2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」7

原初、ことばは、一対一の会話から生まれてきたのではない。 一対一の関係においては、「意味」だろうと「感慨」だろうと、言葉などなくても表情や身振り手振りでなんとか伝わる。一対一の関係は、成熟すればするほど、ことばは必要なくなる。 したがって、…

閑話休題・演歌の「もののあはれ」

「港が見える丘」という歌謡曲がある。 オリジナルは、終戦直後に美声の平野愛子が歌ったものだが、これをハスキーな声のちあきなおみもカバーしている。 どちらが魅力的かは、おおいに意見が分かれるところらしい。 平野愛子の高く澄んだ声のほうが今やむし…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」6

心はつねに何かのことを思っている。 心はつねに何かにまとわりつかれている。 「意識はつねに何かについての意識である」とは、現象学の定理のようになっているフレーズだが、ようするに、そうした生きものとしての根源的な心の動きから「もの」ということ…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」5

「もの」と「こと」ということばは、やまとことばの表現の「あや(ニュアンス)」を豊かにする機能として生まれてきた。 その語原において、「もの」という対象があったのではない、「こと」という対象があったのでもない。 「もの」という音声がこぼれ出る…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」4

論文を書くときは先行研究をちゃんと調べなければならない、とよくいわれるが、僕は、そういうことが苦手なのだ。 先行研究をちゃんと調べ、その上に結論を導き出すというのが、論文の書き方のセオリーらしいが、そういう弁証法的思考というのか、とにかく苦…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」3

(承前) 「もの」と「こと」は、語り合うことのニュアンス(あや)を豊かにするための機能として生まれ育ってきたのであって、荒木博之氏がいう「恒常不変の原理」とかいうような何か観念的な「意味」をイメージして生まれてきたのではない。 そして、昔の…

祝福論(やまとことばの語原)・「「もの」と「こと」2

はじめに、世界に反応する心の動きがある。 心が動きはじめるのが、この生のはじまりだ。 心は、この生=身体に対するいたたまれなさとして発生する。つまり意識の根源には、この生=身体に対する拒否反応がはたらいている。 世界に気づくという意識のはたら…

閑話休題・武道の心得

内田樹先生が、武道家の心得を次のように解説しておられる。 ______________________________ 私たちが興味をもつのは「身体が求めていること」であり、それだけである。当然ながら、その方が「いのちがけ」だからである。 私…

祝福論(やまとことばの語原)・「もの」と「こと」

古代人は、ことばのことを「ことのは」といった。 「こと」は、「出現」の語義。「コトン」「コトリ」と「こぼれ出る」こと。「こぼれ出て現われる」こと。 「こ」は「、「漉(こ)す」「凝(こ)る」の「こ」。「紙を漉す」とか「肩が凝る」というようなこ…

祝福論(やまとことばの語原)・「かわいい」64・語原と感慨

心が「自分」にまとわりついてしまうのはしんどいことだ。 自分などさっぱり忘れて世界や他者にときめいてゆく意識こそ、「生きられる意識」であるにちがいない。 世間では、私は幸せだとか、自分もまんざらではないと悦にいっている意識こそ「生きられる意…

祝福論(やまとことばの語原)・閑話休題・面従腹背

内田樹先生が、普天間基地返還問題で、沖縄の人々にものすごく失礼なことを書いておられる。 この国の歴代の政治家は、わざとアメリカに追随しながら沖縄を蹂躙させることによってアメリカの横暴を露呈させ、そうやって敗戦の恨みを晴らしつつ国民の結束をは…

祝福論(やまとことばの語原)・「かわいい」63・感慨と意味

はじめに心ありき。 はじめに、思わず言葉(=音声)を発してしまうような心の動きがあり、そのあと言葉(音声)によってその心の動きに気づかされる。 意味は、言葉(音声)のあとに生まれてくる。 原初の人類は、意味を意識して言葉(音声)を発したのでは…

祝福論(やまとことばの語原)・「かわいい」62・ことばと儀礼

内田樹先生が「家族の本質は儀礼にある」といい「そこでの愛や共感はおまけみたいなものである」というとき、「儀礼」さえしっかりとりおこなっていれば「愛や共感」は自然についてくる、といいたいのだろう。 これは、ことばの問題でもある。儀礼=ことば、…

祝福論(やまとことばの語原)・「かわいい」61・美意識

(承前) 生花と造花。 内田樹先生によれば、人が生花のほうを美しいと感じるのはそれが死ぬ(滅びる)ものだからであり、造花は死なない、ということらしい。 しかしそんなことをいっても、造花だって滅びるじゃないか。 あんなぺらぺらのものなんか、かん…

祝福論(やまとことばの語原)・「かわいい」60・美的生活

けっきょく同じじゃないかといわれそうなのだが、やっぱり違うのだ。 内田樹先生はこういう。 「人間は滅びる存在である。滅びることを思いながら生きることによって、現在の目の前のものがより大切でいとおしいものになる」、と。 生きることの価値は死ぬこ…

祝福論(やまとことばの語原)・「かわいい」59・恋している

町を歩いている中年過ぎの男や女の、人生に疲れたようなあのどんよりとした顔つきを見て、「ひどいもんだなあ」と思ったことはありませんか。 俺もあんな顔をしているのかと思うと、ぞっとする。 人前では、用心して誰だってそれなりに顔をつくる。しかし、…

祝福論(やまとことばの語原)・「かわいい」58・不安を生きる

すべてが存在するはずがないのに存在すると感じてしまうこのうっとうしさはなんなのか。 死ねば楽になれる……あなたは、そういう約束を深く納得できるか。 存在を信じるから生きられるのではない、存在しないということを深く納得できるから生きられるのだ。 …

祝福論(やまとことばの語原)・「かわいい」57・劇画「青い花」

鎌倉の女子高の同性愛のお話。 作者は、志村貴子。 「青い花」だなんて、シンプルすぎてあまりインパクトのないタイトルだ。しかしそのことばにこめられた作者のこだわりにこそ、おそらく新しさと時代性がある。 女子高の同性愛など、取り立てて新しいモチー…

祝福論(やまとことばの語原)・「かわいい」56・表現の心

(承前) 人は、どうして苦しみに憑依してしまうのだろう。それが、人を生かしもするし、死を選択する契機にもなる。生きるということは、危ない綱渡りで、ギャンブルみたいなものだ……。 つまり、生きてあることの嘆きが、人を生かしもし、生きられなくもさ…