集団的置換説、3万年前にヨーロッパのネアンデルタール人は滅んで、アフリカからやってきたホモ・サピエンスが住み着いていった……つい2,3年前まで、日本では誰もがこんなことばかり言っていた。
だから、現在の本屋に出回っている日本人が書いた「ネアンデルタール論」なんか、ほとんどがこの調子である。
しかしこのごろ、少しずつそれがあやしくなってきている。
もう、ネアンデルタール人は滅んだ、とはいえなくなってきている。ホモ・サピエンスと混血してホモ・サピエンスの群れに吸収されていった……だいたいこのような論調になってきている。
でも、まだだめだ。そのころアフリカからヨーロッパにやってきたホモ・サピエンスなどひとりもいない。その遺伝子が集落から集落へと手渡されてゆき、すべてのネアンデルタール人がその遺伝子のキャリアになっていっただけだ……と僕はいいたい。
つまり、ネアンデルタール人クロマニヨン人になっていっただけのこと。
「出アフリカ」……アフリカを出発した一団が人口爆発を起こして世界中に住み着いていった……集団的置換説の研究者たちは、こんなシナリオを大合唱している。
アフリカのホモ・サピエンスは知能がすぐれていたから、どこに行っても先住民よりも深く環境に適合していったのだとか。
まったく、何をバカなことを言っているのだろう。
その環境に適合する能力は、そこに長く住み着いてきた歴史によってもたらされるのであって、いきなりやってきたよそ者が先住民よりその能力を持っているということなどあるはずがないのだ。
もし人口爆発が起きるとすれば、それは、長く住み着いて生活環境が安定していったことの結果のことであり、これが歴史の真実だ。
18世紀にアメリカ大陸にやってきた大量のヨーロッパ人が近代文明の兵器によってインディアンを駆逐していったのと同じようなことが、数万年前の氷河期のユーラシア大陸のいたるところで起きていたんだってさ。よほど脳みそが薄っぺらでなければ、こんな途方もないシナリオは信じられない。
アフリカのホモ・サピエンスは、ほかの地域の先住民よりも圧倒的に知能がすぐれていて、地球のどこにでもすぐに住み着いてゆける能力を持っていたんだってさ。
くだらない。
アフリカのホモ・サピエンスは、アフリカに住み着く知能と文化を持っていただけさ。
そして北ヨーロパのネアンデルタール人は、同じころのアフリカの・ホモサピエンスよりははるかに北ヨーロッパに住み着くことのできる知能と文化を持っていたのだ。
そういう知能や文化はそこに住み着いた歴史から生まれてくるのだ。
アフリカのホモ・サピエンスだけ知能や文化が圧倒的に発達するということなどあり得ない。アフリカのホモ・サピエンスは、アフリカに住み着くこと以上の知能も文化も持っていなかった。そんなこと、あたりまえじゃないか。
したがって、アフリカのホモ・サピエンスがアフリカを出て世界中に拡散していった、ということもあり得ない。
氷河期のアフリカは、気候的に世界中でいちばん住みよいところだった。そんなところに住み着いてしまえば、もうほかのどんな地域に住み着くこともできない。そのころアフリカを出ていったホモ・サピエンスなどひとりもいない。
もしもほかの地域にも住み着く能力がある人たちがいたとすれば、そのころもっとも過酷な環境で暮らしていた北ヨーロッパネアンデルタール人だったはずだ。
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この国の集団的置換説は、主に東大閥の研究者たちによって先導されてきた。彼らは今、このことをなんというのだろう。おまえらみんなアホじゃないか、と僕は言う。文句があるなら、いつでも言ってきていただきたい。もちろん、匿名でかまわない。あなたたちの考えることがいかに薄っぺらかということを、いくらでもあげつらって差し上げる。
僕よりも深く遠くまでネアンデルタール人のことを考えているという自信があるのなら、どなたでも、どうか言ってきていただきたい。
悪いけど僕は、世界中のだれにも負けないつもりでこれを書いている。
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人が住み着くとは、どういうことか。
住み着けば、その環境に適合した言葉が生まれ、その言葉が共有され、人と人の関係がスムーズにいとなまれてゆくようになる。それが、文化だ。
