祝福論(やまとことばの語源)・「ことだま」 6

昔の酒屋の看板は、杉の板で作るのがならわしだったそうです。、
なぜそうなったかといえば、ある研究者によると、
「さけ(SaKe)」と「すぎ=すき(SuKi)」は、ともに「SK]という子音で成り立っており、この子音が「ことだま」として共有されているからだ……ということだそうです。
何いってるんだか。
だったら、「樫(KaSi)」でも「楠(KuSu)」でも「桜(SaKuRa)]でもいいではないか。
学者連中の語る「ことだま」論は、こういうこじつけめいたものがじつに多い。
こんな安直なパズルゲームに夢中になって、ことばのなぞを解いたつもりでいるなんて、いい気なものだ。
「ことだま」について問おうとするなら、ことばの起源から考えていかなければならない。「ことだま」の問題はそこから始まっているのであり、それは人間の歴史を問うことでもある。
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それはともかく、
「さけ」というなら、それは「さ」ということだまと「け」ということだまで成り立っているはずで、「さ」と「す」、「け」と「き」は、たとえ同じサ行・カ行でも「ことだま」はぜんぜん別のものだ。
「SK」という子音の発声が、いったいどんな心の動きをもたらすというのか。どんなカタルシスをもたらすというのか。どんな性格の「霊力」とやらがあるというのか。人びとがそこにどんな「霊力」を託していたというのか。
「さけ」の「さ」は、「裂(さ)く」の「さ」、心が裂けていい気持ちになること。
「け」は、「蹴(け)る」「消(け)す」の「け」、「分裂」「変異」「別世界」の語義。
「さけ」は、心が裂けて極楽世界に遊ぶことができる飲みもの。そういう心の動きに「さけ」ということばの「ことだま」が潜んでいる。
「SK」という子音なんか関係ない。
いい「酒(さけ)」は、気持ちよく酔っ払うことができる。酒屋は、そんな酒を売るのが商売繁盛のもとであり、そんな酒を売っていますよ、というメッセージを込めて「杉の板」にしたのでしょう。
「すぎ=すき」の「す」は、「擦(す)る」「すべる」の「す」。すべるようにまっすぐ伸びている木だから「すぎ=すき」というのでしょう。
「まっすぐ」という感慨、酒だって、ぐねぐねと悪酔いせずに「まっすぐ=すっきり」と酔っ払うことができるのがいい酒だ。
「すっきり」ということばは、「する=すべる」の「す」と、「切(き)る」の「き」で成り立っている。このことばもまた「まっすぐ」というニュアンスを含んでいる。したがって「すぎ」と「すっきり」は、同じことだまを共有していることになる。
「ことだまを共有する」とは、そういうことではないのですか。
酒屋の看板に杉の板が使われたのは、そこに「まっすぐ=すっきり」と酔っ払うイメージが託されたからだろう。
いい酒の飲み口ことを、「切れ味がいい」などともいう。このこともまた、杉の木のまっすぐな姿に通じている。
そこに何かわけがあるのなら、まあそういうようなことではないかと僕は想像します。
「さけ」の「さ」は、ふたつに裂けること。「すぎ」の「す」は、まっすぐなひとすじのこと。おなじ「S」という子音を持つことばでも、「ことだま」はぜんぜん違う。
子音でやまとことばの「ことだま」を語ろうなんて、ナンセンスだ。
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原初の人類がはじめてことばを発したとき、そこにどんな感動の体験があったのだろう。
知能が発達したからことばをしゃべるようになったとか、石器の作り方を伝えるためにことばが生まれてきたとか、もうそんな歴史認識はすべてナンセンスですよ。
誰かがある音声を発し、その音声を耳にする感慨がその場で共有されていった……これがたぶん、ことばの発生の現場における感動体験であり、その感動が、ことばを育てていったのだ。
敵がやってきたことを知らせることくらい猿でもカラスでもやっているし、石器の作り方を伝えることは、ことばを持ったから可能になったことであって、ことばが生まれ育ってくることの契機ではない。
しゃべる「知能」がことばを育てたのではなく、それを「聞く」ことによる「感慨を共有する」という体験がことばを育てていったのだ。
