死と和解する・ネアンデルタール人論55

猿にも「子供だけの社会」はあるでしょう。しかし、人間の世界ほどはっきりしたジェネレーションギャップがあるわけではない。まあ彼らはすぐに大人になってゆくし、子供だからといっても生きられる身体能力の最低限はそなえている。
 人間の子供は大人になるまで時間がかかるし、ネアンデルタール人の社会においては、大人になるまで生きられる保証もなかった。
 人間の子供は、大人になるまでどんどん時間がかかるようになってきた。江戸時代以前は十数年で大人になれたが、今や二十年かかる。直立二足歩行の起源のころは、たったの数年のことだったはずです。
 人間の子供は、もともと大人になるまで生きられることを当てにはせず、目の前の「今ここ」に意識を集中させて生きている存在です。彼らの生きる作法は、生き延びようとする欲望とともに未来に対する計画性で生きている大人たちとは本質的に違う。
 人類学者たちは、人類の文化のイノベーション(進化発展)が未来に対する計画性の知能から生まれてきたと考えているらしいが、それは違う。そんなものは知能(知性や感性)でも何でもない。ただの死にたくないという強迫観念にすぎない。その強迫観念が知性や感性の停滞を招く。彼らは、この生が死というかたちに変化してゆくことを怖れ拒否している。変わるまいとしている。そうやって知性や感性が停滞している。
 それに対して子供は、変化を受け入れて生きている。体は日々成長変化し続けているし、心も、目の前の「今ここ」との出会いに驚きときめきながら変化してゆく。彼らの生は、変化とともにある。その驚きときめく心模様から文化のイノベーションが生まれてきた。


 人類の知能や体の進化発展の歴史は、子供がどんどん大人になるまで時間がかかるようになってゆくというかたちで起きてきた。生まれたばかりの子供がどんどん生きられない無能な存在になってゆくというかたちで起きてきた。その「無能性」が進化発展をもたらしてきた。人類史の進化発展は、子供が担ってきた。大人たちの死にたくないという強迫観念や未来に対する計画性という欲望によってではない。生きることに無能である子供の生は、「もう死んでもいい」というかたちで、つねに目の前の「今ここ」に驚きときめいている。その感動が、人類史の進化発展をもたらした。
 人は、大人になると、どんどん感動する心が薄れてゆく。その「死にたくない」という欲望が、心を停滞させる。感動するとはひとつの死の体験であり、「自分=この生」を忘れて感動する。人がその体験をするのは、「もう死んでもいい」という無意識の感慨を持っているからでしょう。子供は、そうやって死と和解している。死と和解しているから、感動することができる。
 死を自覚している人間という存在が、感動しなくてもいいというわけにはいかない。死と和解しなくてもいいというわけにはいかない。もうすぐ死んでゆく大人こそ死と和解しなくてはならないのに、ますます「自分=この生」に執着して死と和解できなくなってゆく。大人が死と和解して死んでゆくためには、死と和解していた子供時代の心模様の余韻が残っているあいだのほうがいいのかもしれない。
 人類の寿命が長くなってきたことは、ひとつの不幸であり悲劇であるのかもしれない。
 長く生きても、必ず死ぬ。ますます死ぬことが怖くなってゆきながら死んでゆかねばならない。まあ、死ぬまで「感動=ときめき」の心模様が残っていたほうがいいし、それが不可能だというわけでもないのでしょう。おそらく最後の最後には、誰にもその華やぎがやってくる。死んでゆくことは、生きることに無能になってゆくということであり、
その無能性こそが、「感動=ときめき」という華やぎをもたらす。
 その無能性にこそ、人間であることの尊厳がある。つまり、死者の尊厳ということ、死者の尊厳はその無能性にある。
 人は、死者の尊厳を思う。それは、無能であることの尊厳を思う、ということです。死者はもはや何もしない、何もできない。そのことの尊厳を思って人類は「埋葬」という行為をはじめた。人間性の自然・根源としての「死者を弔う」ということは、死者の無能性の尊厳を思う、ということにある。
そして赤ん坊や老人や病人や障害者にも、無能であることの尊厳がある。そこに尊厳を見出さなければ、人類史の介護という行為ははじまらなかったはずです。
