やまとことば論

「文化」とは、その集団によって共有されている生きるための作法、というようなことだろうか。 日本人の文化もあれば、人類という集団の文化もある。 4万年前の氷河期において、アフリカにはホモ・サピエンスといわれている人類が生息し、ヨーロッパにはネ…

「エクリチュール」という。意味は、「文体」の本質を表す批評の概念、といったところだろうか。 誰もが、それぞれの社会的階層にしたがってことばや言いまわしを選択している、ということらしい。知識人には知識人の「文体=エクリチュール」があり、庶民に…

1<セクシーな男の話> 去年の東京国際映画祭でグランプリをとった「ソフィアの夜明け」というブルガリアの映画が渋谷のイメージフォーラムで単館上映されているというので再見してきた。 主人公は、なげやりな暮らしをしながらも心の底ではけんめいに何か…

1<献身的であるということ> あるお金持ちのもとに、貧しいものがお金を借りに来た。お金持ちは、その懇願に満足そうにうなずき、お金を貸してやった。 これは、人類学的にいう「贈与」の態度には当たるだろうが、ここでいう「献身」とは別のものだ。 「献…

新聞・雑誌であれ、テレビ・ラジオであれ、現在のこの国におけるマスメディアの退廃は目を覆うばかりだ、と嘆いている人がたくさんいる。とくにこのネット社会は、ひとまずマスメディアと対抗する勢力になりつつあるから、そういうことをいう人がたくさんい…

ともあれことばは、人間的な連携の機能として生まれてきた。 しかし人間的な連携とは、「伝達」することではなく、「共有」してゆくことなのだ。 伝達することによって共有してゆくのではない。ことばによって「共有する」という基礎がつくられたことによっ…

1 「共存共貧」とは、生態学や生物学の用語らしい。 「生物多様性」という環境は、そこに生息するすべての生物が環境に対する十全な適合をもてないまま、おたがいやっとこさ生きているという状態のうえに実現されている。それを「共存共貧」という。「共存…

ことばは、ひとまず人間的な連携の道具であるといえるのかもしれない。 では、人間的な連携とは、意味を「伝達」し合うことか。 そうとはいえない。 愛し合う男女に、意味を伝達するためのことばなど不要だろう。 連携できないものどうしが連携してゆくため…

ずいぶん横道に逸れてしまったが、僕は、人類史における言語の発生からやまとことばの誕生までの過程を考えようとしていたのだった。 進化論について考えるときの僕の原則はこうだ。生き物は、環境に適合しようとしているのではなく、環境に対する不適合を生…

とりあえずテキストは、中西進氏の『ひらがなでよめばわかる日本語』(新潮文庫)です。 言葉は、共同体が存在しない時代に生まれた。それは、共同体など必要としない時代だった、ということです 言葉は、共同体を必要としない心の動きから生まれてきた。と…