同じ言葉が共有されていれば、たとえ初対面でも戸惑うことはない。その土地の言葉であいさつが交わされれば、一気に警戒心も緩む。
住み着くとは、人と人の関係が環境に適合したかたちでつくられてゆく、ということである。食糧生産とか、その他もろもろの経済的な問題は、そういう安定した人と人の関係によって解決されてゆく。
どこにおいても、その土地独自の人と人の関係の文化が定着している。その歴史こそが原始時代の住み着く能力になっているのであって、いきなりやってきたよそ者が先住民よりもその能力において凌駕しているということなどあるはずがない。
集団的置換説の研究者は、その住み着く能力のひとつとして、アフリカのホモ・サピエンスは言葉がもっとも発達していた、という。だったら、現在の世界中の言語のルーツはアフリカにある、ということを証明して見せてくれ。
現在のヨーロッパの言語には、アフリカの痕跡が残っているのか。
クロマニヨン人は、3万年前にアフリカからやってきて、アフリカの人と人の関係の流儀でヨーロッパに住み着いていったのか。言葉とは、人と人の関係の流儀である。そしてそれは、それぞれの地域で百万年単位で進化してきたのだ。
原始人の社会で、世界中に住み着くことのできるオールマイティな文化能力などというものはない。
そのころアフリカのホモ・サピエンスは、体質的にも気質的にも、世界中でいちばんよその土地に住み着く能力のない人々だったのである。そんな彼らが世界中に拡散していったということなど、あるはずがないじゃないか。
そのころから近代ヨーロッパ人による奴隷狩りが起きるまで、アフリカ人はずっとアフリカに閉じ込められてその歴史を歩んできたのだ。
人類が地球の隅々まで拡散していったことは、百万年単位でじわじわ進行していったことであって、たった数万年でひとつの地域の人種が人口爆発を起こして世界中を覆い尽くしてしまうということなどあるはずがないじゃないか。もしそんなことが起きたのなら、今ごろ、アジア人もアフリカ人もヨーロッパ人も、そうたいして違わない言葉を使っている。
そんな途方もない空想や妄想を平気な顔をして吹聴している研究者の脳みその薄っぺらなことはあきれるばかりだが、それに振り回されて他愛なく信じてしまった一般の人類学フリークだってどうかしている。
いまだに、2ちゃんねるなんかでは、3万年前のヨーロッパでアフリカのホモ・サピエンスネアンデルタール人が交雑していたという話題で盛り上がっているんだってさ。
原始時代は、そうかんたんには異種交配は起きない。原始人は、「あの山の向こうには何もない」と思って暮らしていたのだ。そしてアフリカのホモ・サピエンスはとくにそう思う傾向が強く、だから現在では、小さな国に言葉の違う何十もの部族が混在するという状況になっていたりする。
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そのころアフリカを出ていったアフリカの純粋ホモ・サピエンスなどひとりもいない。彼らは、アフリカを出て行きたがる人種ではなかったのだ。
5万年前、氷河期という環境のためにネアンデルタールの遺伝子がアフリカ北部まで拡散してゆき、その境界地域でアフリカから出ることのできなかった純粋ホモ・サピエンスの血が混じり、その混血の遺伝子が、いったん気候が緩んだ間隙を縫って北ヨーロッパまで一気に逆流伝播していっただけのこと。
とにかくヨーロッパでは、いつだってネアンデルタールどうしが交雑していただけなのだ。
原始時代に、そうかんたんに異種交配などということは起きない。それでも、すべての地域で隣り合った集落どうしが女を交換していれば、ある有利な特質持った遺伝子は世界中に伝播してゆく。
ホモ・サピエンスネオテニー幼形成熟)の遺伝子は、ゆっくり成長して長生きするという性質がある。そのために寒さの厳しい環境では乳幼児は生き残れなかったが、ネアンデルタールとの混血種ならなんとか生き残ることができた。生き残れば、長生きするから、いずれは混血種ばかりになってしまう。
ホモ・サピエンスのその長生きする遺伝子を世界中に広めたのは、じつはネアンデルタールだったのだ。そうしてその混血の遺伝子は、文明の発達とともに長生きできるという性質が特化してゆき、現在ではホモ・サピエンスの要素が圧倒的に濃くなっている。
寒い地域のネアンデルタールの赤ん坊は、早く成長しなければ生き残れない。
