう出会いと別れを果てしなく繰り返しながらしだいに大きくなっていったのだ。
人類の集団は、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」を体験しながら大きくなっていった。「同質性」や「結束力」をそのまま発展させていった結果であるのではない。その証拠に、人類で最初に「同質性」や「結束力」に目覚めていったアフリカ人が、いまだに大きな集団をいとなむことに四苦八苦しているではないか。
人類の集団は、「同質性」や「結束力」によってはけっして活性化しない。大きくなってくると、内乱という自家中毒を起こしてしまう。現在のアフリカ中央部では、かなしいかな、いまだにそんなことばかり繰り返している。

現在のこの国だって、「日本人の同質性を守ろう」とか「日本人としての誇りを共有して結束しよう」などというスローガンをむやみに振りかざしていても、おそらくろくなことにはならない。そうやってどんどんヒステリックになってゆくだけのこと、そして、「なんだかなあ」としらけてゆくものたちもさらにたくさん生まれてくる。
なぜなら日本人は、日本人であることを意識しないで歴史を歩んできたのだもの。四方を荒海に囲まれた孤島で暮らしていれば、どうしてもそうなってゆく。日本人であることのアイデンティティとか誇りなど、明治以降に付け焼刃で持たされたにすぎない。欧米の文化の洗礼を受けて、いやでも持つしかなかった、ともいえるのだが。
この国の伝統だって、じつはネアンデルタール人のように「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」の上に成り立った人と人の関係の文化を育ててきたのであって、日本人どうしの同質性を意識しながら結束してゆく歴史を歩んできたのではない。
日本人であることは、日本人だけの特異性であるのではない。ネアンデルタール人以来の人類普遍の「人間性の自然」の問題なのだ。
人間なんて、みんな「ひとりぼっち」なのだ。その想いを基礎にして人と出会ってときめいたり、別れをかなしんだりしている。
われわれ日本人は、「あの連中」が扇動するような「同質性で結束してゆく」というような歴史を歩んできたのではない。
「日本人であることの同質性」などといわれても、ピンとこない。「日本人であることの幸せ」なんか、意識したことがない。日本人であることにアイデンティティなど持っていないのが日本人であり、「日本人である」というそのことに実感がないともいえる。
日本人のアイデンティティは「故郷」にあり、しかも「ふるさとは遠きにありて思ふもの」なのだ。それはつまり、「アイデンティティ」という意識そのものがない、ということかもしれない。われわれの心は、この日本からも故郷からもはぐれながら、「ひとりぼっち」で途方に暮れている。まあ、だからネアンデルタール人のように他愛なく人にときめいてゆくことができるのだし、彼らが旅人を歓待していたようにわれわれもまたどんな外来文化もひとまず受け入れてしまう。東京では、世界中の外国料理が食べられる。そして、神道の祭りだけでなく仏教の祭りもキリスト教の祭りもぜんぶOKなのも、つまりは日本人であることにアイデンティティなど持っていないからだろう。

この生はいたたまれなく、なやましい。それが日本人のこの生に対する伝統的な意識であり、われわれは、「アイデンティティ」そのものに関心がない。
「日本人であることの幸せ」などというものはない。「日本人である」ことは、「日本人という意識がない」ということなのだ。
日本列島の民衆は、幕末明治になるまで、「日本人」ということを意識したことがなかった。そしてそれは、「自分」という意識が希薄だった、ということでもある。まあ、良くも悪くも、それが「島国」の民族性なのだろう。
異民族と陸続きで向き合っている大陸では、こうはいかない。中国人も朝鮮人も、遠い昔からずっと自分が中国人や朝鮮人であることを意識し続けて歴史を歩んできた。フランス人やイタリア人やドイツ人やロシア人だって同じこと、自分は「〜人」であるという意識は、異民族との関係の中で歴史を歩んできた人たちの意識なのだ。日本人がそういう意識になったのは、仮に日本列島の歴史を1万年とすれば、そのうちの幕末明治以降のたかだか150年のことにすぎない。まあ、権力者には1000年以上前からそんな意識があったかもしれないが、民衆にはなかったし、1000年といっても、1万年という歴史の流れで見れば。それほど遠い昔でもない。
日本列島には、同じ日本人として結束してゆくという歴史などなかった、といってもいい。そういう意識の伝統というものはない。
日本列島は、べつに同じ日本人だという「同質性」で「結束」してゆく歴史を歩んできたわけじゃない。今どきの右翼の人たちはすぐそういう扇動の仕方をしてくるが、そんな「ナショナリズム」の上に成り立った「同質性」の意識なら、韓国人や中国人やフランス人やドイツ人のほうがずっと豊かに持っているし、われわれがなぜそれを真似しないといけないのか。
「日本人」という意識なんか、戦争ばかりしてきた近代日本のたんなる迷妄にすぎない。