 人は、無能であることの尊厳を思う。
 死を怖がりながら死者の尊厳を思っているなんて何か矛盾しているようだが、自分は死んでゆくことができない存在だからこそ、死んでゆくことができたことの尊厳を思うのでしょう。生き延びることではない。死んでゆくことができることこそ人間のもっとも切実な願いであるのかもしれない。
 まあ、生きることすなわち命のはたらきそれ自体が「死んでゆく」というはたらきであるともいえる。生きてあることを忘れてしまうことが生きてある心地です。息をすれば、息苦しいみずからの身体のことを忘れてしまう。飯を食えば、空腹の鬱陶しさを忘れてしまう。暑いとか寒いとか痛いとか苦しいとか、生きてあることは身体の苦痛として知らされ、それらの苦痛を忘れている状態においてわれわれは生きた心地を覚えている。
「生きる」とか「身体」とか「自分」とかということを忘れてゆくことが人の生きるいとなみであり、そこに「快楽」という体験の本質がある。それはまさに「死んでゆく」という体験でもある。


 人間以外の生き物は「生きる」とか「身体」とか「自分」というようなことはあまり意識しない。人間だけが強く意識している。そしてそれらを忘れてゆくときに「快楽」を体験する。言い換えれば、それらを忘れてゆくことができなければ生きられない、ということです。息苦しさや空腹や暑さ寒さを意識したまま生きることなんかできないし、人間ほどそういうことを強く意識する生き物もいない。
 人間にとって「身体」も「自分」も苦痛を意識する装置であり、「身体」や「自分」を忘れてゆくことが「身体」や「自分」のアイデンティティになっている。
「身体」や「自分」が消えてゆくことが、人間の生きた心地です。「身体」や「自分」や「生きてあること」や、何もかも忘れて夢中になってゆくことを「快楽」という。快楽とは、消えてゆくこと、すなわち死んでゆくこと。われわれの意識のはたらきは、そういう仕組みになっている。
 ネアンデルタール人の住み着いた場所は、地上でもっとも大きな苦痛を強いられる場所であったが、それらを忘れてゆけばもっとも深い快楽が体験される場所でもあった。人類は、より住みにくい地より住みにくい地へと拡散していったのであり、それによってより深い快楽を体験していったのです。それは、「死んでゆく」ことの快楽であり、生きることそれ自体が死んでゆくいとなみだった。そこにこそ、生きるいとなみの本質・自然があった。ネアンデルタール人は、人間性の本質・自然の究極を生きた人々だった。そのことを学ぶことができないで何が人類学か、と僕は思う。
 そしてネアンデルタール人の子供こそその本質・自然をもっともラディカルに生きている存在だった。
 子供とは生きられなさを生きる存在であり、そこでこそ人間性のもっとも深い快楽が体験されている。
 子供だけの社会にこそ人間性の本質・自然があるということは人類史の普遍であり、現代社会にだって引き継がれている。子供や若者は生きることに無能な存在であり、その無能性によってより深く豊かな快楽や人と人の関係を体験している。彼らは、大人よりももっと死者に近い存在なのです。人間性の尊厳は死者の尊厳であり、だから大人たちは「子供のころに戻りたい」とか「青春時代が懐かしい」などという。
 しかしそういいながら現代社会は、「子供だけの社会」を尊重することを忘れ、大人の論理を押し付けて教育しようとばかりしている。


 ネアンデルタール人の社会に子供だけの社会があったということは、その社会が尊重されていたということです。日本列島の歴史においても、つい最近まで「若衆宿」という若者=子供だけの社会が尊重されていた。村の若衆は勝手によその家に上がり込んで夜這いをしたり台所の飯を平気で盗み食いしたり、いろいろと傍若無人であったが、災害救助や祭りなどの死の危険がともなう行事にはつねに彼らが率先して当たっていた。彼らは、死者=神に近い存在だった。
 大人の社会と子供の社会が棲み分けながら共存してゆくことは、人類史の普遍的な伝統です。
 なのにいまどきは、内田樹とか上野千鶴子などをはじめとする俗物のオピニオンリーダーがのさばり、生き延びようとする欲望をたぎらせながら、やれ「市民社会」だの、やれ「命の尊厳」だの、やれ「大人こそが本物の人間であるから子供や若者は教育してやらないといけない」などと扇動しまくっている。はたしてそれが、健康な人間社会の姿だろうか。
