祝福論(やまとことばの語原)・閑話休題・面従腹背

内田樹先生が、普天間基地返還問題で、沖縄の人々にものすごく失礼なことを書いておられる。
この国の歴代の政治家は、わざとアメリカに追随しながら沖縄を蹂躙させることによってアメリカの横暴を露呈させ、そうやって敗戦の恨みを晴らしつつ国民の結束をはかろうとしている…という面従腹背の手品みたいなレトリック。
いわく「従者の復讐」だってさ。
日本人は「辺境」の民だから、それでいいんだってさ。それが日本人のアイデンティティなんだってさ。
この国の政治家や民衆は円形闘技場キリスト教徒を引き出し素手でライオンと戦わせる古代ローマ人みたいなことをしている、といいつつ、じつはそういう本人がもっともその残忍なサディズムの持ち主であるというのぞきからくりに、僕はぞっとした。
この人は、そのような言い方をして、沖縄の人々の心も政治家の人格も日本列島の歴史の水脈も、おもちゃみたいにもてあそんでいる。
内田先生、そういう薄気味悪いサディズムはあなたの個人的なもので、われわれ日本列島の住民が共有しているものではない。
あなたも「日本辺境論」の作者であるのなら、もう少し日本列島の歴史の水脈を考えたらどうなのだ。
ユダヤ人は、まさにこの面従腹背の戦略でヨーロッパで生き延びてきた。彼らは、支配に対してつねに従順でありつつ、けっしてユダヤ教は手放さなかった。
そしてまさに、その戦略によって、その従順さと他者にけっして心を許さないその依怙地さによって、ナチスドイツから大虐殺されてしまった。
従順だけど、ちっともかわいげがないから、腹の底からドイツ人に嫌われてしまった。
内田先生は、日本列島の住民もそういう人種だという。
しかしわれわれは、縄文以来、異質な「他者」によって侵略され蹂躙されるというような歴史を歩んでこなかった。ディアスポラ(離散者)のユダヤ人と違って、海に囲まれたこの島国でそんな苦労も知らずにのほほんと生きてきたのだ。
われわれは、たとえ侵略者であろうと、自分なんか捨てて腹の底から好きになってなついてゆこうとする。「ギブ・ミー・チョコレート」といって、レーガンやブッシュになついていった中曽根総理や小泉総理のように。
面従腹背なんかできないのがこの国の伝統であり、だから外交交渉が下手なのだ。
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現在のこの国の政治家は、自前の軍隊を整備して朝鮮半島や中国と対峙することを怖がっている。
そんなことをしたら、必ず軍人がのさばってきて、シビリアンコントロールがきかなくなり、しまいには軍人の暴走を許してしまう、という戦前の状況の再現をおそれている。
それを防ぐためには、アメリカの軍隊にたよるという状況はどうしても必要だ。
四方を海に囲まれて国境線を持たない日本列島は、「他者」との緊張関係を生きるという文化がない。
一生恨みを抱えそれをアイデンティティにして生きてゆくという文化ではなく、恨みなんか忘れてしまう文化なのだ。
太平洋戦争による敵に対する恨みは、負けた日本よりも、じつは勝ったアメリカのほうがずっと濃く引きずっている。
この国は、他者とのあいだに緊張関係をつくらない文化を育ててきた。われわれは、「見つめ合う」ことによって他者との関係をつくってゆくのではなく、「深くお辞儀をして見つめない」ことによって緊張関係をつくるまいとしてきた。
われわれは、「他者」との緊張関係に耐えられない。
だから、他国との緊張関係はアメリカに肩代わりしてもらうのが最善だ、と思う。
緊張関係になったら、耐えられなくなって、すぐやっつけようとしてしまう。そうやって、日清戦争日韓併合が起きた。
だから、緊張関係にさらされると、避けがたく軍隊がのさばってくる。
われわれの国は、戦争によってしかその関係を解決するすべを持たない。
われわれの国の政治家は、緊張関係が生じないようにすることにかけては有能だが、緊張関係を生きるすべにおいては無能だ。
だから、緊張関係が生じれば、必ず軍部がのさばってくる。
そういう弱みを持っているから、政治家は、アメリカに強いことがいえないのだ。
気持ちの半分は、アメリカ軍にいて欲しいと思っている。
この国は、ヨーロッパの都市国家のように、他国との緊張を生きるという歴史を持っていない。緊張が生じれば、すぐ戦争をしてしまう国民なのだ。
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アメリカだって、この国の軍隊がその気になればいかに手ごわいかということはいやというほど思い知っているから、この国の軍隊と緊張関係を持ちたくない。できれば、眠らせておきたい。怖がっているから、強圧的になってくるのだ。
