2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧

自滅の論理・ネアンデルタール人論58

1 ここでネアンデルタール人について考えることは、人類の文化の起源の契機について考えることであり、そこから人間性の普遍=自然を探りながら現代社会の問題を問い直してゆく試みでもあります。 現在の人類学の一般的な思考においては、ヨーロッパのネア…

文化の起源の契機・ネアンデルタール人論57

1 4〜3万年前の氷河期の北ヨーロッパにクロマニヨン人が出現したことによって人類の文化が本格的に花開いてきた、ともいわれている。 そのクロマニヨン人は、北ヨーロッパの先住民であるネアンデルタール人の末裔であるか、それともアフリカから移住して…

寒いね・ネアンデルタール人論56

1 ここでは、起源論に通じる根源の問題について考えようとしているわけで、言葉の起源と埋葬の起源が別の問題だとは考えていません。直立二足歩行の起源だって、そのパラダイムで問い直す必要がある。現在の人類学の世界で提出されている直立二足歩行の起源…

死と和解する・ネアンデルタール人論55

1 猿にも「子供だけの社会」はあるでしょう。しかし、人間の世界ほどはっきりしたジェネレーションギャップがあるわけではない。まあ彼らはすぐに大人になってゆくし、子供だからといっても生きられる身体能力の最低限はそなえている。 人間の子供は大人に…

子供だけの社会・ネアンデルタール人論54

1 たとえば、子供の知性や感性の成長発達において、親が早くに死んでしまうことと親が長生きする場合とどちらがより有効かと考えたとき、少なくとも後者のほうが有効だともいえない。これだって、ネアンデルタール人論の問題です。 ネアンデルタール人の親…

まだ見捨てられていない・ネアンデルタール人論53

1 人は必ず死ぬ。われわれは、生きてあることが許されていない命を生きてしまっている。原始時代だろうと現在だろうと、人は、根源的にはそのことのいたたまれなさを共有している。まあ俗っぽい言い方をすれば、人と人の関係の豊かな味わいはそこにおいてこ…

起源論と進化論・ネアンデルタール人論52

1 人が必ず死ぬということは、「生きてあることが許されない存在」だということです。それなのにわれわれは、すでに生きてしまっている。すでに生きて、すでに目の前の世界にときめいてしまっている。 人は死ぬことを自覚している存在であるということは、…

進化論としての文化の起源・ネアンデルタール人論51

1 集団的置換説の学者たちは、氷河期の北ヨーロッパに住み着いていたネアンデルタール人の思考や行動はアフリカのホモ・サピエンスに比べて愚鈍だった、という。 そんなはずがないじゃないですか。何を幼稚なことをいっているのだろう。 人は、寒ければいろ…