 知識人だろうと庶民だろうと、今どきは、自分に執着し自分を見せびらかしたがる大人が多すぎる。そんな大人たちがのさばりすぎて、子供だけの社会がうまく機能していない。俗物の大人たちが自分たちを正当化しようとして、子供だけの社会をたえず圧殺しにかかっている。まあ、大人たちは、それほどに死と和解できなくなくなってきている、ということなのでしょう。それは、この生の自然としての「快楽」を知らない、ということでもある。
 生きることに有能な人間ほどというか、生きることに有能たらんとして人は、この生の自然としての快楽を失ってゆく。快楽とは、死と和解してゆく体験です。生きることに有能たらんとしているということは、死と和解してゆく心を喪失しているということであり、文明制度は人の心をそのように染めてしまう。現代人は、そういう「死にたくない」という強迫観念で生きることに有能になってゆく。そしてそれは、人間的な知性や感性の停滞でもある。


 子供や若者は、原始人です。彼らは、死と和解しながら心が華やいでゆく「快楽」のタッチを持っている。人間的な知性や感性の基礎と究極のかたちはそこにこそある。
 人間的な知性や感性すなわち「知能」は、文明発祥とともに生まれてきたのではない。文明の発祥以前の原始人の段階ですでに芽生えていた。まあそんなことは誰でも知っている。しかし、700万年前に二本の足で立ち上がっていきなり知能が発達しはじめたのでもない。脳容量が猿のレベルを超えてきたのが300万年前ころからで、言葉を話したり衣装を着たりするような本格的な人間的知能の開花は10〜20万年前ころからだともいわれている。そしてこのことを、集団的置換説の論者たちはアフリカのホモ・サピエンスの出現からはじまったといっているのだが、そんなはずがない。もしそうなら、その後もアフリカが人類の文化文明のリーダーとしての歴史を歩んできているはずです。
 置換説の論者たちは、アフリカのホモ・サピエンスの中の選ばれた優秀なものたちが4万年前以降にヨーロッパにやってきてクロマニヨンの文化を花開かせたといっているのだが、そうやって故郷を捨てて出てゆくのは、近代におけるヨーロッパ人のアメリカ大陸移住においてもそうであるように、いつだって食いっぱぐれの落ちこぼれたちであり、それが人類史の普遍的な法則です。人類史の最初にアフリカの外に向けて拡散していったものたちだって、やっぱり食いっぱぐれの落ちこぼれたちだったのです。それはもう考古学の証拠としても残っていることで、人類史の最初にアフリカの外に出ていった人たちだといわれているドマニシ共和国の遺跡から出土された180万年前の人骨は、同時代のアフリカ人よりもはるかに貧弱だったのです。
 生きることに有能なものたちが、何を好き好んで勝手のわからない故郷の外に出てゆこうとするものか。それこそ歴史の法則として故郷以上に住みよい土地なんかないのであり、東北大震災の被災者たちだって、ほとんどの人が故郷に残ろうとしているじゃないですか。
 故郷で食いっぱぐれているものたちだけが故郷を捨てるのです。
 ともあれ、人類の文化が本格的に花開いてきたのが10〜20万年前として、故郷のアフリカに残った生きることに有能な人類の末裔であるホモ・サピエンスと、故郷を捨てて地球の果てまで拡散していった無能な人類の末裔であるネアンデルタール人と、いったいどちらの知能(=知性や感性)が進化発展したかといえば、つねに死と和解しながら心が華やいでゆく体験の歴史を歩んできたネアンデルタール人のほうであったはずです。
 人類は、拡散の歴史によって知能を進化発展させてきた。それは、死と和解しながら心が華やいでゆく体験の歴史だった。そうやって、より住みにくい地、さらにより住みにくい地へと拡散してゆきながら、人間性の自然としての「快楽」を汲み上げる体験をしていった。その「もう死んでもいい」という無意識の感慨から汲み上げられる「今ここ」の世界や他者に対する「ときめき」が人類史の文化の起源の契機になったのであって、多くの人類学者たちが合唱している、生き延びようとする欲望による「未来に対する計画性」が契機になったのではない。そんな通俗的で凡庸な問題設定では、人類史の起源論には迫れない。その欲望が現代社会を動かし、現代社会の大人たちの心模様の中心になっているとしても、その欲望によって原始時代の歴史が動いてきたわけではないし、その欲望が人類史を通じての普遍的な子供や若者の心模様の中心になっているのではない。