ことばをイメージしたからことばを発したのではなく、思わず発した音声に、ある感慨が共有されていく体験があった。その感動が、それをことばにし、その音声に意味を与えていったのだ。
知能の発達によって意味やことばがイメージされていったのではなく、思わず発してしまう音声が、ことばになり意味になっていったのだ。
やまとことばの31文字の一音一音は、はじめはすべて思わず発せられた音声だった。
そうしてそこで共有されていった感慨が、その一音一音を「ことば」にしていった。
その「共有されていった感慨」を「ことだま」という。
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したがって、よその地域から伝わってきてことばが生まれた、というようなことはありえない。
ことばを持たないものにことばを伝えることはできない。ことばを発したことがないものは、ことばを発することができない。このことは、猿に言葉を教えようとしている動物学者たちの歯ぎしりするような苦労が、じゅうぶんすぎるほど証明してくれている。
ことばを発したことがあるから、伝えられたことばも発することができる。
まただからこそ日本列島の住民は、伝わってきた英語を、自分たちの流儀のたどたどしい発音にしてしまう癖から抜けられない。
この地球上に、外から伝えられてはじめてことばを持ったという民族などいない。そこにことばが伝わっていったということは、そのときすでに基礎となることばを持っていた、ということを意味するだけだ。
ことばは、ことばのあるところにしか伝わってゆくことができない。
ことばが発生するという体験は、それぞれの民族が独自に体験している。
人類のことばは、伝達されることによって広がっていったのではなく、まずそれぞれの地域それぞれの集団での「共時性」として発生したのだ。
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そしてやまとことばは、外来のことばと混じって変質してゆくということが長いあいだないまま育ってゆき、外来語と出会ったときにはすでに完成されてしまっていた。
やまとことばは、外から伝わってくるという体験をしていないから、「伝える」という機能が希薄である。つまり、意味など伝えなくともわかりあっている仲間うちの「感慨を共有する」という体験によってのみ純粋培養されていったことばなのだ。
「ことだま」は、人類の歴史におけることばが発生したときのプリミティブな「感慨を共有する」という体験の中にある。古代の日本列島の住民が自分たちのことばの「ことだま」を強く意識していったのは、やまとことばがそれほどに大陸のことばと異質だったからであり、それほどにプリミティブなかたちを色濃く残していることばだったからだ。
プリミティブなかたちが残ってしまうくらい、外との接触がないまま育ってきたことばだったのだ。
やまとことばの語源をを語るのに、大陸のことばの影響を持ち出すなんて無意味なのだ。
ことばの発生は、すべての地域すべての集団で、「共時性」として起こっている。
どこの地域でも、外からことばが伝わってくる前にすでに基礎となることばを持っていた、そういうことがなければ、今ごろ世界中みんな同じことばになっているさ。
ことばは、人間が寄り集まって暮らすという状況から生まれてきたのであって、知能が発達したから生まれてきたのでも、知能がいちばん発達している民族がいちばん最初にことばを持ったのでもない。
「感慨を共有する」という体験をもっとも濃密に持っていた集団がいち早くことばを生み、もっとも豊かに育てていったのだ。
5千年前の縄文人と、おなじころの4代文明地域のアラビア人やインド人と、どちらの言葉が発達していたかなんて、わかりませんよ。
かんたんにそのあたりから伝わってきたなんていってもらっては困るのだ。人類の歴史においてことばがどのようにして生まれ育てられてきたのかということを考えるなら。
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人がたくさん集まって暮らしていれば、いろいろうっとうしいことが起きてくる。傷つけられることもあれば、存在そのものがうっとうしい相手もいる。しかしそんな思いを体験するからこそ、いとしくてたまらない相手もあらわれてくる。たくさんの人と寄り集まって暮らしていれば、いつも人のことが気になっている、いつも何かのことが気になっている。そうやって心に何かがまとわりついて離れないという体験をしてしまう。