それに対して氷河期の赤道直下は、年間を通じて気温が20度から25度くらいのとても穏やかな気候だったといわれている。だから赤ん坊は、ゆっくり成長した。ゆっくり成長する虚弱体質の赤ん坊が生き残って長生きしてゆけば、いずれはそういう形質の個体ばかりになってしまう。こうして、アフリカのホモ・サピエンスネオテニーの形質が定着していった。しかしいったんその形質になってしまえば、極寒の地に移住して赤ん坊を育てることは不可能である。
早く成長するネアンデルタールとの混血によって、はじめてそれが可能になる。
ネアンデルタールの形質を濃く残している現在の西洋人(コーカソイド)は、ほかの地域の人種よりも早熟で老化も早い傾向を持っている。現在のヨーロッパの白人に、ネアンデルタールの痕跡を持っていない純粋ホモ・サピエンスなどひとりもいない。肌の色が白いということ自体が、ネアンデルタールの痕跡なのだ。
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置換説の研究者は、クロマニヨン人をアフリカのホモ・サピエンスだと決めつけている。そうしてそれ以前のヨーロッパの住民であるネアンデルタール人と比較し、ホモ・サピエンスの文化の方が進んでいたことの根拠として語っている。
そりゃあネアンデルタール人クロマニヨン人になっていったのだから、クロマニヨン人の文化の方が進んでいたに決まっている。
置換説の研究者はいう、ネアンデルタール人の社会に文化の進展などなく、したがってネアンデルタール人クロマニヨン人の連続性はない、と。
まったく、アホじゃないかと思う。文化の進展のない人間社会などないのだ。
ことにネアンデルタール人とその祖先たちは、そのころの地球上のどの人種よりも艱難辛苦の中を生きてきたのであれば、それで文化の進展がないはずがないじゃないか。僕はここまで、ネアンデルタールが現在の人類のさまざまな文化の発端を切り拓いてきたことを考えてきた。言葉にせよ、火の使用にせよ、埋葬することにせよ、大きな集団をつくることにせよ、すべてネアンデルタールとその祖先たちによって切り拓かれてきた文化なのだ。
置換説の研究者がこれまで挙げてきたネアンデルタール人クロマニヨン人の不連続性は、たとえば次のようなことだ。
1・ネアンデルタール人の石器は進化しなかったが、クロマニヨン人はひとつレベルが上の石器を使用していた。
2・クロマニヨン人は壁画を描いたが、ネアンデルタール人は描かなかった。
クロマニヨン人は楽器や首飾りなどを持っていたが、ネアンデルタール人は持っていなかった。
しかし今や、考古学の発見によって、すべて両者に連続性があることが確かめられている。
ネアンデルタールの文化こそが、クロマニヨンの文化の基礎になっている。そういう証拠が、続々発見されている。これからはさらに、両者に連続性があると考えないことにはつじつまが合わないような状況になってゆくことだろう。
まあ、『ネアンデルタール人とは誰か』のC・ストリンガーとか『ネアンデルタール人の正体』の赤澤威氏とか『人類がたどってきた道』の海部陽介氏とか、その他もろもろの置換説の研究者たちは、人間の文化というものに対する考え方が幼稚すぎるんだよね。
人間の文化の基礎は、人と人の関係にある。ヨーロッパのネアンデルタールは人と人の関係を濃密にしながら大きな集団を組織して定住していった。それに対してアフリカのホモ・サピエンスは、集団を解体して家族的小集団になり、移動生活をしながら人と人の関係が希薄な個人主義の文化をつくっていった。その対比は、そのまま現在の両地域の対比でもある。それが、ネアンデルタールの伝統であり、純粋ホモ・サピエンスの伝統なのだ。
アフリカにはアフリカの地域性があり、ヨーロッパにはヨーロッパ100万年の地域性がある。北ヨーロパのアングロ・サクソンゲルマン民族ケルト人にだって、気質的にも身体形質的にも、ネアンデルタールの祖先たちがその地に住み着いて以来の50万年の伝統があるのだ。
ヨーロッパの文化に、アフリカ文化と混じり合った痕跡はない。
3万年前にアフリカ人とヨーロッパ人が交雑したということなどあるものか。
どいつもこいつも、どうしてそんなくだらないことばかり合唱するのか。そんな話で盛り上がるのは、中学校の昼休みの教室だけにしておいてくれ。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
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