2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧

人と人の関係は、たがいの身体が「今ここ」で出会っている、ということが基本になる。 われわれの身体は、この社会において他者と「ともにある」のではなく、「出会う」のだ。 愛し合ったり、協力して何かしたりするとき、「身体が共鳴し合う」あるいは「運…

人間を生かしている根源的な心の動きとは何か。 いちばん知りたいのは、そのことかもしれない。 その手掛かりとして、いま僕は、原始人の心を問うている。 原始人の心の動きや行動を、現代人の人間観や世界観で裁量することはできない。しかし、そうは思いつ…

いい社会をつくろうとする善意ほど邪悪なたくらみもない、と僕は思っている。 たとえば、いい社会をつくろうとする「公共心」とか「公民意識」といった制度的な観念の持ち主は、邪魔者や弱い者を排除しないが、彼らを教育して邪魔者や弱い者ではない存在にし…

おさらいをしておきたいと思う。このことは何度でも言いたいのだ。 ホモ・サピエンスの遺伝子だけが世界中に拡散していったのであって、アフリカのホモ・サピエンス自身が世界中に旅して拡散していったのではない。 人類は、猿人の段階から、すでにまわりの…

現代のヨーロッパの言葉の基礎は、ネアンデルタール人によってつくられた。アフリカのホモ・サピエンスがヨーロッパにやってきてつくったのではない。そのころヨーロッパにやってきたアフリカ人などひとりもいない。 言葉が地域によって違うということは、そ…

人間はなりゆきにまかせてしまうところがある。 彼は自分の意思で会社に通っているが、彼が会社に通う身分になったのは、彼の人生のなりゆきだ。小さいころは野球選手になりたかったし、高校のころはロックスターに憧れていた。大学に入ってからは、何か楽し…

人間は、体を動かそうとして動かしている。物が自然の作用でただ動いているのとは違う。動こうとして動いているから人は、他人が何をしようとしているのかがわかる。つまり「予測」ということができる。 科学が、そんなことは分子の運動の結果にすぎないとい…

人間だって猿と同じ生き物だが、人間と猿は違う。人間と猿の違いは、人間と鳥との違いより重要だ。 人間の根源は猿にあるのではない。猿と違うことが人間の根源なのだ。 猿の群れには秩序があって、人間の群れは基本的には無秩序で、そのストレスの中で生き…

閑話休題・泣くという感情について

先日海江田経済産業省大臣が国会答弁中に落涙したとかで、そのことについて内田樹先生が、先験的な感情などというものはない、といっておられる。 泣くことを学習することによって悲しいという感情が生まれてくる、という。 じゃあ生まれたばかりの赤ん坊は…

北ヨーロッパにネアンデルタールが生息していた20万年前以降の氷河期は、人類のユーラシア大陸への拡散が一段落し、世界中で懸命に住み着こうとしていった時代だった。そしてこの傾向は最終氷河期明けの1万年前まで続き、それによって人類の脳が爆発的に…

このごろ話が堂々めぐりしてなかなか前に進まなくなっている。それはわかっているのだが、まだちょっとネアンデルタール人の「集団性」についての話題を変えるわけにいかない。これでも、人類の集団性を根底から問い直そうとしているつもりだ。 人間ならでは…

生きてあることの「かなしみ」、といっても、そうそう明確に自覚される感情ではない。しかしそれは、この生の通奏低音として、誰の中にも息づいている。 だから人間は、この世界や他者に、ほかの動物よりもずっと深く豊かにときめいてゆく。そういう契機を持…

「かなしみ」という言葉をひとまず置いてみる。 今日は、ここから書きはじめようと思う。 人間を生かしている根源的な心の動きとは何か、ということがいつも気になっている。 それは食欲・性欲・睡眠欲である、とか、そんなふうにあっさりと片付けられたら困…