「同質性」で「結束」してしまった予定調和の集団は必ず自家中毒を起こす。これはもう人類普遍の歴史の法則であり、この国の太平洋戦争時のことだけでなく、現在のあちこちの民族紛争しかり、「同質性」で「結束」しようとすると、異質なものを排除しようとする衝動がエキセントリックに肥大化してしまう。
日本列島には日本人ばかり住んでいるのだから異民族が混じり合って暮らしている大陸の諸外国よりもずっと「同質性」が豊かではないかという意見もあるが、そんなことをいっても、われわれは「日本人」だと意識していないのだもの、たとえ同質であっても同質性など意識してない。意識して結束していったら自家中毒を起こしてしまうことを「あの戦争」で思い知らされたし、もともと意識しない歴史を歩んできた民族なのだ。
大陸の諸外国では、異民族どうしが同じ国民だという意識を共有している。同質ではないから、同質であろうとする。
しかし、同質性で結束してしまったら自家中毒を起こす。それをわれわれ日本人は「けがれ」と呼んできた。能では「鉄輪(かなわ)」をはじめとして女が嫉妬のあまり鬼になるという話があるし、江戸時代には四谷怪談もつくられた。「結束」を壊されたことに対する恨みつらみで心を病んでしまうということを日本人は骨身にしみて知っており、だからこそ、同質性で結束してゆくことを避ける人と人の関係の文化を育ててきた。それが、たとえば「もののあはれ」や「無常」という世界観だ。
日本人はもともと、同質性で結束してゆくことの自家中毒を骨身にしみて知っている民族なのだ。そんなことをしたら「鉄輪」や「四谷怪談」のようになってしまう。それはまあ自家中毒を起こしやすい民族だということでもあるわけだが、だからこそ「ものあはれ」や「無常」の世界観で、水のように淡い関係の文化を育ててきた。
大陸の諸外国の国民どうしは同質性が希薄だから「ナショナリズム」としてそれを欲しがるし、日本列島では、すでに同質だから、その関係から逃れようとする。そしてそれは無理に「異質」だと思うのではなく、「人それぞれだ」と思う関係の文化になっている。同質か異質かということではなく、水のように淡い関係になること、それが「人それぞれだ」とか「おたがいさまだ」という関係意識の文化になっていった。
同質か異質かという二項対立ではなく、誰もが「ひとりぼっち」の存在として他者と向き合うということ、それによって人と人の関係の「あや」は無限に広がってゆく。絶海の孤島である日本列島の歴史風土は、そうやって「同質性の自家中毒」を克服してきた。
われわれ日本人は、人と同質であるのでも異質であるのでもない。そんなことを意識しないでもすむ淡い関係の文化を育ててきた。つまりわれわれは、誰もが「ひとりぼっち」なのだ。人はひとりで生まれてきてひとりで死んでゆく……それが日本人の死生観の伝統になっている。そうやってわれわれの心は、この生からもこの社会からもはぐれて途方に暮れてしまっている。その「嘆き」を共有しながら他愛なくときめき合ってゆく。それはもう、この国の伝統という以前に、人類史の普遍なのだ。そうやって人類は二本の足で立ち上がったのだし、そうやって地球の隅々まで拡散していった。

人と人は、淡い関係になろうとする。淡い関係になることによって、もっとも豊かに他愛なくときめき合ってゆくことができる。われわれの心は、この生からもこの社会からもはぐれてしまっている。途方に暮れて、どんなふうに生きていったらいいかわからない。そうやってこの生の「今ここ」は、「不意の出来事」としてやってくる。驚きときめくこと、おそらくそこが、日本人のというか、人類普遍の生きてある場所ではないだろうか。人間なら誰だってそんな無意識を心の奥に抱えている。
人は「もう生きられない」という途方に暮れた思いを携えて旅に出る。まあ、一流の研究者が研究に没頭することだろうと、われわれが街の賑わいの中に出かけてゆくことだろうと、ようするにそういうことで、そこにこそ人としての生態の普遍性があり、そこには「不意の出来事」に対する驚きときめく体験が待っている。
この生は「不意の出来事」として体験される。「未来に対する計画性」とやらでこの生を予定調和の出来事にして生きてきた大人たちから順番にインポテンツや認知症になってゆくのだし、右翼であれ左翼であれ、「よりよい社会をつくるために」というスローガンを旗印にしてむやみに政治的な発言をしたがるマスコミ知識人がのさばっている現在のこの国の状況が人の世の健全なかたちだともいえない。予定調和の幸せばかり欲しがって「今ここ」に体ごと「反応」してゆく「ときめき」を失っているその状況が、インポテンツや認知症発達障害やいじめやセクハラやDV等の現代社会の病理を増殖させているのだ。
この世に正しいことなど何もない。理想の社会などというものはない。世の中は、「こうするべきだ」という方向に動いてゆくのではなく、人々の「こうせずにいられない」ということの、その切実さの集積とともに動いてゆく。
世の中の動きだろうと人と人の関係だろうと、ほんらいは出たとこ勝負で体ごと「反応」してゆく、その「ときめき」の豊かさの上に成り立っているわけで、そこにこそ人としての自然がある。
人が生きて死んでゆくことは「官能」の問題であって、人や世の中を裁いていい気なっている「あの連中」の中途半端な知性や偏差値などうらやましくもなんともない。勝手にインポになってろ、勝手にボケ老人になってゆけ、と思うばかりだ。