2010-01-01から1年間の記事一覧

閑話休題・「学ぶ」こと

内田樹先生の「下流志向」によれば、現在の子供や若者たちは「自分らしさ」という幻想に取り付かれて「学ぶ」ことをしなくなったからニートやフリーターや派遣社員といった「下流」に押し込められなければならないのだそうな。お前らが下流なのはそれだけお…

「文化」とは、その集団によって共有されている生きるための作法、というようなことだろうか。 日本人の文化もあれば、人類という集団の文化もある。 4万年前の氷河期において、アフリカにはホモ・サピエンスといわれている人類が生息し、ヨーロッパにはネ…

「エクリチュール」という。意味は、「文体」の本質を表す批評の概念、といったところだろうか。 誰もが、それぞれの社会的階層にしたがってことばや言いまわしを選択している、ということらしい。知識人には知識人の「文体=エクリチュール」があり、庶民に…

1<セクシーな男の話> 去年の東京国際映画祭でグランプリをとった「ソフィアの夜明け」というブルガリアの映画が渋谷のイメージフォーラムで単館上映されているというので再見してきた。 主人公は、なげやりな暮らしをしながらも心の底ではけんめいに何か…

1<献身的であるということ> あるお金持ちのもとに、貧しいものがお金を借りに来た。お金持ちは、その懇願に満足そうにうなずき、お金を貸してやった。 これは、人類学的にいう「贈与」の態度には当たるだろうが、ここでいう「献身」とは別のものだ。 「献…

新聞・雑誌であれ、テレビ・ラジオであれ、現在のこの国におけるマスメディアの退廃は目を覆うばかりだ、と嘆いている人がたくさんいる。とくにこのネット社会は、ひとまずマスメディアと対抗する勢力になりつつあるから、そういうことをいう人がたくさんい…

ともあれことばは、人間的な連携の機能として生まれてきた。 しかし人間的な連携とは、「伝達」することではなく、「共有」してゆくことなのだ。 伝達することによって共有してゆくのではない。ことばによって「共有する」という基礎がつくられたことによっ…

1 「共存共貧」とは、生態学や生物学の用語らしい。 「生物多様性」という環境は、そこに生息するすべての生物が環境に対する十全な適合をもてないまま、おたがいやっとこさ生きているという状態のうえに実現されている。それを「共存共貧」という。「共存…

ことばは、ひとまず人間的な連携の道具であるといえるのかもしれない。 では、人間的な連携とは、意味を「伝達」し合うことか。 そうとはいえない。 愛し合う男女に、意味を伝達するためのことばなど不要だろう。 連携できないものどうしが連携してゆくため…

故障中

何か、パソコンが壊れてしまったみたいです。 コメントの受信も返信もアップできなくなっています。 ・・・・・・・・・ いや、なおったかもしれない。 ・・・・・・・・・・・・・ いやいや、やっぱりおかしい

やまとことばと原始言語 5・教育とは人間の連携をつくる場である

直立二足歩行の起源がみんないっせいに立ち上がったことにあるように、歴史は天才によってつくられてきたのではなく、みんなでつくってきたのだ。というか、人がつくったのではなく、時代=環境によってつくられてきただけなのだ。 「人間にはロールモデル(…

ずいぶん横道に逸れてしまったが、僕は、人類史における言語の発生からやまとことばの誕生までの過程を考えようとしていたのだった。 進化論について考えるときの僕の原則はこうだ。生き物は、環境に適合しようとしているのではなく、環境に対する不適合を生…

進化論について考えたこと 3

キリンの首は、なぜ長くなったのか。 長くなろうとしたのではない。長くはない「嘆き」を生きたからであり、長くなったのは、たんなる「結果」にすぎない。 遠くを見ようとして背伸びをする。背伸びをさせたのは、背が高くないことの嘆きであり、そのとき体…

進化論について考えたこと 2

誰もが、幸せになりたいとか、強くなりたいとか、賢くなりたいとか、まあそんなような欲望を持っているのだとか。この生は、欲望の実現として成り立っているのか。生きることは、生きようとする欲望の上に実現されているのか。 まあ、おおかたの進化論は、そ…

進化論について考えたこと

「恐竜はなぜ滅びたのか」という問題は、多くのひとが気になるところらしい。 隕石が地球に衝突して環境がおかしくなってしまったからだ、という説が、今のところいちばんよく知られている。 僕は、この説に、何かすごくうさんくさいものを感じる。 この説は…

閑話休題・生物多様性

別にとくべつ関心があることでもないのだけれど、「生物多様性」という言葉を耳に挟み、ちょっとこのことについて書いてみようと思った。 このことばは、どちらかというと、あまり好きではない。最近のエコロジーブームとともに、「生物の多様性を守る」とい…

