2010-01-01から1年間の記事一覧

とりあえず

大晦日ですね。 といっても、とりたたて書くべき感想もない。 ちょいと忙しい、かな。 「身体の輪郭」についてもう少し考えてみたいのだけれど、その余裕がない。 それでも何か書いておかねば、という強迫観念があるのは、大晦日だからだろうか。 われながら…

やまとことばと原始言語 37・「弧族」という出会いのときめき

2020年問題、というのがあるのだとか。 それは、団塊世代が後期高齢者になっていろいろ世間にやっかいをかけるときがくる。介護されようと孤独死しようと、そういうやっかいな老人が大量に生まれ、しかもこれからますます人々の心はすさんで地縁社会や家…

やまとことばと原始言語 36・才能って何?

若者は、その胸のどこかしらで「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いを抱えている。 これは、直立二足歩行をはじめる前夜の人類が、限度を超えて密集した群れの中で体ぶつけ合いながら抱いていた思いと同じだろう。ここにいたいし、ここにい…

やまとことばと原始言語 35・「非存在」としての身体の輪郭

他者の身体とぶつかり合うことは、「身体の輪郭」があいまいになるというか、「身体の輪郭」が侵食される体験である。 限度を超えて密集した群れの中に置かれている人間は、先験的にこのうっとうしさを負って存在している。原初の人類は、このうっとうしさか…

やまとことばと原始言語 34・はじめに「献身」があった

今僕が考えていることは、すべて「献身」ということばに収れんしてゆく。 もともとすぐ必要以上にこだわりを持ってしまう悪い癖がある。 しかし、べつに道徳のことを考えているのではない。 それが、人間だけではなく、すべての生き物が生きてあることの実存…

やまとことばと原始言語 33・東京暮色

クリスマス・イブ。 今夜の東京の町の風景は、どんなだろうか。 そして、この時代の風景は、われわれを癒してくれているだろうか。 癒されている人と、追いつめられている人がいる。 それはもう、いつだってそうだ。 誰だって、どこかしらで癒され、どこかし…

やまとことばと原始言語 32・正義なんかいらない

西洋人は神との関係を持っているから、あまり人に追いつめられることはないのだろうか。 けっこう平気で傷つけることをいい合う。傷ついても、神との関係に逃げ込めるのだろうか。 いいかえれば、人間関係がハードだからこそ、神が必要なのかもしれない。 西…

やまとことばと原始言語 31・「捧げる」ということ

われわれは、限度を超えて密集した群れの中に置かれている。それはとてもうっとうしいことだが、人間の習性なのだからしょうがない。人間は、誰もが他人に対する迷惑として存在しているのだ。群れてあることのうっとうしさを思えば、そのことを自覚するほか…

閑話休題・男の色気

市川海老蔵という人が、男として役者としての「色気」を持っている、という評価がいまいちよくわからない。 ほんとうに「色気」を持っているのなら、やくざみたいなあの連中だって彼に一目置いただろうし、そんなトラブルにもならなかっただろう。 「色気」…

やまとことばと原始言語 30・「指示待ち」だっていいさ

いちいち命令ばかりされていたら、誰だっていやだろう。 近ごろでは、「指示待ち族」とかいって、指示・命令されたがっている若い社員も多いらしいが、それが健康で本来的な人の心の動きだとは誰も思っていない。 人と人の「連携」という関係が希薄な社会だ…

やまとことばと原始言語 29・無意味なことば

たとえば、同じ中学か高校の、知らないどうしの少年と少女がいつも廊下ですれ違い、やがてどちらからともなく「おはよう」「こんにちわ」とあいさつするようになっていった、としよう。 あるとき、教室から出てきた少女と遭遇した少年は、 「ああ、きみはC…

やまとことばと原始言語 28・「幼児の幸福」2

<承前> あるブログで見つけた引用文の孫引きなのだが、 _________________ 子供のときには、もっぱら不快、不安、恐れとして、身体と感情でじかに反応するしかなかった事態は、大人になることで少しずつ理解され、克服され、懐柔されてい…

メモ・幼児の幸福

われわれの記憶の片隅にある「幼児期の幸福」とは、なんだろう。 乳幼児は、世界と自分との境界があいまいで、世界と自分が一体化している瞬間を体験することだろうか。 一般的には、そのように解釈されている。多くの哲学者や心理学者がそういっている。 そ…

やまとことばと原始言語 27・洗練と献身

僕は、テレビでフィギュアスケートの競技を見るのは嫌いではない。 もうずっと小塚選手に注目してきた。 先のオリンピックの時点でも、8位になった彼こそが世界でいちばん美しいスケーティングをする選手だった。 僕はすぐひいきの引き倒してしまうくせがあ…

やまとことばと原始言語 26・「ことだまのさきはふくに」

何はともあれ「衰弱」の時代なのだ。 「衰弱」の嘆きを共有してゆくことによって味わい深い連携が生まれてくる。 衰弱の嘆きを共有している者たちによっておしゃべりの花が咲く。ことばは「共有」の機能である。日本列島の古代では、これを、「ことだまのさ…

