「文化」とは、その集団によって共有されている生きるための作法、というようなことだろうか。
日本人の文化もあれば、人類という集団の文化もある。
4万年前の氷河期において、アフリカにはホモ・サピエンスといわれている人類が生息し、ヨーロッパにはネアンデルタールが生息していた。この両者は、圧倒的に知能の差があったというのが現代の人類学の常識で、すぐれていたほうのアフリカのホモ・サピエンスがヨーロッパに移住して現在のヨーロッパ人になり、ネアンデルタールは滅びた(あるいはホモ・サピエンスの集団に吸収された)、ということになっている。
しかし、ほんとうに両者にそんな知能の差があったという考古学的証拠など、ひとつもないのである。
また、そのころ、大量の移民を生み出さねばならないほどアフリカの人口が飽和状態になっていた、という証拠もない。むしろそのころアフリカは、人口が減少傾向にあった。
ナイル川流域から中近東にかけての地域の人口が大爆発してヨーロッパになだれ込んでいったという説もあるが、そのころそのあたりに住んでいたのは、みなネアンデルタールの形質を持った人々だったのである。
そのころ、ヨーロッパのネアンデルタールが徐々にホモ・サピエンスの「ミトコンドリア遺伝子」のキャリアに変っていった、という証拠があるだけである。
ミトコンドリア遺伝子は、母親からしか伝わらない。だから、もしネアンデルタールの男がホモ・サピエンスの女に子供を産ませたら、すべても子供が、必ずホモ・サピエンスミトコンドリア遺伝子のキャリアになってしまう。そしてネアンデルタールの集団では、そういう混血の子供ほど長生きするという状況がそのころにはあった。
だから、ホモ・サピエンスミトコンドリア遺伝子のキャリアであるネアンデルタールがどんどん増えていった。約2万年たったころにはもう、すべてのネアンデルタールホモ・サピエンスミトコンドリア遺伝子のキャリアになっていった。
つまり、人が旅していったのではなく、遺伝子が旅をしていったのだ。すべての集落がまわりの集落と婚姻関係を結ぶということをしていれば、人が旅をしなくても、遺伝子が勝手に旅をしてゆく。
そのころ、アフリカを出てヨーロッパに旅をしていったホモ・サピエンスなど、一人もいない。そのころ氷河期のためにアフリカの北にまで拡散していたネアンデルタールの集落が、たまたまホモ・サピエンスの遺伝子を拾ってしまい、またそのとき偶然に一時的な気候の温暖化が1万年ほど続いたものだから、そこから遺伝子だけが北の果てまで旅をしていったのだ。
アフリカのホモ・サピエンスは、遠いところに旅をしていゆこうというような習性は持っていなかった。ただ、家族的小集団で同じ地域をぐるぐるまわるという移動生活をしていただけである。そして彼らは、ほかの部族と婚姻関係を結ぶということもしたがらない習性があった。だから今でもアフリカには、たがいにことばの通じない無数の部族が残っている。
人がなぜ遠くに旅をしようとするのかといえば、定住することの「けがれ」が募ってくるからだ。定住民ほど、旅をしたがるのである。
それに対して、移動生活をしているものたちには定住することの「けがれ」の意識がないから、旅をしようとかほかの部族と血を交換しようとする衝動も起きてこない。
ひとまず北と南にはそういう文化の違いがあったわけで、そんなアフリカの人種がヨーロッパに移住して移動生活の習性を広めていったという痕跡など何もない。
4万年前以後のクロマニヨンもそれ以前のネアンデルタールも、同じようにアフリカとは対照的な、洞穴を中心とした定住生活をしていただけである。そうして遺跡も、ネアンデルタールの骨が埋まった地層の上からクロマニヨンの骨が発掘されているだけである。
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人類がヨーロッパの北に住み着いていったのが、約50万年前。その、北に住み着いて50万年かけてつくってきた身体的形質や文化、というものがあるだろう。それは、アフリカのサバンナで培われてきた身体的形質や文化とはまるで違うはずだ。
世の人類学者たちは、いたずらに知能の差ばかりいいたてて、そういう文化の差をまるで考えようとしていない。想像力が貧困なのだ。人間に対する愛や関心が薄っぺらなのだ。
約250万年前には、アフリカにしか人類は住み着いていなかった。
そのころ地球気候の変化とともに森が減少して、サバンナが広がってきた。
で、人類は、サバンナに住み着いていったものと、森伝いに拡散しながらついにはアフリカの外まで拡散していったものとに別れていった。
森の中で暮らしていれば、直射日光が弱いから、そう肌の色も濃くならない。そういうもともと余り肌の色が濃くない人類が、そこから200万年かけてヨーロッパの北の地まで拡散していったのであり、その基礎の上に、現在のヨーロッパ人の白い肌や金髪や青い目がつくられてきたのだ。
アフリカのサバンナの暮らしでつくられた黒い肌やちりちりの髪が、たった1万年か2万年で白い肌や金髪になるのか。4万年前のアフリカのホモ・サピエンスがヨーロッパに乗り込んでいって現在のヨーロッパ人であるクロマニヨンの白い肌や金髪になったというのなら、その科学的証拠を見せていただきたいものだ。
