2009-05-01から1ヶ月間の記事一覧
内田樹先生、そんなに「家族」とか「コミュニケーション」というものが大事だと思うのなら、その前に「恋愛論・性愛論」を書きなさいよ。それこそが、「家族」とか「コミュニケーション」とかいうものの原点でしょう?そういう原点を持たない「家族論」も「コミュ…
「ことだま」とは、「意味」以前の心の動きのこと。出会った瞬間の無心な状態の「ときめき」のこと。古代人はそういう心の動きを誰もが持っていたし、そういう心の動きがやまとことばに「ことだま」として宿っている。 しかし現代人は、世界の「意味」に幽閉されて…
もう一度、ことばの発生段階について考えてみます。 原初、ことばは、相手に何かを伝えるためのものでも、自分を表現するために発せられたのでもなかった。 吉本隆明氏は、ことばの機能として、このふたつを「指示表出」と「自己表出」という概念で説明してくれ…
[[]]あるブログで、こんな句を見つけました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 雫見づ をときく鹿の まふことは ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…
昔の酒屋の看板は、杉の板で作るのがならわしだったそうです。、 なぜそうなったかといえば、ある研究者によると、 「さけ(SaKe)」と「すぎ=すき(SuKi)」は、ともに「SK]という子音で成り立っており、この子音が「ことだま」として共有されてい…
「わが身」の「身(み)」。 古代人が「身」というとき、物質として身体よりも、心とか「存在」そのものという概念とか、そんなようなことを意味している。つまり、「物体」としての身体ではなく、「空間」としての身体。 身体を「空間」として扱うことによって、身体は…
相手のことが気に入っているのならセックスすればいいだけなのだが、人間は、そのほかに「恋」という心のやり取りをする。 そして恋という心のやり取りをするようになったから、一年中発情している生きものにもなった。 「もの」と「こと」とは、まあそんなよ…
同じ音をふたつ並べるとき、その音に含まれている感慨を強調している場合が多い。 つまり、いかにも「ことだま」がそなわったことばのような風情がある。 宴の席で酒をすすめるとき、「ささ、どうぞ」という。この「ささ」は、古代人も同じように使っていたらしい…
「ことだま」ということばの姿は、俗物どもにすっかり汚されてしまっている。 たぶん共同体(国家)の建設がはじまって以来、千年以上かけて汚され変質してきたのだ。 「ことだま」ということばだって古いやまとことばであるかぎり、その語源においては「ことばに…
「新しい」ということを、英語で「ニュウ」といい、やまとことばでは「新(にひ)」という。 なんだか似ている。 実際、日本列島には、新しいことを「にゅう」という地方もあるのだとか。 しかしだからといって、それがイギリスから伝わったことばだとは誰も思わな…
僕の友達は、大学を出るときに、「もう哲学とは関わらない」と決めたのだそうです。 これからはもう、現実的な社会との関係に頭を使って生きてゆく、と。 団塊世代から40歳くらいまでの戦後世代は、こういう人が多い。 内田樹先生も、同じようなことをいって…
日本列島の住民にとって「無常」とは、どんなイメージか。 鴨長明は、行く川の流れがどうとかと語っているが、川の水の流れこそそれをもっともたしかに感じさせる象徴的な現象なのだろうか。 日本列島の住民ほど「無常」ということばが好きな民族もいない。 …
「婚活」ということばが流行っているそうですね。 内田先生、あなたは、自分を肯定し(愛し)、人生や命の価値を肯定してゆく。 あなたは、奥さんや、せっかく男手ひとつで育て上げた娘さんに逃げられた。 そしてそれでもあなたは、自分を肯定し、家族とやら…
藤の花の季節です。 「ふぢ」と書く。「富士・不二(ふじ)の山」の「ふじ」とはちがう。 「ふ」は、「ふるえる」の「ふ」。あるいは「伏(ふ)す」の「ふ」。 「ち」は、「血(ち)」「乳(ち)」の「ち」、ほとばしり出るもの。 「藤(ふぢ)」とは、ひとつのところからた…
あるブログでその文章を読んだとき、その不思議な書きざまから、ふと、むかし読んだことのあるボードレールの「巴里の憂鬱」という散文詩集のことを思い出しました。 その中の、たしか「人みな噴火獣(シメール)を負へり」というようなタイトルの散文詩だっ…
このブログでしつこく繰り返している、「あなた」や「世界」に対する「ときめき」とは、「意味」が発生する以前の心の動きのことで、そういう心の動きこそ、ひとつの「自然」として誰の中にもあるはずです。 「ことば」は、そこから生まれてきた。「意味」を…
前回、人の心の動きの三つのパターンについて書きました。 えげつない「クレーマー」になること、自分の俗物根性に居直って「いい人」になること、そして生きてあることを「嘆く」こと。 「その三つの心の動きは誰の中にもあるじゃないか」というひとがいる…
多くの人にとって、仕事はひとつのプレッシャーであり、少なからずストレスをともなっている。 そこで「仕事なんかいやだ」と嘆くことは、ささやかな解放をもたらしてくれる。 アフターファイブの居酒屋で、上司の悪口や仕事のわずらわしさをぶつけ合う。 嘆く…
昨日はくだらないことを書いてしまったので、なるべく早く更新したいと思っていました。 われながら下品な人間だなあ、といやになってしまう。 不用意な人間だから、読み返してみて「きゃっ」と叫びだしたくなるようなことをときどき書いてしまう。 腰を据え…
わるいけど僕は、坂本竜馬だろうと織田信長だろうと、道元だろうと親鸞だろうと、柿本人麻呂だろうと聖徳太子だろうと、あまり興味がない。僕にとって歴史とは、その時代の自分と同じ庶民がどんな思いでどのように生きていたのかということが中心です。 それ…
五月三日は、憲法記念日だったそうですね。 で、NHKでは、知識人が出てきて、さかんに「生存権」とやらを語り合っていた。 憲法では、国民の「生存権」が保証されているのだとか。 だったら僕のような「非国民」は、「生存権」がないということになる。 …
長野県には、「沢(さわ)」がつく苗字の家がとても多いのだとか。 「沢田」「沢井」「谷沢」「水沢」「赤沢」「柳沢」「深沢」「沢登」「沢東」「沢西」「沢村」「沢野」等々。 やまとことばの「さわ」の「さ」は、「裂く」の「さ」。 「わ」は、「割る」「…
たとえば花を見るとき、視覚(=意識)が真っ先にとらえるものは「色彩=いろ」である。 それから形や質感が把握され、最後に「あれは花である」という「意味」を認識する。 このあたりの意識の発生のからくりは、フッサール先生が「ノエシス」だとか「ノエ…