アメリカだって、太平洋戦争のトラウマを引きずっている。
日本人は、話が通じない。中国人のほうが、まだ通じる。日本がアジアのリーダーになって欲しいとは思っていない。
二酸化炭素排出20パーセント削減、などと子供みたいなことを言ってくる。こんなことをいう国に自前の軍隊など、危なっかしくて持たせられない。
中国のほうが、まだ交渉がしやすい。日本は、大人の交渉ができる相手ではない。
たぶんアメリカは、そう思っている。
やつらは、日本の政治家が自前の軍隊を持ってシビリアンコントロールできるなんてぜんぜん思っていないし、日本の政治家自身もまったく自信がない。
戦後は、終わっていない。沖縄の受難は、まだまだ続く。
沖縄の米軍兵の犯罪があとを断たないのは、軍の上層部が日本に敵意を持ち、日本を怖がっているから、自然にその気持ちが下まで伝染してしまうのだろう。
極東戦略などといいながら、アメリカにとってのいちばんの敵は、いまだに日本なのだ。
沖縄の受難は、まだまだ続く。
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日本人には、アメリカに面従腹背しながらアメリカを罠に陥れる、というような芸当はできない。ユダヤ人じゃあるまいし、そんなことができるのなら、太平洋戦争など起きなかった。
真っ正直に嫌うかなついてゆくかのどちらかなのだ。
だから、朝鮮併合に際しても、朝鮮人に日本人になることを要求した。緊張関係を保ちなが植民地支配してゆくというような芸当は、ようしない。
われわれは、小泉総理の無邪気なアメリカに対するなついてゆき方を支持した。自分たちが「面従腹背」ができるような国民でないことを、どこかで自覚している。小泉の面従腹背を支持したのではない。あの人は、そんな複雑な人間ではない。ブッシュと同じくらい単細胞だ。あのあっけらかんとしたなついてゆき方を支持したのだ。
この国の国民はうまく面従腹背ができないからこそ、面従腹背ができる人間はエリートとして出世できる。しかし、カリスマにはなれない。どこの国でもそうかもしれないが、この国はことにそうだ。
だから、徳川家康は人気がない。
われわれは、交渉はテクニックではなく心意気でするものだ、と思っている。
だから、織田信長坂本龍馬に人気がある。
そして、良くも悪くも小泉総理は、そういう態度を見せた。
われわれには、ユダヤ人や徳川家康のような面従腹背の天賦の才能はない。
内田先生のいうように、アメリカに追随しながらアメリカの自滅を待つ、という「従者の復讐」の策謀を小泉総理に感じたのではない。われわれは、そこまで頭がいいわけでも陰険でもない。
この世にそんな陰険な策謀をイメージできるのは、内田先生、あなたとユダヤ人と徳川家康くらいのものだ。
アメリカに追随するするなら心の底から追随しろ、と小泉総理はメッセージを送ってきたのだ。ブッシュとキャッチボールをしたり、プレスリーの歌を歌ったり、われわれはその態度にしてやられ、沖縄の受難をさらに泥沼化させ、現在の政治経済状況の混乱を招いている。
なんのかのといっても、われわれは面従腹背の陰険さを嫌い、あっけらかんとした心意気でなんとかなると思っているのんきな国民なのだ。そしてそういうナイーブな面を持っているから、面従腹背で生きていかなければならないこの時代の自殺率が高くなってしまったりもしている。内田先生のいうようなえげつない陰険さを共有できる国民なら、そんなことにはならない。
自分以外はみんなそんな陰険な人間だと思っていやがる。そうじゃない、そんな陰険な人間は、あなただけさ。誰も、あなたほどじゃない。そんないやらしい発想のレポートを書くのは、あなたくらいのものだ。
自分がそう思っているからみんなもそのはずだ、といいたいのだろうか。
日本列島の住民には、ユダヤ人のようなそんなしたたかさも執念深さもない。そんな歴史は歩んでこなかった。
中国に面従腹背してきたのは朝鮮半島であって、良くも悪くもわれわれはそんな苦労はしてこなかった。
われわれは、日本列島の住民であることの根源に、そんな恨みがましいメンタリティが居座っているとは思っていない。居座っていないところが、日本列島が「辺境」であるゆえんになっている。
近ごろは何かと面従腹背でないとやっていけない社会ではあるが、面従腹背で生きてゆこうとしているものたちが内田先生を支持し、そんなことはできないとうんざりしている人間もいないわけではない。