 一歳の赤ん坊が二本の足で立って歩きはじめたり言葉を話しはじめたりすることは、そのまま人類史の文化の起源の契機の問題であり、その体験にこそ人の知性や感性が生まれ育ってくる普遍的な契機が潜んでいる。そしてそれはもう、大人社会の「生き延びようとする欲望」とか「未来に対する計画性」などという心模様ではないのです。よちよち歩きをはじめた赤ん坊は、そのときいったん生き延びる能力を喪失して無力な存在になっているのであり、そうやって死と和解しながら歩きはじめるのです。
 その、死と和解してゆく心模様によって子供や若者だけの社会がつくられてゆく。それはもう、いつの時代も普遍的にそうなのです。そうやってかつてのこの国の「若衆宿」は、死をもいとわない祭りや災害救助のイベントを率先しておこなってきた。
 原始人の歴史、すなわち人間的な知性や感性とともに人間的な文化が生まれ育ってきた歴史は、生き延びようとする欲望をたぎらせてきた歴史ではなく、死と和解してゆく歴史だったのです。そこから心が華やぎ、言葉をはじめとする人間的な文化が生まれ育ってきた。
 人類は、死と和解しながら地球の隅々まで拡散していった。そしてそれによって人間的な文化が花開いていった。


 というわけで、ここでネアンデルタール人について考えることは、人類拡散の歴史を考えることでもあり、また、文明発祥前夜の人類における知性や感性の目覚めについて考えることでもあります。
 人間性の本質・自然は、死を自覚し死と和解してゆくことにある。心はそうやって生き延びる未来のことなど忘れながら目の前の「今ここ」の世界や他者にときめいてゆく。人間的な知性や感性は、そこから生まれ育ってきた。子供や若者にはそういう心模様があるし、大人たちはそれを失いかけている。長く生きれば生きるほど失ってゆく。長生きするのがいいかどうかなんてわからない。ともあれ、誰だって死ぬときにはその死と和解してゆく心模様が必要になる。だから人類の社会には「子供だけの社会」が生まれ、大人たちはそれを尊重してきた。
 まあ人類の文化のイノベーションは子供や若者たちの社会から生まれ、大人たちがそれを尊重してゆくことによって定着してきたのでしょう。
 現代社会は、その関係を失いつつある。社会が、大人たちによる、生き延びようとする欲望や死にたくないという強迫観念に染め上げられ、誰もがこの生に閉じ込められてしまっている。「この身体」や「この自分」に閉じ込められてしまっている。
 現代社会の閉塞感などというが、それは、生き延びられないことにあるのではなく、生き延びようとする欲望から逃れられないことにある。そうやって誰もがこの生に閉じ込められてしまっている。
 しかし、人間的な知性や感性の源泉は、死と和解してゆく無意識の感慨にある。その無意識はもう人間なら誰だって持っているのだが、現代人はそれを封じ込めて「命の尊厳」だの「未来に対する計画性」だの「夢はかなう」などと合唱している。そうやってこの生に閉じ込められてしまっている。閉じ込められながら、「天国」だの「極楽浄土」だの「死後の世界」だの「生まれ変わり」だの、なんだかこの生が永遠に続くかのような妄想をたぎらせている。そんな妄想は、文明社会の発祥以後に生まれてきたのであり、人類史の普遍的な心模様ではない。原始人はそんな妄想など持っていなかったし、文明社会の発祥直後の古代人だって、たんなるイメージの遊びにすぎなかった。心がまるごと生き延びようとする欲望に染め上げられてしまった現代人こそ、古代人よりももっと必死にその妄想にしがみついている。
 人間性の普遍・自然は、死と和解しながら目の前の「今ここ」の世界や他者にときめいてゆくことにある。そうやって人間的な知性や感性が生まれ育ってくるのであって、そこにおいて人は、生き延びようとなんかしていない。「生きられなさ」を生きているだけです。その生き延びることの「無能性」にこそ、人間的な豊かなときめきや知性や感性の源泉がある。人類史の文化の起源の契機は、その問題設定で解いてゆくべきでないだろうか、とここでは考えています。人類学のパラダイムは根底的に問い直されねばならないというか、転倒(シフト)されねばならない、と。
人気ブログランキングへ