やまとことばと原始言語 4・家族を守るために、だってさ

高橋源一郎という人は、ある酒場で、「おまえには国のために戦う気概がない」とからんできた見知らぬ酔っ払い客に対して「僕は家族を守るために命を投げ出す用意はあるが、国のために戦う趣味はない。そんな個人的な趣味をこっちに押し付けてくるな」と大見…

閑話休題・返信

「腐女子48」さんから、次のようなコメントをいただきました。 返信を書いていたら長くなりすぎてコメント欄に入りきらなくなったので、ここに載せることにさせていただきます。 _______________________________ 腐女子48…

やまとことばと原始言語 3・身体の輪郭

がんばって若作りをしていても、後姿を見ただけでその人の年齢がわかってしまう、ということがある。それは、顔や体型やファッションだけのことではない。なんとなくの気配というのがある。 不思議にわかってしまう。 では、若者の姿かたちと大人のそれとの…

やまとことばと原始言語 2 「いたたまれない」

ニートや引きこもりにしろ、鬱病にしろ統合失調症とやらにしろ、つまるところ「環境」の病なのだから、育てた親や社会にまったく責任がないとはいえない。 それらのことをすべて脳の疾患ということにして、親も含めて社会全体が自分たちの「教育」の責任を隠…

やまとことばと原始言語 1

「生き延びる」という言葉は嫌いだ。 われわれは生き延びるために生きているのか。明日も生きてあることのために「今ここ」を生きてあるのか。大切なのは明日も生きてあることであって、「今ここ」はそのための道具というか踏み台にすぎない、というわけです…

雑感・女のことはよくわからない

よくわからないのに書こうとするのは、僕が男だからです。 女ってどういう生きものだろう、とたいていの男が思っている。わかったようなことをいっても、どこかしらにそういう疑問というか戸惑いを抱えている。 自分の手に負える女だけを基準にして、女とは…

鬱の時代34・消えようとする衝動

生きものは「生きようとする衝動」で生きているのではなく、生きものを生きさせているのは「消えようとする衝動」なのだ……といっても、にわかには誰も聞いてくれそうもない。 僕はこのことを、自己満足のたんなる文学的哲学的なレトリックとして提出している…

鬱の時代33・消える身体

なんだか悲しい、と思う。 みじめだなあ、とも思う。 僕は今度自費出版したのだが、今日の内田樹先生のブログで、自費出版の本の程度の低さをからかい蔑(さげす)んでおられた。内田先生のところにはそういう本がたくさん送られてきて、どれもひとりよがり…

鬱の時代32・空間としての身体の輪郭

分裂病の人がどうしてこんなにも社会から追いつめられなければならないのだろう。彼らは、病気そのものよりも、社会の悪意や無知から追いつめられている。 西洋の精神医学は、分裂病(統合失調症)に対して、完全に敗北し行き詰まっている。 あげくに、先天…

鬱の時代31・無知であるということ

いまどき吉本隆明という人を持ち上げて喜んでいるなんて、ほんとにくだらないと思う。 おまえらの思考の薄っぺらなところが透けて見えるばかりだ。 僕はかつて、吉本さんを、神のようにも父のようにも慕っていた。でも今となってはもう、「一日でも長く生き…

鬱の時代30・悲憤慷慨

「服は切実に<服>なのである」と誰かがいっていた。 衣装について僕がいいたかったことも、こういうことなのだ。 吉本隆明さん、あなたにこのことの意味がわかりますか。 30年前ころ、吉本氏は「海燕」という文芸雑誌に「ファッション論」という批評文を…

鬱の時代29・へヴィメタルって何?

ロックの歴史は、黒人音楽のブルースからはじまっているといわれている。それがロックンロールやリズム&ブルースになり、やがてビートルズやローリングストーンズを経てハードロック、パンクロックと変遷してゆき、80年代には異様な風体をしてステージに…

鬱の時代28・旅の感慨としての「道(みち)」

奈良時代以前には、行き倒れになった旅人の死体を地元の村人が始末してやると、旅人の家族や連れから、その始末料や死体に触れた「けがれ」の慰謝料のようなものを請求できたらしい。 その時代の旅は、行き倒れが日常茶飯事であるくらい困難なものだった、と…

鬱の時代27・「そま道」というやまとことば

「生きられる意識」とは何か?。 これは、「鬱の時代」を生きるわれわれの大きなテーマです。 やつらは、こういう。「生きることには意義があり、人間は生きようとする衝動(本能)を持っているからだ」と。 そうだろうか。そのことが信じられなくなっている…