人類学的には、20万年くらい前からのヨーロッパの人類をネアンデルタールと呼び、それ以前の人類はひとまずホモ・エレクトスなどと呼ばれていたりするが、同じ連続した人類種なのだから、クロマニヨンも含めてまとめて「ネアンデルタール」と呼んでしまっても、なんの不都合もないはずだ。
ネアンデルタールとその祖先たちが、ヨーロッパの北の地で、何度も氷河期をくぐり抜けて50万年間を生きてきたことに対する敬意や関心が、現在の研究者たちはあまりにもなさすぎる。その50万年間に生まれ育ってきた文化というものがあるだろう。それは、もともと南方種であったはずの人類が、はじめて挑んだ文化的・生物学的実験であり冒険だったのだ。
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生き物は、共存共貧でぎりぎりの命を生きている。
それはたんなるシステムの作用であるが、人間は、直立二足歩行をはじめることによって、このことを意識化していった。
人間は、あえてぎりぎりの命を生きようとする。困難を生きようとする。そうやって限度を超えて密集した群れの中に身を置き、さらには住みにくいところ住みにくいところへと地球の隅々まで拡散していった。
50万年前の氷河期の北ヨーロッパは、南方種である人類にとってもっとも過酷な地域だった。
身体や文化のレベルがそのようなところにも適合できるようになった、という言い方は正確ではない。そこまで過酷なところでないと、不適合の嘆きを生きることができなかった、ということだ。
人間は、不適合の嘆きを生きようとする。そのいたたまれなさにせかされて、身体も心もダイナミックにはたらくようになる。つまり、極北の地の人類こそ、もっとも行動範囲が広く、好奇心も強かった、ということだ。
そして、寒ければ寒いほど、人がたくさん寄り集まって暮らそうとする。その密集状態のうっとうしさを消してゆくカタルシスとして、ことばがより洗練されてきた。
原始言語のレベルから一段進んだ文節を持ったことばは、ネアンデルタール(あるいはその祖先)の、そういう生息状況・文化状況から生まれてきたにちがいない。すなわち遺伝子だけのことではなく、文化においても、われわれはネアンデルタールの遺産を受け継いで現在を生きているのだ。
セックスのときだけでなく普段でも人と人が抱き合うという文化(習性)にしても、おそらくネアンデルタールによってはじめられたのだ。耐え難いほど寒ければ、とうぜんそういう習性も生まれてくるだろう。
こういうことをいうと、研究者たちは、いやそれは知能が発達した3万年前のクロマニヨン以降から始まったのであって、知能が遅れていたそれ以前のネアンデルタールから生まれてきたはずがない、と答える。
どうしてこんな卑しい発想をするのだろう。知能のことはともかく、ろくな防寒の手段を持たなかったより原始的な人々のほうがずっと、抱きしめ合いあたため合う必要があったに決まっているじゃないか。防寒の手段を持ってしまったら、もうそんな習性が生まれてくる契機は存在しないのだ。
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寒さから逃れようとして抱きしめあうと同時に、群れが密集してくれば、そのうっとうしさから逃れるために、より切実にたがいの身体のあいだの「空間=すきま」を共有しようとする態度にもなってくる。そして、共有することができれば、より深いカタルシスがもたらされる。そういう体験をしながら人類は、北へ北へと拡散し、より大きな群れになっていったのだ。
群れが密集し文化が発達してくれば、「伝達する」ことはそのぶん簡単になってくる。なぜなら感慨や情報の共有の密度が増して、いわなくてもわかるようになってくるからだ。
つまり、「伝達」という機能で原始言語が洗練されてきたということはありえないのだ。
彼らの群れには、「寒さに対する嘆き」という何より確かな共有するものがあった。意思の疎通ができない異民族と一緒に暮らしていたわけではないのである。言わなくてもわかり合える者どうしがたくさん寄り集まって暮らしていたのだ。
そういう状況になってはじめてことばは、洗練の段階を迎えた。
大勢が寄り集まって暮らしていることの第一義的なカタルシスは、食い物が調達できることのカタルシスではない。そんなことは二の次の問題だ。そんなことのためなら、大人の男どうしのコンパクトな集団をつくればよい。
大人も子供も男も女も、みんな一緒に暮らしていることのカタルシスは、みんなが同じ感慨を共有していることにある。そしてその感慨として、「寒さに対する嘆き」があった。その感慨を共有していることのカタルシスが彼らをしてその過酷な地に住み着かせたのであり、その感慨を共有していることのカタルシスとして、ことばという音声の交換が活発になってきたのだ。
同じ感慨を共有していなければ群れは成り立たない。その共有していることのカタルシスで彼らは群れ集まっていった。何はともあれ、そのとき人類でもっとも大きな集団は、北ヨーロッパにあった。原始言語は、そこで洗練されていった。
あえていうなら、われわれの言語は、ネアンデルタールの遺産なのである。
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