心が動かなくなって澱んでしまう、という「けがれ」の状態のうっとうしさ。そのときことばによって他者と感慨を共有するという体験は、そういう状態からの解放をもたらす。停滞している集団の関係に「ゆらぎ」が生まれる。
ことばがあるから、密集しすぎた集団のうっとうしさから逃れることができるのだし、密集した中にいるということの醍醐味も生まれてくる。人と人の関係に動きをもたらしてくれる。
ことばが発生したとき、人は、おなじ音声を聞くことによっておなじ感慨を共有するという醍醐味を発見した。
たぶんその前段階として、一緒に笑いあったりもらい泣きしたりという体験が積み重ねられていたのだ。それは、密集しすぎた群れほど濃密になってゆく。そういうトレーニングの上に、ある音声によっておなじ感慨を共有するという「ことば」の体験が生まれてきたのだろう。
「ことば」は、密集しすぎた群れの中にあることの「けがれ」の自覚から生まれてきた。
「ことば」が生まれてくる契機は「けがれ」の自覚と「けがれ」から解放されるカタルシスにあったのであって、知能の発達によるのではないし、はじめにことばがイメージされたのではさらにない。
「けがれ」から解放されるカタルシスとして、ある感慨が共有されていった結果として、その音声が「ことば」になったのだ。
ことばの起源は、「ことだま」とともにあった。
それは、ことばの起源は「けがれ」の自覚とともにあった、ということでもある。
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「けがれ」ということばがどれくらい古いのかはわからない。しかしその感慨じたいは、ことばの発生段階にまでさかのぼることができるはずだ。
ともあれ、縄文時代からそういう心の状態にこだわっていたことはたしからしい。
縄文人は、家を建て替えるときは、かならず場所をずらした。集落ごと引っ越すことも少なくなかった。それは、彼らが「土のけがれ」を意識していたということを意味する。
「土のけがれ」によって、家の中や集落に活気がなくなってしまう。彼らは、そういうかたちで自分たちの「けがれ」を意識していった。
中西進氏は、「けがれ」の「け」は「気(き)」が変化した音韻である、といっておられる。
たしかに「気(き)=気(け)」というニュアンスはある。もともとは、気持ちがよどんでしまうことを「けがれ」といったのだ。
しかし、「き」と「け」のことだまは違う。「き」のことだまは、「ここで世界が完結している」という感慨のカタルシスにある。だから、「むかし男ありき」というように、「完了」をあらわす動詞の語尾として使われる。それに対して「け」は、「分裂」「変異」の語義で、「もうひとつの世界」にさまよいこんだようなとまどい・不安、あるいは「もうひとつの世界」に立っている居直り・ふてぶてしさをあらわしている。「け」の「ことだま」は、「世界が変質あるいは分裂すること」にある。だから、「もののけ」というし、悟りを開いた人のことを「ほとけ」ともいう。どちらも、われわれとは「別世界」の存在だからだ。
まずそういう「ことだま」のちがいがあり、はたして「きがれ」が「けがれ」に変化したかといえば、かならずしもそうとはいえない。
はじめから「けがれ」だった可能性のほうがつよい。「け」のことだまは、むかしもいまも変わらない。われわれだって、「けっ」といってふてくされたりする。それは、「別世界」に立って居直っている態度だ。
中西氏をはじめてして学者たちは「き」と「け」の「ことだま」の違いをちゃんと意識していないから、安直に「おなじだ」だといってしまう。「SK」の子音を「ことだま」として共有している、という、あのとんちんかんなへりくつと一緒だ。
「けがれ」の「かれ」は、古語の「離(か)る」、離れること。
漢字にすると、「化離(けが)れ」となる。
「けがれ」とは、気持ちが現実から離れて「別世界」に行ってしまうこと、気持ちが何かにとらわれて目の前の現実に反応できなくなってしまうこと。
「ものぐるい」のこと。女はけがれた存在ではないが、「けがれ」を自覚する存在である。そして「けがれ」を自覚したところから人類のことばの歴史がはじまっているのであり、けがれを自覚することこそ、密集しすぎた群れをつくって暮らす人間存在の根源的なかたちなのだ。
密集しすぎた群れがいやなら、人里はなれた山奥にすめばよい。それが、大陸での「隠遁」の流儀だった。