やまとことばと原始言語 25・やまとごころとしての連携

「みんなで貧乏しよう」というのが、江戸時代の農民の連携・結束のコンセプトだった。 良くも悪くもこれが、日本列島の伝統的な文化であり、すなわち「やまとごころ」である。 大陸の自己主張の文化に対する、日本列島的な「自分を消す」文化。 膨張・拡大に…

やまとことばと原始言語 24・「コレクティブ・ハウス」2

<承前> 一般的にいわれている「コレクティブ・ハウス」とは、キッチンやリビングルームが一ヶ所で共有されている独身者用集合住宅のこと。 そこでは、ひとりで静かに本を読むことのできる部屋を確保し合いながら、誰かに会いたくなったらリビングルームに…

やまとことばと原始言語 23・「コレクティブ・ハウス」

承前 生きてあることの「嘆き」を共有している集団において、もっともタフで緊密な連携が生まれる。その好例として、先のサッカーワールドカップで、あんなにもぼろぼろだった日本代表が突然すばらしいチームワークの集団としてよみがえったことが挙げられる…

やまとことばと原始言語 22・人間的な連携

「自分なんか生きていてもしょうがない」と思い悩む人がいて、それがリストカットや鬱病や自殺の契機になっていたりする。 そしてそんなときにわけ知り顔の大人が、「誰の命もかけがえのないものだ」という。 こういうおためごかしの低俗な物言いは、ほんと…

やまとことばと原始言語 21・ことばは「共有」する機能である

もっとも深く思考している人間とは、もっとも深く嘆いている人間である。 思考の深さは、知能指数の高さよって決定されるのではない。 天才なんて、俗物ばかりだ。 人は何によって生きてあるのか、と彼らに聞けば、 プラトンは、人間であることやこの社会の…

やまとことばと原始言語 20・生きてあることの切実さ

ことばは、世界を分節する機能ではない。この世界をアナログな類推関係として思考してゆくところから生まれてきた。 「あなた」と「わたし」を分節するためにそれらのことばが生まれてきたのではない。「あなた」と「わたし」が分節されてあることくらい、は…

やまとことばと原始言語 19・文節表現とアナログな類推思考

「言祝(ことほ)ぐ」=「寿(ことほ)ぐ」の「こと」は、「コトン」「コトリ」の「こと」、こぼれでること。「ほぐ」は「ほぐれる」の「ほぐ」、癒されること、心が自由になって浮き立つこと。「ことほぐ」とは、癒される心や浮き立つ心がこぼれ出ること。 …

やまとことばと原始言語 18・人間は群れたがる生き物か

人と人の関係は、何か「共有」しているものがなければ成り立たない。 同じ国に住んでいるとか、同じ会社の社員であるとか、同じ男であるとか同じ女であるとか、同じ大人であるとか同じ若者だとか、同じ家族だとか、同じ趣味だとか、何か共有するものがあって…

進化論の問題をちょいと

<承前> 意識は、身体が生きたことの結果として発生する。したがって意識の根源においては、生きようとする意志とか衝動というようなものはない。 生きようとしていないのだから、「いかに生きるべきか」という問題もありえない。 人間は、生きるために生き…

閑話休題・「いかに生きるべきか」という問題の嘘

まあ社会的な地位とか経済力はともかく、人間であることの資質において、内田先生から「だからおまえはだめなんだ」といわれるようなスキは見せたくないという気持ちが正直いってどこかにあります。 身体能力のこととか、思考力とか想像力とか、そんなような…

やまとことばと原始言語 17・ネット社会の別れ

一年前、<ゆかの「やまとことば」>というブログを書かれている女性と、このページで何度かコメントを交換したことがあった。年齢も身分もわからない。ただ、やまとことばの教養の深く豊かな人だということしか知らない。 そのブログは、繊細な語り口で、し…

閑話休題・内田先生は女にもてるのか

内田樹先生は、「女は何を欲望するか?」という著書の中で、「この世の中の男と女の<性秩序>は絶好調に機能している」といっておられる。 だから、内田先生のその本も含めて、女性論とかそういう類の本があいも変らず次々に生産されているのだとか。 そう…

やまとことばと原始言語 16・「もがり」

<承前> 内田樹先生は、「人類の葬送儀礼は<死者との対話>としてはじまった。これが人間性の基礎である」といっておられる。 死者に、いかに生きるべきか、と問うんだってさ。 しかし死者は、すでに生きることをやめてしまった人たちだから、「いかに生き…

やまとことばと原始言語 15・「手向(たむ)け」

僕がこのページで山姥さんというやまとことばの専門家であるらしい人と出会ったのは、3、4年前、ネアンデルタールの問題ににからめながら「ことばの起源」について書いたのがきっかけだった。 山姥さんでも、ことばの起源については考えあぐねるところがあ…

やまとことばと原始言語 14・ネアンデルタールのおしゃべり

赤ん坊がお母さんの動きを真似する。お母さんが笑えば笑うし、手を叩けば手を叩く。これが「学ぶ」ということのもっとも根源的なかたちだと、まあ一般的にはいわれている。 そうかもしれない。 で、このことを内田樹先生は、こう説明してくれる。 _____…