しかし日本列島での「隠遁」は、集落から集落へとさすらってゆくことにあった。それは縄文時代以来の伝統であり、四方を海に囲まれた孤立した島国である日本列島において、密集した群れも中にあることはもう、避けがたい生きてあることの「前提」だった。
つまり、「けがれ」の自覚からは逃れられない、ということだ。
そこに、「けがれ」を排除しようとする大陸の近代思想との対照(コントラスト)がある。
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近代思想に染まった現代人は、「けがれ」を自覚しようとしない。
「けがれ」は、自分の外部、すなわち他者のもとにあると思っている。だから、人を責めてクレーマーになり、「けがれ」を排除しようとする。
「けがれ」を排除して、スーパーマーケットの売り場にまっすぐのかたちの胡瓜ばかりを並べる。タバコのポイ捨てという「けがれ」をせっせと排除してゆく。
現代人は、「けがれ」は排除するものだというかたちで、ものすごく「けがれ」を意識している。
日本列島の住民から「けがれ」という意識は、そうかんたんにはなくならない。
しかし古代においては、「けがれ」はみずから「そそぐ」ものであって、「排除」するものではなかった。彼らは、「そそぐ」ことのカタルシスを知っていた。それが、彼らにとっての生きてあることの醍醐味だった。
現代人は「けがれ」を自覚しようとしないから、それがそそがれるカタルシスも知らない。
「けがれ」はあくまで自分の外部のもので、それは徹底的に排除しなければならない。もう、そんなことばかりしている。「けがれをそそぐ」という心の手続きを持っていないから、徹底的に排除してゆくしかない。リーマン・ショックに慌てふためいたあげくに当然の権利のように「派遣切り」をしてしまう経営者たちのそのグロテスクなエゴイズムも、「インフルエンザ」におびえて当事者を脅迫することも、つまるところ「けがれ」を排除しようとする衝動だろう。
それだけではない。「いじめ」だって、そうした社会的な病理であるにちがいない。「けがれ」は排除しなければならない、という強迫観念を募らせている大人たちばかりの世の中なんだもの、子供たちの世界でもとうぜんそういうことは起きてくるさ。
自殺の急増だって、つまるところ「けがれ」を排除するためにはもうそうするしかない、という結論によるのだろう。「けがれ」を排除せよ、と強迫してくる社会の構造がある。
近代合理主義に染まって自我意識が肥大化してしまえば、「けがれ」を自覚するということはもうできない。それは、排除しなければならない。排除して自分を確立せよ、と社会(時代)が迫ってくる。自分の中の愚かさも醜さも俗物根性も、それは「けがれ」ではなく「個性」として肯定してゆかねばならない。ぜったいに「けがれ」だと認めてはならない。
認めたら負けだ、とがんばる。そうして、排除の衝動を他者にぶつける。あるいは、仲良しの仲間をつくって許しあう。どちらにしても、そうやって「自分」を懸命に守っているのだ。
現代人は、自分を変えないで自分を守ることによって、「けがれ」から免れることができると思っている。そしてそれで幸せを謳歌している人もいれば、守りきれなくて精神を病んでしまう人もいる。またそうやって自分を守ろうとするあまり、他人や自分の家族を精神の錯乱へと追いつめている人もいる。
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まあ、いいんだけど。負け犬としては、勝手にやってくださいというしかないのだけれど、それでもしかし、世の中はそんな人間ばかりじゃない、日本列島の歴史風土はそんなふうにはなっていないしこれからもそう変わることはない、というひと掬いの希望がないわけではない。
この狭い日本列島では、「けがれ」を排除しきることはできない。いや、いまやもう地球全体がそんな密集状態であろう。
やまとことばは、「けがれ」をわが身のこととして引き受けることの上に成り立っている。
古代人は、土の「けがれ」を、掘り返すことによってそそいでいった。それを「ねほぐ」といった。「ね」は「土」のこと。みずからの「けがれ」をそそぐことは、心をほぐすこと、掘り返していったん壊してしまうこと、いったんちゃらにしてしまうこと、彼らは、そう思っていた。
やまとことばは、人間存在の根源が実験されたところから生まれてきたことばだ、と僕は思っている。